反共ファシストによるマルクス主義入門・その3

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

  「その2」から続く〉
  〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2014年夏から毎年、学生の長期休暇に合わせて福岡で開催している10日間合宿(初期は1週間合宿)のためのテキストとして2016年夏に執筆し、紙版『人民の敵』第23号から第26号にかけて掲載したものである。
 ともかく、これさえ読んでおけば(古典的)マルクス主義については大体のことは押さえられるという、我ながら良い入門書ではある。

 性質上、他人の本からの引用部分も多いのだが、面倒なのでそういった部分も含めて、これまでどおり機械的に「400字詰め原稿用紙1枚分10円」で料金設定する。とにかく“これだけで大抵のことは分かる”素晴らしい内容なんだから、許せ。
 第3部は原稿用紙19枚分、うち冒頭5枚分は無料でも読める。ただし料金設定にはその5枚分も含む。

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   5.ブランキ

 このブオナローティを経由してバブーフの思想を受け継いだ、19世紀フランスの革命運動シーンの最重要人物がオーギュスト・ブランキ(1805〜81)である。これもひとまず世界史用語集を見てみよう。

 「フランスの無政府主義者・革命家。フランスで生じた革命運動に関わり、36年間も獄中生活。人民の総武装とプロレタリア独裁を主張した」

 「フランスの革命家。1827〜71年のすべての革命運動に参加・指導した。ために30年を獄中で過ごした。少数精鋭者による権力奪取と独裁を主張した」

 これだけでは何だかよく分からないだろうが、ここに引いたのとは別の山川出版社の用語集では、「生涯に計30年以上を獄中で過ごすが、不屈」とあり、客観的な記述が要求される性質の本に「不屈」とあるのだからよっぽどのことである。引いた中に「1827〜71年のすべての革命運動に参加・指導」とあるのはつまり、1830年の7月革命、1848年の2月革命、1871年のパリ・コミューンという19世紀フランスの革命運動史のそれぞれ画期をなす3つの革命にすべて関わり、とくに後者2つでは指導的役割を果たしたということだ。マルクスの思想が「マルクス主義」としてエンゲルスによって体系化され、その威勢が高まる以前には「共産主義者」と云えば普通はブランキ派のことだったと云われるぐらいの重要人物なのだが、正統派のマルクス・レーニン主義の立場からは、「ブランキズム」と云えば「鉄の規律で団結した少数精鋭の秘密結社的な党派による権謀術数的な革命方針」といったニュアンスで、評判が悪い(後に述べるように実はマルクスもこのブランキの間接的影響を受けているのだが)。

 私が強く影響されている笠井潔千坂恭二はブランキを高く評価しており、笠井・千坂が好んで使う「革命は彼方より電撃的に到来する」というフレーズも元はブランキによるものである。私自身、18歳から20歳(89年〜91年)までのマルクス主義者時代の後、ファシズム転向する32歳(03年)までに挟まれた10余年間は、笠井潔の影響で「ブランキスト」を自称していたほどであるから、少し詳しく紹介しておく。

 前記のとおりブランキは1805年に生まれているから、7月革命の時点では25歳ということになる。父はフランス革命の際に穏健共和派の国会議員を務めており、兄は後に著名な経済学者になるという、それなりの名家の出身である。7月革命の少し前から、王政打倒などを掲げる革命運動に参加するようになる。7月革命ではバリケード戦で活躍し、革命によってルイ18世に代わってフランス王になったルイ・フィリップから勲章を授けられている。もちろん王政打倒を信条とするブランキが「七月王政」に帰結した7月革命の結果に満足するはずがなく、その後も大小の暴動事件や陰謀事件で逮捕・投獄を繰り返し体験する。1836年ごろ、先述の「バブーフの陰謀」事件の生き残り、ブオナローティと知り合い、大いに影響を受けた様子である。

 プオナローティ経由でバブーフを意識したブランキが1837年に結成したのが、有名な「四季協会」(訳によって「四季の会」、「季節協会」などとも)だ。メンバーはそれぞれ「月曜日」から「日曜日」までのコードネームを与えられ、つまり7人1組で組織の最小単位を成す。うち「日曜日」がその7人組のリーダーで、4人の「日曜日」による上級機関を形成し、そこでは各「日曜日」たちは「第1週」から「第4週」のコードネームを持つ。「第1週」がその4人組のリーダーであり、さらに上級の機関のメンバーである。その上級機関においては今度は「1月」から「12月」までのコードネームで互いが呼ばれるのであるが、12人で1組ではなく3人1組で、それぞれのリーダーが「春」「夏」「秋」「冬」である。「春」から「冬」までの4人が集まるさらなる上級機関のリーダーが「年」であり、ブランキが組織したこの秘密結社「四季協会」には3人の「年」がいて、もちろんブランキもその1人であり、おそらく「第1年」とかで、組織全体のリーダーである(他の2人の「年」はアルマン・バルベスとマルタン・ベルナール)。

 単純計算して1つの「年」の構成員は336人、それが3つあったというのだから、メンバーは総勢千人あまりということになる。で、何をするかというと、これが何もしない。

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