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【私の転職体験】国家公務員を辞めた訳

こんにちは。
家を出るとき何度も施錠確認してしまうとよぞうです。

私が公務員を辞めたいきさつ


国家公務員一般職で地方採用組の私は、現在日本年金機構に組織変更した社会保険庁の出先機関である社会保険事務所に20年勤務しました。

もはや説明するまでもない杜撰な事務処理による消えた年金問題を抱える不祥事のデパート。
かつて国会議員の年金未納問題に端を発した一連の騒動を何とか火消ししたいがためにことごとく的外れな手を打つも、すべて裏目に出て国民の嫌われ者となった挙句に解体された組織。そこが私の職場でした。

公的年金制度は複雑かつ守備範囲も広く、すべての職員が制度に熟知しているわけではない中にありながら社会保険労務士試験に合格するなどしてそれなりに真摯に向き合い、社会的にも意味のある仕事をしていたつもりでした。

2009年12月に解体されるまでの5年間は地獄だった。
連日取り上げられる社保庁たたきの報道合戦に煽られるがごとく、毎日のように浴びせられる罵倒。
「そんなところに勤めてて恥ずかしくないのか」「公務員の誓いを忘れたのか」「今すぐ辞表を出せ」…面前で飲みかけの缶コーヒーを投げつけられたこともあった。

当時年金担当課の次席だった私はクレーム担当官と言っていいほどクレーム対応をこなした。
クレーム対応は場数です。
相手が言いたいこと、聞いてほしいことに耳を傾けてひるまずビビらず対応する。相手の話の腰を折らずによく聞いた上で根拠を示せばある程度は乗り越えられると思います。

現在の仕事でもクレームを受けることはありますが当時に比べればノーダメージです。
これも比較対象の効果ですね。
しかしクレーム対応や連夜の残業などは当時の私にとって問題ではなかった。

私がこの組織に見切りをつけた一番の理由は組織的な不正行為を強要されそれを拒否したことにより組織内で干されたということでした。
【詳細はこちら】↓

組織人である限り組織が違法な指示を出したとしてもそれに逆らえば排除されてしまう。
みなさんくれぐれもお気をつけください。

2010年元日 公務員→無職


私は不正行為を強要した組織に対して抗議の意志を示した反抗的な職員でしたが、おそらく頭を下げて頼み込めば再就職の支援は受けれた事でしょう。
「家族がいるんだろ」「これからどうするんだ」…しかしどんな言葉も私の胸には刺さらなかった。
私は行き場を失った。

組織を追われた私は完全に開き直っていた。
退職して数か月間毎日パチンコ屋に入り浸った。
…我ながら情けない
つまらない意地を張り、しょうもない正義感を組織の内部に向けた報い…

「辞められるお前がうらやましいよ」
一つ年上の同期から掛けられた言葉が今も忘れられない。…本心だろう。本心の言葉は心に刺さる

転職活動の本当の敵


公務員がよく言われがちな「公務員は民間じゃ務まらない」…この言葉に過剰な反応をしてきた私は本当に務まらないのか試したいと心のどこかで思っていた。
だから何とか自分の力で再就職を果たしたかった。
…ただ見返したかった。

在職中月に何度かハローワークの説明会に出向き、担当者として失業された方々に国民年金の免除申請について説明させていただく時間をいただいた。
毎回数十人の真剣なまなざしを前にして「彼らの辛い気持ちは私には理解できてないんだろうな」とずっと思っていた。
…それがまさか理解できる日が訪れるとは。皮肉なものだ。

せっかく辞めたんだから今度はやりたい仕事を探そうと考えていた私は、昔から働いてみたかった空港で仕事を探すことにしたものの未経験業界への転職活動は簡単なものではない。
いや、それ以前に転職活動というのは経験だスキルだ資格だとかいう以前に焦りとの闘いにどう向き合い打ち勝つかということを痛感した。
焦れば焦るほど冷静な選択はできないことも思い知った。

忘れられない恩人


そんな私に在職中よく年金相談窓口でお会いした地銀に勤務する社会保険労務士の方と再会する機会があった。
退職したことを伝えるとだいぶ驚いたようであったが、私が社会保険労務士の有資格であることを知ると、近いうちに退職するため後任を探しているとのことを教えてくれた。
そしてまだ半年ほど先の事なのでその時に仕事が決まってなかったらどうか…とも言っていただいた。

この言葉が私にとって「一切れのパン」となり、それほど焦りを感じることなく就職活動に集中することができた。
そして何とか希望する会社から内定をもらえた。

再就職が決まり後任を辞退する連絡とお礼を兼ねて電話をした時、その恩人がこう言ってくれました。
「実はだいぶ前に後任の件は決まってたけれど、就職活動に水を差すのが心苦しくて連絡できなかった。でもまさかこんな素敵な報告を戴けるとは思わなかった。今日は素晴らしい一日になった」と。
…パチンコ屋の駐車場で電話を握りしめたまま私の頬に涙が止まらなかった。

2010年10月 航空業界に転職


40歳を過ぎて未経験の業界デビューを成し遂げた私ですが、いまこれだけは言える。
怒ったお客様よりも笑顔のお客様を迎えるほうが間違えなく幸せを感じられる仕事だということ。

コロナの影響で大打撃を受けまだまだ前途多難の航空業界ですが、皆同じ方向を向いてたくましく進んでいく組織と仲間の姿は誇らしい限りです。

ここまで【体験談】私が公務員を辞めた訳を読んでいただきありがとうございました。

#わたしの転職体験

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