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公務員を辞める私を救ってくれた先生の話

こんにちは。
国家公務員20年→民間企業13年目のとよぞうです。

国家公務員だった私が40歳を過ぎて未経験業界へ転職する事ができたのは、いろんな方から精神的に支えてもらえたお陰だと思っています。

〈社会保険庁(以下、社保庁)というクソ組織を辞めることになった経過はこちら↓〉

今回は私が公務員を辞めるまでの数年の間、息子ともどもお世話になった中学校の先生のお話です。

社保庁解体までの現実逃避

社保庁が解体される4年ほど前、組織が無くなる事で国家公務員を続けられないかもしれないという不安から現実逃避するように休日を中学校のグラウンドで過ごした。
毎週土日は家に隣接する中学校のグラウンドで野球部が練習試合をしていることが多く、チャンスがあれば審判をやらせてもらっていた。

私が審判をかって出た理由は2つ

理由①草野球大好き中年の現実逃避
中学3年生のレベルは草野球にも劣らないし主審のやりがいもある。
土日の審判員生活は、やがて訪れる組織解体の不安からグラウンドにいる間だけ私を解放してくれた。

理由②中学校野球部顧問「N先生」に興味があった
審判をやらせてもらうことで顧問の「N先生」に顔を覚えてもらえた。
実はこの先生が赴任してくる数年前までこの中学校は少しばかり荒れていました。
学級崩壊が起きるほど問題も多く、息子の二つ年上の娘も入学した当時は少しばかりトラブルに巻き込まれたこともあった。
しかし、娘の入学と同時に赴任してきた「N先生」の存在が徐々に学校全体を改善してくれたという噂を耳にした。
私は「N先生」に興味を持ち、息子が中学生になったらどうしてもお世話になりたいと密かに思っていたのだ。

息子をだしに三年間密着

息子が中学へ入学すると、私よりも娘が野球部への入部を促してくれた。
どうやら娘も「N先生」を認めているようだった。
こうして親思いの息子は野球部に入部した(入部してくれた)。

息子1年生(応援団)
私:これまで同様たまに審判のお手伝い。
息子2年生(ベースコーチ)
私:専属の主審要員として土日すべて野球部に帯同。
息子3年生(補欠)
私:野球部外部コーチに昇格、兼任主審要員として土日すべて野球部に帯同。

T中学校N先生という人間

私は約2年間「N先生」と毎週土日を共に過ごし、この人物が子供たちやその保護者から受け入れられ、信頼されている理由が理解できた。
「N先生」は普通の公務員教師とは違う「熱血野球小僧」だった。

「N先生」とは
・1年365日のうち360日は学校にいる。しかし家族も大切にしている。
・練習試合や遠征が終わり全員が帰宅後も仕事している。
・声も体も大きくて絶対に勝てそうもない迫力がある。
・自分が間違えたらちゃんと謝る。
・子供たちと一緒にご飯を食べる。
・大雑把で無神経な面もある。県外遠征に一人だけ遅刻してきた事も度々。
・子供たちと共に笑い共に泣く。

土日はほぼ毎週練習試合を組んで県内外へ遠征した。
野球部員の保護者達も「N先生」の熱心さに惹かれ交互に負担し合い協力を惜しまなかった。

誰よりも努力を惜しまず誰よりも全力で誰よりも人生を楽しんでいる。
そんな大人が目の前に居たら誰だってついて行く。
やんちゃだった卒業生たちも「N先生」だけを慕ってたまに顔を見せる。

息子の卒業、そして先生との別れ

公務員を辞めるまでの数年間、中学校のグラウンドで泣いて笑って過ごした時間はかけがえの無いものだった。
私たち親子が「N先生」から学んだ多くの事は人生の財産だと思っている。

「N先生」と過ごした3年間は本当に幸せだった。
「N先生」に子供たちがお世話になれて本当に良かった。
あと国家公務員なのに失業の危機を抱えた4年間という年月を、メンタル崩壊せずに過ごせたのはこの中学校と野球部のおかげです。

息子の卒業と同時に私はこれまでのお礼とお別れの挨拶をしに行きました。
そこで初めて公務員を辞める事も告白した。

決して忖度しない「N先生」がこう言ってくれた。
「とよぞうさんならきっと何処でもやっていける。絶対大丈夫です」と…
その言葉が今日までの自分を支えてくれている。

あれから「N先生」とは会っていませんが、きっと変わりない事でしょう。
でもいつか再開したい…同じ年齢の恩師に…
その時は成長した親子をお目に掛けたいとも思っています。

ここまで私の思い出話にお付き合いいただきありがとうございます。
この記事が誰かの励みになれば幸いです。

ではまた。

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