【無料記事】〝チョイわるウイルス〟を援軍とし、波状的に街へ繰り出そう!

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 今回のコロナ騒動を私は当初から一貫して冷やかに眺めている。
 どうせ大して恐ろしい病気でもあるまい、と当初も現時点でもタカをくくっている。
 もちろん私には医学的な知識などないに等しいし、私のしょせん直観が間違っている可能性もある。だが同時に、社会現象に関して私の直観がひどく間違っていたことはこれまで(とくにファシズム転向以来)1度もない。
 リベラルとラジカルで立場は違うけれどもその常識的判断力というか冷静さには信頼を置いている清義明氏(『サッカーと愛国』著者)のツイートによれば、1957年と1968年にも全世界で100万人以上の死者を出す新型インフルエンザの感染爆発が起きているというし、そのいずれに際しても今回のようなパニックは起きておらず、そもそもそんな感染爆発があったことすらほとんど忘れ去られているわけだ。その程度か、せいぜいそれらをちょっと上回るかもしれない程度の〝チョイわるウイルス〟が未曾有の大パニックを引き起こしているのは、単にネットのせいである。
 『全共闘以後』でも詳述したように、日本の場合はネット社会の到来以前に、85年の「ニュース・ステーション」の成功がパンドラの匣を開けてしまう形で80年代後半に〝報道のバラエティ化〟が急速に進行し、95年の阪神大震災(「がんばろう◯◯」の大合唱の始まり)とオウム事件(オウム・バッシング)を決定的契機として、マスメディアは完全に同調圧力やマス・ヒステリーの牽引・増幅装置と化していた。したがって90年代後半に本格的に普及してゆくネットは、日本においては、マスメディアが地ならしをすでに済ませた、異論排斥のヒステリックな風潮をよりいっそう推し進める役割を果たすものでしかなかったし、やがてマスメディアの側が〝ネット世論〟に引きずられるようになっていくという立場の逆転は伴いつつも、ネットとマスメディアは二人三脚で全体主義の完成に貢献してきた(念のために付け加えておけば、全体主義=ファシズムではない。米ソ共同のプロパガンダにみな騙されてきただけで、本当は全体主義に最も強力に反対する思想がファシズムであり、逆に云えば米ソ発令の〝ファシズム禁止令〟が今なお強力に効いているからこそ人々は全体主義に抵抗する有力な運動を形成しえずにいるのである)。
 諸外国は日本の場合とは逆に、まずネットの普及が先行して、2001年、日本のオウム事件にあたる〝9・11〟テロ事件を迎えることになった。〝9・11〟を機にやはりマス・ヒステリー的な監視社会化が世界的に急速に進行し始め、日本とは違ってネットはむしろそれに同調しない少数派の武器でありうるかに一時は誤認されもしたが、結局は、しょせんネットなどというものはマス・ヒステリーへの抵抗運動よりもマス・ヒステリーそれ自体に親和的であるというミもフタもない事実が、イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ政権誕生でほぼ疑い得ないものとなり、今回のコロナ騒動で完全に証明された。
 考えてもみよ。もしネットがなければ、ネットと連動したマスメディアのヒステリックな報道がなければ、わずか半世紀ほど前にも猛威をふるって忘れ去られたものと大差ないはずの〝チョイわるウイルス〟に、諸君はこれほど脅えていたであろうか?
 たしかに老人にはかなり危険なウイルスではありそうだ(それでも死に至る者より治癒する者のほうがずっと多い)。ならば老人だけ家でじっとしていればいいではないか。中年もあまり気にしなくてよさそうだし、まして若者が脅える必要など一切ない。老人に伝染すのが心配ならしばらくの間なるべく老人に近づかなければいい。
 そもそも老人が病気で死ぬのがそんなに異常なことか? 逆に老人の立場になって考えてみて、罹ったからといって必ず死ぬわけでもない病気に絶対に罹らずにいたいから、この老いた私1人のために、すべての若者は生活が破綻しようがどうしようが家から一歩も出ないで引きこもっていてくれ、などと身勝手なことを云い出すようになったら死んだほうがマシではないか。
 若者だって重篤化するんだぞ、などと云ってくる者もあろう。マスメディアもさんざんそう煽っている。少年による凶悪犯罪は警察の統計でさえどんどん減る一方だったのに、95年以降、マスメディアがごく例外的な少数の事例をセンセーショナルに報じまくった結果、少年犯罪に対する不要不急の厳罰化が繰り返しおこなわれてきた。どうせそれと同じ話なので、私は騙されない。

 したがって私は、コロナ・ウイルスごときの蔓延にはまったく動じていない。私だってなるべく死にたくないが、まだ50歳になってもいない私がコロナに感染したところでまず死にゃあしない。1週間かそこら、うんうん苦しむだけのことだろう。その程度の〝タチの悪い風邪〟は、どちらかというと病弱な私は過去に何度も経験している。個人的には、飛行機に乗ることのほうがよっぽど怖い。

 コロナのことは何とも思っていないが、日本人の圧倒的多数のFラン劣等民族ぶりにはハラワタ煮えくり返っている。ネットとマスメディアに踊らされて「コロナ怖いよー」とただ家に引きこもっているだけならまだ可愛げがある。マス・ヒステリーに同調せずに引き続きフツーに街に繰り出している冷静な人々を非難し、補償がないんだから営業を続けるしかない飲食店やライブハウスや風俗店を攻撃し、罰則を伴う外出禁止・営業禁止など政府の強権発動を(しかも補償の話は後回しに)求め始めたりする始末である。数年来「アベやめろー」と喚き続けてきたリベラル連中ですら、あろうことか安倍ちゃんが強権発動をしないことを批判し始めて化けの皮を剥がされ、私なんか、そんな連中にバトンタッチされるぐらいならむしろ安倍ちゃんにずっと首相を続けていてほしいと願ってしまう。
 政府は今回べつに本来は何もしなくてもよかったんじゃないかと私は考えている。最低限、陛下だけお護りしていればそれで充分だった。
 もうちょっと常識的なことを云えば、万が一のために医療体制を特別シフトに移行させつつ、老人や病気持ちに対してのみ〝外出を控えるように〟とアナウンスしていればよかったのではないか。
 が、政府はすでに余計なことをしてしまった。つまりマス・ヒステリーに迎合し(まあオリンピックがらみで諸外国の目を気にしただけかもしれないが)、臨時休校だの、全国民への外出〝自粛〟の要請だの、マス・ヒステリーを却って追認してしまうような施策を次々と打ち出した。とくに〝夜の街〟に繰り出すことに悪のレッテルを貼りつけるようなアナウンスの仕方は、その〝夜の労働者〟たちへの何らの補償を伴うものでもないかぎりは、単なる営業妨害であり、棄民政策である。しかも一方で、感染リスク的には密閉空間で飲んで騒ぐのと大差なかろう満員電車での通勤を余儀なくされている〝昼の労働者〟のことは放置しているのだから、チグハグにもほどがある。マス・ヒステリーに迎合するにしても、補償と引き換えで、かつ全産業規模での自粛要請でなければFラン政策である。
 とはいえマス・ヒステリー状況はすでに既成事実化してしまっており、もう後戻りはできない。〝夜の街〟からはすっかり人通りが絶え、すでに廃業してしまう飲み屋なども出てきているはずである。この状況があと何ヶ月、あるいは1年以上続くのかどうか分からないが、経済がメチャクチャになってしまうことはもう間違いない。
 現時点では愚かにも〝自粛〟要請におとなしく従っているFラン人民も、さらに何ヶ月も補償ナシの引きこもり生活に耐えられるはずはなかろうし、また〝昼の労働〟は自粛しないのであれば感染拡大が止まるはずもないし、いかに無能なFラン政府といえども最終的には(外国人にだって自粛してもらわなければいけないのだから当然外国人も含めた)一律の現金給付を伴うさらに本格的な自粛を要請せざるを得なくなるだろう。そして諸外国の例を見れば、べつに外出自粛を徹底したところで感染拡大はちっとも止まらないのだから、何の意味もないだろう。要するに現時点で確かなことは、あと数ヶ月か数年か、この異様な混乱状況が続き、それが収まった時に社会は今とはまったく違う姿をしているだろう、ということだけである。
 革命情勢ではある。
 先の見えない歴史的動乱の渦に身を躍らせることこそ、革命家が最大の歓びとするところだ。こうしてこうしてこうすれば、かくかくしかじかでこうなると予測し、そのとおりに事態が進展したところで面白くも何ともない。まさか現在のような状況になるとは、今年の初めどころか1ヶ月前にもわずか10日ほど前にすら想像だにできなかった。この息苦しい社会に何らかの変化が兆し始める可能性など1つもないように感じられて、実は私は本格的に絶望しつつあった。それが、こんな取るに足らない〝チョイわるウイルス〟ひとつで大混乱に陥ろうとは……。
 もちろん今回の混乱は短期的にはさらにろくでもない事態に帰結するには違いない。Fラン政府に愛想を尽かしたFラン人民が渇望しているのは、よりいっそうの監視社会・管理社会でしかないからだ。しかし、よりろくでもない状況への急激な変化は、それに対する抵抗者の存在をもより明確に可視化させ、つまりその団結を容易にするはずだ。
 私がこのかん呼びかけてきた、「せめて麻生あたりが罹患するまで街に繰り出し続けて感染爆発を推進しよう!」などというのは話を面白くするためのレトリックである。もちろん、無能ではあるかもしれないが悪い人ではなさそうな(あの思想的にはまったく相容れなさそうな夫人との仲睦まじさを見よ)安倍ちゃんと違って根っからの悪人に違いない(例えば故・野中広務について「部落民を総理にするわけにはいかない」と放言したような)麻生など死ねばいいのだが、〝想い〟が届けばラッキーという以上ではない。今回の騒動で露呈したのは、安倍ちゃん支持派も「アベやめろー」勢も、マス・ヒステリーに迎合するかマス・ヒステリーそのものでしかないという同類性であって、そのいずれとも対峙する新潮流の形成こそが、オウム事件以来この四半世紀の変わらぬ最優先課題なのである。
 少数派の諸君。今こそ街に繰り出せ。Fラン政府に何かを期待するデモなどやらなくてよろしい。確信犯的に、〝単なる飲み会〟や〝単なるイベント〟を繰り返し企画し、呼びかけ、街のど真ん中で開催せよ。そこに集まってくる者たちが同志だ。この〝不要不急の外出〟闘争についてSNSでもっともらしく〝批評〟し合っている口舌の徒や、おとなしく活動自粛して自身の表現など字義どおり〝不要不急〟のものでしかなかったことを自己暴露してしまったサブカル連中など、歴史の屑かごに放り込まれるに任せよう。
 よほど稀に見るほど運が悪くないかぎり、若い諸君は感染したってせいぜいしばらく寝込むだけのことで、むしろコロナ・ウイルスは諸君の味方である。ただフツーに街へ繰り出すだけで(意識的に飲み会など呼びかければますます)頼もしい同志にめぐり会えるという、またとない機会が与えられたのだ。そもそも手を組みようもない反革命分子どもが全員おウチに引きこもってくれているマス・ヒステリー状況をこれ幸いとして、波状的に街へ繰り出し、我々少数派の革命的戦線を今のうちにまんまと構築してしまおうではないか。

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