素人の乱・前史 山下陽光インタビュー(2009.6.29)【無料記事】

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 2010年1月に、ブログ「我々少数派」で公開したものである。
 まず、その公開時の「前置き」は以下のとおり。

 これから公開する山下陽光(やました・ひかる)氏へのインタビューは、2009年6月29日深夜、東京・高円寺の飲み屋〈素人の乱9号店・セピア〉でおこなわれたものである。
 山下氏は05年9月、“素人の乱・総帥”の松本哉氏と共に高円寺・北中通りにて、〈素人の乱1号店〉を始めた。インタビュー中でも触れられているとおり、同店は松本氏のリサイクル・ショップと山下氏の古着屋(と小笠原慶太氏のインターネット・ラジオ)との融合体であった。1号店は当初の予定どおり3ヶ月で建物の取り壊しのために閉店し、その後、同じ北中通り内やその近隣に、それぞれが独立して開店。素人の乱では、移転をくりかえしたり、また別の友人・知人が仲間として参入して独自の店舗を出すたびに(例えば過去に存在した〈1号店〉は欠番にして)「2号店、3号店……」と数えていくので、現在、山下氏が開業している北中通りの古着屋・シランプリは(その間にも1度移転をした経緯もあり)〈素人の乱10号店〉となっている。
 インタビューの場には私と山下氏の他に、いずれも山下氏の古くからの(もちろん素人の乱を始めるはるか以前からの)友人である上記、小笠原慶太氏と、9号店セピアの店長であるノラネロ氏が同席した。

 私が思うに、今回インタビューした山下氏という人は、松本哉と並んで素人の乱の“もう1人の中心人物”であり、素人の乱を始める以前に彼が10年近くにわたって高円寺で展開してきた一種の(しいて云えば)前衛美術運動は、現在に至る素人の乱の運動の展開や作風を大きく規定している。
 というか実態としては、そもそも高円寺には山下氏を中心とした、独特のセンスを共有するそうした若者たちのシーンが2000年代前半に形成され、そこに、それまで別の場所でやはり数年の年月をかけて独自の運動展開をしてきた松本氏が合流してくる形で、素人の乱が誕生するのである。
 にも関わらず、素人の乱はたいてい、近年の“プレカリアート云々”の文脈で語られがち(というか要するにしょーもない今どきの左翼主流派の文脈に回収していこうという、例えば毛利ナントカあたりがやってるような)で、こうした経緯はハショられてしまう印象があり、私はそれに大いに違和感を持っていた。
 今回のインタビューは、そのあたりを私なりに形にしたいという思いからおこなったものである。

 ※なお2019年現在、山下氏とノラネロ氏はすでに東京のそれぞれの店を引き払い、山下氏は福岡、ノラネロ氏は鹿児島で暮らしている。

 以下、本文である。

     ※          ※          ※

外山 ではもう、ざっくばらんに、半生を語り倒していただきたいんですが、まあ最初はオーソドックスに、生まれた年でも。

陽光 1977年、昭和52年の11月30日、長崎県生まれです。

外山 長崎市?

陽光 生まれたのは長崎市なんですけど……。

外山 育ちは長崎市じゃないの?

陽光 一瞬、生まれただけでで、育ちは現在は諌早市になってる多良見町っていう何もないところで……何もないっすよ、そこからは。28ぐらいまで何もないんじゃないですか(笑)。

外山 いくつまで長崎に住んでたんですか?

陽光 18までですね。

外山 高校まで?

陽光 はい。

外山 高校も諌早なの?

陽光 高校は長崎市のなんかどうしようもない……。ほんとは諌早にある、諌早商業高校ってところを受けるはずだったんですけど、なんか私立受けたら受かっちゃって、改めて1週間ぐらい勉強したりするのがイヤになって、親に「もう受かったから、こっち行っていいかな」って云ったら、「いいよ」って云われたもんで。

外山 その、宮武外骨とか赤瀬川原平とかってのは、高校時代にすでに知ってたの?

陽光 全然知らなかったですね。その頃は……。

外山 どういうものを好んでたの?

陽光 パンクは好きでしたね。だから音楽は聴いてましたけど。

外山 パンクっていうと、どの辺を?

陽光 いや、セックス・ピストルズとかブルーハーツとか……あと九州だし、スワンキーズとか。

外山 じゃあ高校時代というのは基本的にはそういう、パンク・ロック好きの少年というか……。

陽光 でしたね。で、毎日面白くないから、これはたぶん卒業しても面白いことなんかないぞと、長崎にいても。だから大阪に行くしかないんじゃないかってのも思ってたんですよ、高2ぐらいの頃に。

外山 その頃にイメージしてた“面白いこと”というのは?

陽光 一応、お兄ちゃんがバンドやってて、フツーにイベントをやったって面白くないから、バンドとバンドが出る間に、何か映像を流したいから、おまえ何か映像をやってみないかってふうに振られて、そんな、ビデオカメラすら持ってないのに映像やれって云われて。それで高校の頃によく秘密基地とか作ってた……高校生なのに秘密基地とか作ってた友達に、どうしよう、映像を任されたんだけどどうしようって……。

外山 えーと、ちょっとそこ流したくないんだけど(笑)。高校時代に秘密基地を作ってたっていうのは、どこにどんなふうに作るの?

陽光 いろいろチャレンジしたんですよ。あんまり覚えてないんですけど、誰も通らない橋の下とかに、「ここは誰も通らないからもうおれたちの場所にするしかない」とか云って、ただラジカセ持って行って音楽かけて、ペプシ飲むだけなんですよ(笑)、酒も飲めないから。

外山 そういうことに付き合ってくれる友人がいたんだ。

陽光 1人だけですけどね。そいつと……鋲ってあるじゃないですか。パンクスって云ったら鋲が基本なんだけど、鋲なんてどこに売ってるか分かんないから、とりあえず「ナフコ」行って、犬の首輪を買ってきて。鋲がちょっと打ってあるじゃないですか。あれを焼いて。鋲ってほんとは打ちつけなきゃいけないんだけど、それをどうにか革に打ってある鋲をムリヤリ抜いて、ペンチで打ち込むっていうのをやってましたね。とにかく鋲をつけなきゃ始まんねえって。
 リストバンドもどこ売ってるか分かんないですからね、ベルトを小っちゃく切って首に巻いて、ハンダゴテで穴あけて、クギ刺してましたからね(笑)。クギ刺して古着屋行って喜んでましたから、その頃。

外山 そういう、高校時代のパンク少年としての生活っていうのは、情報源はどの辺りなの?

陽光 情報源は、まあ『DOLL』とか、それこそ外山さんが掲載されるかされないかってモメたかモメなかったかでおなじみの……。

外山 『バンドやろうぜ』?(後註.ソウルフラワーユニオンへの批判的インタビューをやったことが原因で、連載「つれづれパンク日記」が1回飛んだ。94年のエピソード)

陽光 ええ。あと『ゴア』。

外山 ゴア?

陽光 あったんですよ、長崎に一瞬だけミニコミみたいなのが。まあでも『DOLL』でしたね。『DOLL』とか『宝島』とか。それはお兄ちゃんが毎月買ってきてて。

外山 あ、お兄ちゃんがそもそもそういう人で。

陽光 そうですね。

外山 その影響はけっこう強いの?

陽光 ええ。うちにパンクの黒船が来たのが……うちの兄貴がBOΦWYが好きになって友達からBOΦWYのカセットを借りた、そのB面にラフィン・ノーズが入ってたらしいんですよ。そこからパンクが輸入されたみたいですよ、どうやら。
 オガワ酒店のオガワコウジって人がいたんですけど、その兄ちゃんが何か音楽オタクだったらしく、当時のいろんな最新の音楽がどんどんオガワコウジに入ってきて、オガワコウジと同級生だった兄ちゃんがそれをどんどん吸収して、それをおれが聴いて。兄ちゃんがいない時にこう、聴いてみたりとか。バレないように『DOLL』とか読んで。
 たまり場になってたんですよ、小学生の頃からおれんちがなぜか。おれんちはけっこう遠いっていうか、小学校も中学校も遠くて、長崎だからってわけでもないけど坂の上にあって、でもなぜか当時遊んでた小学校の同級生とかが、うちが居心地がよかったらしく、毎日おれんちに来てたんですよ。毎日、何をするわけでもなく。で、陽光の兄ちゃんの部屋には何かがあるらしい、みたいな感じで。

外山 あ、それは兄のじゃなくて陽光さんの同級生たちが。

陽光 そうですそうです。で、みんな来てて。

外山 お兄ちゃんとはいくつ離れてるの?

陽光 2つです。

外山 それでお兄ちゃんとこに“黒船”が来たのは何歳ぐらいの時なの?

陽光 小学校6年生ぐらいじゃないかな。

外山 それはどっちが?

陽光 兄貴が。

外山 その時点でもうラフィン・ノーズが入ってきたんだ。

陽光 中1だったかもしれないけど。

慶太 でも陽光くん、クラスで一番初めにブルーハーツを遠足のバスで……。

陽光 あ、そうそう。

外山 お、何か武勇伝が。

陽光 いや、バスに乗って社会科見学に行くから、何か好きなカセット・テープを持ってきてもいいよって云われて、おれ、お兄ちゃんから無理して借りたブルーハーツのファーストを、「かけてください」ってかけたら、それこそ「リンダリンダ」とか入ってるわけじゃないですか。もう総スカンですよ(笑)、誰も聴いたことないから。何だコレって。

外山 理解されず。

陽光 で、担任の池谷先生から、「今度からみんなが知ってる音楽をかけてくださいね」みたいな感じのことを云われて。翌年、『はいすくーる落書』でもう“みんなが知ってるブルーハーツ”になるんですけど。

外山 それは小学生の時?

陽光 小4か小5でしたからねえ。

外山 中学生になる頃はじゃあ、すでにもうちょっと本格的な……。

陽光 だっておれの同級生がそれに感化されて、小学校にラバーソウルはいてきてましたからね(笑)。ゲタ箱に入んねえから、一足ずつラバーソウル入れて(笑)。それで軽くいじめられっ子になってましたから。そんくらいマセた子供でしたよ。

外山 で、もう中学生の頃にはピストルズとかクラッシュも聴いてるような?

陽光 聴いてましたね。それで何かあるわけでもなく。

慶太 映像を頼まれた件は?

陽光 ああ。

慶太 それはいつぐらいの時?

陽光 それは高2ぐらいの頃ですね。幕間に映像を流すからって。今で云うところのVJですよ。でもそんな、VJキットも当時はないし、もちろん「この映像が面白い」と思っても、拾ってきたVHSデッキ2台を重ねて一時停止押して、うまい具合に編集するような。
 で、何かカッコいいもんって云ったら「英字新聞がカッコいい」みたいな感じじゃないですか(笑)。外国っぽくしたいから。そんで江口のオバチャンっていう、うちの母ちゃんの友達の、警察の嫁がいるんですけど、その人んちぐらいだったんですよ、唯一、MTVが映るのが。その人に無理矢理もう、とりあえずVHSを1本渡して、「3倍モードで、何でもいいからMTV録画しといてください」って、何が釣れるか分かんないところにどうにか引っ掛かってきたもんを、またVHSに入れて、編集して。
 で、VHSのカセットあるじゃないですか。カセットを全部、分解するんですよ。で、巻いてあるのを逆回転に巻きなおして再生させると、ノイズはめちゃくちゃ走るんですけど、そうやって巻き方を変えるだけで、普通は人がこう歩いてるのが、こんなになって歩いてるように見えるんですよ。「これはすごい」って云ってもう、VHSを全部バラして、切って、メチャメチャに編集して、つないで、それをまたダビングして、みたいな。それこそ寺山修司の『田園に死す』とか、『ファッション通信』とかMTVとかをメチャクチャに貼り合わせて1本の映像にして、全然何の脈絡もないんですけど……。

慶太 何かカッコいいんだ。

陽光 なんか外国っぽいんじゃねえのって(笑)、やってましたね。えーと、4歳ぐらいの頃。

慶太 嘘つくな(笑)。

陽光 今のCD-Rとかi-Podみたいな感じで、当時はカセット・カルチャーじゃないですか。で、カセットは、白い(透明な)ところがあって、黒いところにきて初めて音が流れるじゃないですか。再生を押した瞬間に音鳴りたいから、白いとこ全部ブッちぎって。全部バラしてね。

外山 それは何かのイベントの時じゃなくて、ふだん聴いてるテープを?

陽光 ふだん聴いてるテープを、とりあえず全部バラして、白いとこ全部切って。そのテープで、録音と一時停止を押しといて、曲が流れた瞬間にパッと一時停止押して離して録音すれば、もういきなり再生を押した瞬間から曲が始まるようになるんですよ。それがやりたくてしょうがなくて。
 あと、A面が25分でB面が18分とか、そういうテープだったら、25分で終わって、次にB面に行ったらすぐ始まりたいとかで、だからもう25分終わった瞬間でまた編集して。それ以上いらねえって。そういうことやってましたね。

外山 “えび”とか聴いてたってのは、それも高校時代?

陽光 “えび”は小学生ぐらいじゃないですかね。

外山 あ、そんなに前なんだ。それは何がきっかけで知ったの?

陽光 “えび”はイカ天でやってて……。“えび”が来てたらしいんですよね。おれも兄貴も見には行ってないんですけど、長崎にサニーボーイってレコード屋さんがあって、そこで働いてた人たちがファンタジーズってバンドやってて、イカ天に出てるんですよ。その関係からか何か分かんないけど長崎の何ちゃらFMで、ファンタジーズって名前だったかちょっと曖昧だけどそのバンドが番組を持ってて、そこに“えび”が出たりとか、ライブに来たりとかしてたらしくて。それを兄貴がエアチェックしたカセットを盗み聴きしたり。

外山 長崎のそういう文化圏みたいなのが、やっぱりあるでしょ? 例えばパンク系の人たちのとかも。

陽光 いやあ、ないに等しかったんじゃないですか。

外山 バンド・シーンとか。

陽光 ほとんどないと思いますよ。バンドがいくつかいるとか、そんぐらいじゃないですかね。

外山 まあライブハウスそのものがね。

陽光 そうですね。いてもまったく年上の兄ちゃんみたいな人たちとかだから。

外山 そういうところとかとは接触もなく。

陽光 せいぜいうちの兄ちゃんがちょっと知ってるとか、それも面識がちょっとだけあるっていう程度の感じじゃないですか。その弟だからもう、まったく分からないですね。あったのかもしれないし。

外山 じゃあ基本的にはまあ、パンク少年で、時々兄貴のバンドのライブとかを手伝ったりというぐらいの。

陽光 そうそう。

慶太 でも“えび”とかってけっこう政治的な歌詞じゃないですか。そういうのとか、分かるもんなの?

陽光 全然分かってなかったよ。

慶太 じゃあ何がカッコよかったの?

陽光 “えび”はずっと好きで、逆に東京に出てくると“えび”とか当たり前に知ってる人がいっぱいいて、それに驚くんだけど、例えば「日本人」って歌の最後に、“臥薪嘗胆の結末だ”って歌詞があるでしょ? それもおれは“家賃商談の月末だ”って思ってたもん(笑)。「全然違うよ、陽光くん」って云われて。「臥薪嘗胆だよ」って。その言葉の意味分かんないわって(笑)。
 だけどそういうとことか英語みたいな部分は分かんないけど、例えば「貧乏は敵だ」とかの“納豆、卵、味噌汁は……”とかって部分は分かるから。まあそんな感じでしかなかったよね。

慶太 歌詞もそうだけど、“えび”って何かもう、違ったじゃん。生意気っていうか、イカ天に出た時も三宅裕司がどうしていいか分かんなくなるぐらいの。ああいうところが好きだったのかなって思ったんだけど。

陽光 でも実際に“えび”がイカ天に出た時の映像なんて見たことないし。見たのは、“イカ天ベスト10”とか“ベスト20”とかってコーナーの6位ぐらいに“えび”が出てて、それはもう7秒ぐらいしか出てないんですよ。“イカ天ランキング”みたいなコーナー。その7秒ぐらいを、うちの兄貴がもう、400回ぐらい見るんですよ(笑)。いいも悪いもないですよ、そこしか見せられてないんだから。もう“いいものなんだ”って思うしかないじゃないですか(笑)。

外山 兄貴が400回も見るぐらいなんだから(笑)。じゃあ兄貴も“えび”が好きだったんだ。

陽光 兄貴が好きだったんですよ。でもう、そこしか見せられてないんだから。それがすごいんだって思うしかないっていう。

外山 結局やがて長崎を出ようと思うわけですよね。

陽光 そうですね。

外山 それはいつ頃から?

陽光 高校2年の時におれ、高円寺に来たんですよ。それこそ兄貴に内緒で盗み見てた『宝島』に、“この街に住め”っていう特集で、もう大変なことになってるんですよ。

外山 どんな感じに?

陽光 もうなんか、20000Vかレイジーウェイズか分かんないですけど、こんなモヒカンみたいな人が、こんなんなって座ってて、とにかくBOYってレコード屋はあるわ、20000Vはあるわ、20000Vの中に『DOLL』の編集部はあるわ、もうとにかく“パンクの街”みたいになってて。

外山 実際に行ってみてもそうだったの?

陽光 そうですね。だっておれ、小学生ぐらいの頃に『元気がでるテレビ』でしか見たことなかったようなヘビメタの兄ちゃん見て、尾行したんですよ(笑)。近所に住んでたことが分かったんですけど。ただいまだにあれが誰だったのかは分かんないですけど。

外山 あ、長崎の地元でね。

陽光 ええ。でも高円寺にはそんな人ばっかりいる、みたいな。そんなとこ行ってみたいなと思って、行ったら案の定、楽しくて。その時に来ましたからね、この辺も。タブチでカレー食ったりとか、しましたからね。これは楽しいなと思って。絶対住みたいなって。そんでこっち来て。

外山 それは進学とかじゃないんだよね。

陽光 進学ですよ。文化服装学院の夜間部に入り……。

外山 どういう形で東京に出ていくかってのは、その高2ぐらいの時点でもう?

陽光 そうですね。高2ぐらいで来て、これはヤバいなと。その時は青春18きっぷで東京に来たんですけど、大阪にも行って、大阪のアメリカ村で、三角公園ってあるじゃないですか。あそこでいきなり映写機かなんかで、「おれらが作ったアニメ上映しまーす」とか云って自分らで作ったアニメーションとか上映し始めて、何じゃこりゃって感じじゃないですか。そんなことがあるのかって。
 で、長崎に昔、マイナーズ・ホリデーってレコード屋さんがあったんですよ。そこの人が、「大阪とか東京のパンクは大変なことになってるよ」とかってそういうミニコミみたいなのを見せてくれて、すげえなあと思ってたら、高円寺とか来たらその時に見たミニコミと同じようなカッコしてる人とかがいっぱいいて、わあっと思って。それでもうこの街に住みたいなあって思いましたからね。

外山 それでその、文化服装学院ってのはどういう選択だったの?

陽光 洋服はすごい好きだったし、パンクの洋服は全部、自分らで作ってるから、そこもカッコいいなと思ってて。ボロとかクラストコアって云われる人たちが、黒いズボンにこれぐらいの布切れとかベタベタ貼って、ほんとにボロッボロなカッコして膝だけ開けて、みたいな。で、自分が好きなバンドの、パッチって云われるシルクスクリーンで刷ったやつがこう、いろんなワケ分かんないところに貼ってあったりして。
 そんなのどこ行っても売ってないんですよ。みんな自分で作るしかないっていうズボンはいてて、それが今のあの、高円寺のセブンイレブンがある、当時は不二家だったとこのカドからそのズボンはいた人がバッと出てきて、あれだーって思って。やっべー、いるわーって(笑)、すげーって思って。世の中に出回ってない、どこにも売ってないものを全部自分で作ってる人とかが当たり前に歩いてて。ライブとかじゃないんですよね、普段フツーに歩いてる。うわーっと思って。

慶太 そういうことだったんだ。

陽光 うちはたぶん読売新聞とってたんですよ。だから読売新聞のファッションの記事の切り抜きとか、テレビでやってた『ファッション通信』とか見て。あとファッション雑誌とか。そういうので何か、大阪のファッションは今はこのへんが熱い、みたいなのを見てたから、18きっぷで行った時に、気になるライブハウスとかレコード屋とか回ったけど、洋服のとことかもいろいろ行って。後で送ったりしましたもんね、自分が作った洋服とかを。置いてもらえませんかって。一切返事なかったですけどね。

外山 じゃあ高校時代っていうのは、音楽とファッション?

陽光 そうですね。

外山 どっちもパンク系の。

陽光 そうです。

外山 音楽の方はべつに、自分でもやるという感じではないけど、ファッションに関しては自分で作るという方向に、もう高校時代から……。

陽光 うーん、バンドとかもやってはいたんですけど。やってたっていうか、友達とスタジオに入るとか、人んちで練習するとかはやってたけど、でも別にあんまりどうでもよかったですね。パンクの洋服とかがカッコいいなあと思ってましたね。何だっけ、ジョニー・ロットンがピンク・フロイドのTシャツに“I hate”って書いて、つまり“PINK FLOYD”って書いてあるTシャツに“I hate”って書き加えて、それをピストルズのメンバー同士が着回ししてたって話とか、カッコいいなあと思って。
 ちょうどその頃、オウム真理教がもてはやされて、それで“こまわり君”の例の“死刑!!”ってポーズの絵柄に赤で、ステンシルで“死刑!!”って書いて、その横に麻原彰晃の写真を入れたTシャツを作って、そしたらもう親にめっちゃめちゃ怒られて(笑)。これ着ておれ東京に行くからって云ったら。それは麻原彰晃が捕まる前だったか、とにかく一番ヤバいぐらいの時期で、ほんとにやめてくれって親に云われて。
 でも面白いじゃないですか。だからアメ横とかでそのTシャツ着て歩いてたら、もう「え、マジ? 死刑になったの?」とか、知らない人からさんざん話しかけられたりして(笑)、これちょっと面白いなと思って。そういう感じの、洋服でそんだけ面白いことができたらいいなと思って、麻原彰晃のTシャツ作ったりとかしてましたね。

外山 あ、そのアメ横にっていうのは高2の時の話?

陽光 高2の時。

外山 で、その後に実際に文化服装学院に進学して上京して。

陽光 ええ。

外山 夜間にしたのは、昼間は何かやりたいこととかあったの?

陽光 学費が異様に安かったんですよ。だから親にもあんまり負担もかからないだろうし。とりあえず東京に出る口実が欲しいってのが一番でしたね。

外山 それでまあ、東京に出てからの話になるわけですが、最初の時期はどういう?

陽光 最初は淋しかったですね。18歳で……。おれ、出てきた時、一人ぼっちだったんですよ。

外山 それはもう当然、高円寺に住んだの?

陽光 高円寺に。大和町3の……203号室に住んで。友達なんか一人もいないし。で、ほぼ毎日20000Vに行ってたんですよ、おれ。まあ“毎日”は嘘ですけど、20000Vのスケジュール見て、気になる、おれに響くバンド名ってだけで(笑)、もうバンド名だけで見に行ってたんですよ。そしたら、うちのお兄ちゃんと一緒にやってたようなバンドとかが東京にツアーに来るとかあって、そのバンドを見にいったら、店員に「あ、知り合いなんだ。ところで君、毎日来るよね」とか云われて(笑)。「そうっすね」みたいな(笑)。

外山 やっぱりそれは珍しいの? 毎日来る、みたいなのは。

陽光 顔も覚えられてたってことですよね。だってもう、童貞みたいな奴が……。実際に童貞でしたからね、来たばっかりの頃なんか。こんな童貞が1人でねえ、1人で暴れたりとかしながらね、外でぼそっと座ってたり(笑)。あの辺ですよ(と少し離れたカウンターを指して)、あの辺にバンドの人とかがいて、おれは1人でこっちの方でこうやって座って、用もないのに(笑)。

外山 ただもうその場にいたいっていう(笑)。

陽光 そんな感じでしたからね。

慶太 で、お店の人に声をかけられて、「毎日いるよね」って云われて……。それはそれっきりだったの?

陽光 いや、それで、その後か前か分かんないけど、高円寺のケンタッキーとマックの間に……っていうかその当時はそういう地理感覚みたいなのはないんだけど、とにかく今思えばあそこに、なんかバンドマンふうの集団がいて、こんくらいの(とまたカウンターを指して)距離でこう、おれが座ってたら、そん中にもうほんとに身長2メートルぐらいの、本田さん(素人の乱6号店・バルデラマの店長)ぐらいの奴がいて、そのすげえ怖そうな奴がワーッと近寄ってきて、もうこんな感じで、「うわっ、マジ殺されるわ」と思って(笑)、「もう長崎に帰ります、文化服装学院で楽しいこと一コもなかったけど、とりあえずおれ若い頃、東京にいたってことは云えるし」って(笑)、「とりあえず殴るのだけはカンベンしてください」って思ってたら、「オーッス」て云われて、おれも「あ、あー」とか云って(笑)、で、その後から、その人に毎日会うようになったんですよ。
 フーテンか何だか分かんないんだけど、毎日いるんですよ。そんで、なんか「こないだ会ったよね」みたいな、「遊ぼうよ」とかって云われて。それが高円寺のケンタッキーとマックの間に、もう毎日タムロしてるグループの人だったんですよ。で、何て云うんですかね、頭がちょっと弱いのか何なのかよく分からないんですけど、何かもう外人みたいな感じで、ちょっと気になったらすぐ声かけちゃうような。「何やってんの?」みたいな。「そのTシャツ、ちょーカッコいいじゃん」とか。

慶太 単なる通行人っていうか、まったく知らない他人に?

陽光 そう、他人に。で、その人とずーっと。とにかくそこに行ったら誰かがいるんですよね。だから今の素人の乱みたいな感じで、もちろん店とかがあるわけじゃないんだけど、そこに行ったらとりあえず誰かがいて、で、今日みたいにこんな感じで会ったら「あ、ナントカ君」っていう。そうやって紹介もされて、気づいたら何かもう……100人ぐらい友達がいるんですよ。「あ、この間の人っスよね」みたいな。
 おれはまだ若造だからさ、そういうトンガったパンクみたいなのもよく分かんないから、とりあえず地味ぃなカッコして端っこでおとなしくしてる感じで、そしたら「誰なの、こいつ?」みたいな。すげー怖いの(笑)。金色みたいなモヒカンの人とかに、「誰だよオマエ」みたいなこと云われて、「あ、いや」って。でもその、2メートルが(笑)、「おれのトモダチぃ」とかって云ってくれて、おれも「あ、ども」って。
 ある時なんかライブハウスに木刀とか持ってこられて、「テメー、マジ、ナメてんじゃねーぞ」とか云われたりして、何にもしてないんですよ、おれ(笑)。ほんとに。何にもしてないのにいきなり木刀持ってこられて、「何の話、しようか」とか云われても。もう何にもできないじゃないですか、そんなこと云われても。そんなのが3年ぐらい続く(笑)。

外山 その身長の高い人は、パンク系の人でも何でもないの?

陽光 いや、バンドをやってる兄ちゃんで、ナガシマ君っていう。

外山 いくつぐらい上だったの?

陽光 3つか4つぐらいじゃないですかね。でももうそんなこと関係ないんですよ、ほんとに。全部関係ないんですよ、その人。子供も大人ももう全部関係なしに、気になったらすぐ声かけに行くみたいな人で。
 ナンパとかもするんですよ、全然うまくいかないんだけど。女の子がちょっとこう……なんかこう、ちょっと病んでる感じで歩いてると、それをいきなりバチコーンって抱きしめて。いきなりだよ。喋りもしないで、ガーンって抱きしめて。女の子は「うわー」ってビックリするじゃないですか。そしたらパッと手を放して、「自由でいろよ」とかって(笑)。女の子も顔赤くなっちゃうみたいな(笑)。そんなこと平気でやってるような人で。

外山 その人が、結果としては100人ぐらいの友達がっていう、そのネットワークみたいなものの中心の人ってことになるわけ?

陽光 そうですね。その人のショックがありすぎて、おれなんかとにかくちょっと外でタムロしたいなっていうのがありますね、今でもずっと。

外山 その時期も文化服装学院にはちゃんとマジメに通ってるの?

陽光 いや、だってオシャレ気取ってるじゃないですか、そんなとこ通ってる学生なんて。そういう高円寺の人たちに比べたら。冗談じゃねえよと思って。おれも何にスネてんのかまったく分かんないんだけど(笑)。オシャレするために文化服装学院に来てる人に対して、「オシャレとかマジ、ヌルいこと云ってんじゃねーよ」みたいな(笑)。みんなオシャレしに来てるのに。「オシャレとか云ってんじゃねーよ」って。
 誰とも友達にならずに、もうシャッターがんがん閉めて(笑)。全然喋ろうとしないんですよ。「いや、分かんないっス」みたいな。スネまくって。

外山 じゃあ学校の友達ってのはほとんどできなかったんだ。

陽光 ほとんど。まあ2人ぐらいですね。

外山 友達はできないとしても、通っちゃいるの?

陽光 ちょいちょい通うんですよね、おれも。ビビってるから(笑)。ちょいちょい通う。でも毎回おんなじ格好で行くんですよ。もうオシャレなんか一切興味ない、みたいな(笑)。エイプとかアンダーカバーとかそういう、“裏原”ムーブメントが大ブームで、それこそ夜間に来てた奴にはエイプの店員とかもいるんですよ。昼は“裏原”が忙しいからって。

慶太 96年ぐらい?

陽光 96年か97年かぐらい。当時いたんですよね、エイプの“名物双子店員”みたいな奴が。おれらアイドルだから、みたいな。「夜間に来ちゃってるけど、おれ、エイプの店員。分かるっしょ?」みたいな。「エイプとアンダーカバー売ってる店員、分かるっしょ?」みたいな感じで(笑)。で、みんなもう「並んで買ったよ、アンダーカバーのTシャツ」みたいな感じで。
 冗談じゃねえよ、と。紺色のズボンに紺色のスイングトップ着て、先生に「オシャレしなさい」って怒られるぐらいの(笑)。「あなた、もうちょっとオシャレしなさい」って云われるぐらいの。……その頃っスかねえ、ノラネロさんに会ったのは(とカウンターの素人の乱9号店・セピアの店長・ノラネロ氏に)。

外山 ノラネロさんとはどういうきっかけで知り合うの?

ノラネロ ホッチっていう共通の友達がいたの。でも会った当初は、たまーに遊ぶぐらいだったよね。

陽光 うん。

外山 その共通の友人ってのは、ケンタッキーとマクドナルドの間にタムロってる人たちのうちの1人かなんかなの?

陽光 いや、なんか20000Vに行く時に会ったよね。20000Vの前で会った。いや、下北で会ったのか。

ノラネロ そうだね。おれは高円寺はあんまり好きじゃなかったからね。

外山 えーと……どこまで行ったんだっけ。

慶太 96年ぐらいで、ようやくパンクの友達が100人ぐらいできて。ナガシマ君のおかげで。

陽光 ××ばっか×ってるんですよ、みんな(笑)。高円寺に来て、友達全員××やってるんですよ(笑)。だからもう“東京はそういうもんなんだ”ってあきらめようって思って。ビックリでしょ、ほんとに。だって全員××やってるんですよ。

外山 そういうものには当然、長崎時代にはまったく縁がないの?

陽光 まったくないですよ。テレビとかでしか知らないから。そんなの極悪人がやるもんだと思ってたから。そしたらもう、そのナガシマ君が名づけた“ブルーハーツ公園”っていう、絶対名前違うと思うけど(笑)、「ブルーハーツ公園行こうよ」とかって。そんで外で思いっきり××をガンガン×って。

外山 ブルーハーツ公園ってどこの公園のことなの?

陽光 いや、すぐそこの公園なんですけど。小っちゃい公園なんですけど。

外山 住宅街の真ん中にあるような……。

陽光 何でもない、もう名前もないような公園なんですけど。「ブルーハーツ公園行こうよ」って。コンビニで万引きしてスーパーで温めるとか(笑)、そういうことばっかりでしたよ。
 こないだ久々にその当時の友達に会ったら、当時は酒を持ってる奴がヒーローだったって云って、でも実は酒は全部××から盗んでたって。搬入口のところから、こうやってもうガッツリ、ダースごと盗んでたって(笑)。で、最近もイケるのかなと思って、試しに見に行ったら、「今でもイケる」って(笑)、云ってましたね。とにかく極悪人でしたよ、ほんとに。

外山 で、そのネットワークの中で何か始めるわけでもないんだよね。

陽光 その頃、おれは夜間だから、昼間はヒマじゃないですか。だからいろんなバイトにチャレンジするんですよ。こっちに来て一番最初に行ったバイトが、ティッシュ配りっていうか、“コンタクトレンズが安いですよ”っていう。ルネッサっていう、たぶん今はない。そこを“ジーパンが汚なすぎる”っていうんでクビになったことがあるんですけど。3人チームとかで、例えば今日は渋谷で配ってくれとか青山で配ってくれとかって感じで行って、休憩時間もみんな一緒で、そんでドトールかなんかに行って、タバコかなんか吸いながら話をして。まあ派遣なんですよね、今思えば。
 で、そこに一番最初かなんかに行った時に、喋ってたら、「あ、高円寺に住んでるんだ」って。「高円寺に住んでるんだったら、“岡画郎”って知ってる?」って云われて、「いや、全然分からないっす」って云ったら、“バードウォッチング展”って書いてあるチラシを渡されて、「ここはけっこう毎週、定例会とかやってるから行ってみなよ」とか云われて。で、うちの近所だからちょっと行ってみようかなあって。チラシには“バードウォッチング展”ってあって“岡画郎”って書いてあるんですよ。画廊って云ったらこっちはもう、イメージ堅いじゃないですか、何か。

(注記)“岡画郎”の“郎”は誤記ではありません。当初は普通に“岡画廊”であったのが、大家だか不動産屋だかに“画廊として貸しているのではない”と怒られたため、部屋の借り主で主宰者の岡氏が、“これは自分のペンネームで、人名である”という意味で、以後“岡画郎”という表札を出した、と伝え聞いています。

外山 立派な感じの。

陽光 うん。でかい長テーブルに、こんな人たちがワインか何か飲みながら、「この絵がどうのこうの」みたいな。

外山 敷居が高そうな。

陽光 「シャガールが」みたいな(笑)。そんな感じかなあと思って行ったら、双眼鏡に単なる鳥がついてるだけで、その鳥を見るっていう。

外山 双眼鏡に鳥がついてる?

陽光 そうそう。

外山 岡画郎って、ぼくが知ってる範囲のイメージで云うと、マンションの上の方の階の窓に、外に向けて何か展示してあったり、人が何かやってたりするのが見えるっていうのを、道を挟んだ向かいの歩道の街路樹か何かに結びつけてある双眼鏡で鑑賞するっていう、そういうコンセプトだよね。

陽光 そうそう。で、バードウォッチング展は、その双眼鏡に鳥がついてるんですよ。だから絶対鳥が見える(笑)。それだけっていう。何じゃこりゃって。
 で、定例会に行ったら、完全に人んちで、岡さんっていう人の家で。完全に家なんですよ。そこが何か、ドロップアウトした頭のいい奴らの空間みたいになってるのが……。おれが初めて行った時にはたしか、関根さんっていう東大卒の人が来てたんですよ。いまだに時々会いますけど。その関根さんが、おれも二次元、三次元までだったら分かるんですけど、“百次元”の話をしてたんですよ(笑)。全っ然、意味分かんなくて。何かをプラスしたら四次元になって、何かをプラスしたら五次元になりますよね、で、百次元なんですけども、みたいな(笑)。全然分かんねーわ、って。

外山 それが行き始めの頃。

陽光 そうですね。そんで「来月はどういう展覧会やろうか」みたいな。「人の洗濯モン干してたら面白いんじゃね?」みたいな、そういう話をしてましたよ。

外山 岡画郎ってぼくは行ったことないからよく知らないんだけど、どれくらいの広さなの?

陽光 こんくらいじゃないですか、ココの3分の1ぐらい。6畳ないぐらいの。

慶太 もう一部屋あるでしょ。いや、あれはベランダか。

陽光 うん、ベランダがある。

外山 で、そこで定期的に会議をやってるの?

陽光 毎週土曜の夜8時ぐらいから定例会っていうのをやってて、来月どういう展示をやろうか、どんだけバカバカしいことをやろうかって話し合う。例えば誰かの洗濯物を干すだけとか、誰かが1ヶ月間そこに住んでるのをいかに見せるかとか、“お見合い”みたいにして向かいの公衆電話からかけてもらって窓のとこにいる人と話すとか。

慶太 陽光くんは毎週土曜日に行ってたの?

陽光 うん。

外山 それはもう行き始めたっていう直後から定着してずっと?

陽光 けっこう行ってましたよ。で、そこに来てる小川さんとか岡さんとかの主力メンバーじゃなくて、おれのちょっと上ぐらいの、何してんのか分かんねーような、『GON!』でライターやってるようなよく分かんない奴とか、旅行いきまくりみたいな22歳の人とか、そのへんの人とはちょっと喋ったりしてた。

外山 その時点で陽光さんは何歳ぐらいなの?

陽光 18ですね。

外山 あ、まだ来たばっかりの頃なんだ。

陽光 ばりばり18ですよ。そんで、そこで岡さんに「陽光くん、そう云えば」って云われて、「あれ? ど真ん中の奴に声かけられたな」って思って(笑)。リーダーから声かかったぞ、って。これは「NO」って云えることじゃねえなって(笑)。
 で、「ダンスのアルバイトがあるんだけど」って云われて、「何ですか」って訊いたら、「武道館で踊るバイトなんだけど」って。武道館で踊るって云ったらSMAPのバックダンサーぐらいしか思い浮かばないじゃないですか(笑)。それはもう、“やる・やらない”で云えばやるしかないと。どう考えても。だから「行きます」と。当然行くに決まってるじゃないですか、って行ったところが大駱駝館なんですよ(笑)。

外山 大駱駝館って武道館とかでもやってるんだ。

陽光 それは何か東京電力が主催してる、ナントカって演出家の人が1万人だかなんだかでやるオペラの中の、“荒ぶる神々”っていう5分ぐらい舞踏のシーンがあるんですけど、そこが大駱駝館の人数だけじゃ足りないっていうんで、いろんなダンス・カンパニーに声がかかったみたい。で、岡さんにも好善社ってとこから声がかかって、誰か若手はいないかって云われて、それでおれが行ったの。

外山 で、それは1回きりなの? それとも……。

陽光 1回きりなんですけど、そこで“伊藤キム+輝く未来”っていうところの研究生だった吉田ナオヤって奴がいて、そいつが初対面のおれに対して言葉も発さずにいきなり蹴ってくるっていう(笑)。何だコイツと思って。

外山 蹴られたのはその……何で?(笑)

陽光 いや、全然分かんない。「よーう!」みたいな感じでいきなり蹴っ飛ばされて(笑)。こっちはもうブルブル震えあがって。(外山のスキンヘッドを指して)こんな人しかいないんだよ(笑)。ツルッパゲの人しかいなくて。で、真ん中に麿赤児がドスンといて。その周りに20人ぐらいの若手がグワッといて、みんなこんな頭で。こりゃ完全にダマされたわと思って。しかもおれ、18歳で一番若いから、「ボウズの奴らがいっぱいいるでしょ。全員オカマなんだよ」って教え込まれて。「本番終わったら全員カマ掘られるから」って(笑)。もう震えあがっちゃってさあ。
 で、とにかく本番は全員ボウズにしなきゃいけないっていう約束だったらしいんですけど、おれもちょっと自意識が高かったんで、「ボウズとかにするぐらいだったら、おれ出ないっすよ」って軽く生意気云って、本番はどうにかおれだけボウズじゃなくてよかったんですよ。でも打ち上げでなぜかみんなに羽交い締めにされて、打ち上げの会場でボウズにされるっていう(笑)。全っ然、意味分かんない。そんなことされても誰も面白くないでしょ。でもそれでそのナオヤって奴とパフォーマンスみたいなことを始めるようになって……。

外山 それは大駱駝館とは別に?

陽光 別で。

外山 大駱駝館の中のユニットとかでもなくて?

陽光 じゃなくて。で、その頃なんですかね、赤瀬川原平の本とかって。いや、その前かな。

慶太 誰が教えてくれたの? 赤瀬川原平を。

陽光 何で知ったのかなあ。でもたぶんその頃ぐらいか……それこそ慶太に出会ったのもその頃ですよ、キノコっていうとこがあって。

慶太 いや、それはその3年後ぐらいでしょ。21だったから。

陽光 あ、そっか。

慶太 だから18で東京に出てきて、岡画郎がありつつ、3年間はケンタッキー前で……。

陽光 そうそう、交互生活の時期がありましたからね。

慶太 一方はやたらともう、ワケ分かんないぐらい知的なシーンで、一方はもうワケ分かんないぐらいアホというか(笑)。

陽光 けっこうバツが悪いんですよ。おれも高円寺に来たばっかりのチェリーボーイみたいな顔しといて、ケンタッキー前を岡画郎の人たちが通ると、「陽光くん、こういう友達もいるの?」みたいな目で見られながら(笑)。

慶太 ケンタッキー前の人たちにも逆に「陽光くん、こういう友達いるんだ」って目で見られる(笑)。

陽光 うん。

慶太 しかし最初は一応、服が作りたいっていうのがあって東京に出てきたわけじゃん。でももう、今の話だとすでに舞踏もやってるし、岡画郎で会議に参加してるし……。

外山 路上にタマってるし……。

慶太 うん。路上にタマって、××も×ってるし……。

外山 天下のブルーハーツ公園で(笑)。

慶太 もう楽しくってしょうがないって感じじゃないの?

外山 18歳の時点でもうそういう暮らしになってるんだもんね。

陽光 だからもう、大変なことになってるなあと思って。

外山 上京するなり大変なことに(笑)。

陽光 しかもおれ小学生ぐらいから『宝島』とか『DOLL』とか読んでるから。もう、みっちり読むじゃないですか、地方にいれば。で、ちょっとしたところで「この人、何々ってバンドやってて」とか紹介されて、「知ってますよ!」みたいな(笑)。「もう実家帰っていいっスか」みたいな。「芸能人に会っちゃったよ」ぐらいの感じなんですよ、もう(笑)。

外山 さっきちょっと訊き忘れたんだけど、18歳で東京に出てきて、毎日のように20000Vに通ってて、そんでそこからその、声をかけられてケンタッキー前にタムロするグループに行くまでに何ヶ月ぐらいあるの? それはかなり一瞬のことなの?

陽光 3ヶ月とかじゃないですか。そんでそのタムロ・グループの人たちって、タダで入れるんですよ、20000Vに。「ちぃーっす」ってもう、挨拶だけで(笑)。だからおれも「ちぃーっす」ってやるんだけど、でもおれ今までカネ払って入ってたじゃないですか。「おいおいおい、おまえはカネ払ってたよな」って。おまえ違うだろ、みたいな(笑)。だから5人で行くんだったら3番目ぐらいに行ってどうにか紛れ込んで。バツ悪かったっすねえ。

外山 それでもやがてはその、タダで入るグループの枠に入れてもらえたの?

陽光 そうなんですけど、だけど1人で行く時はやっぱりお金払ったりして(笑)。

外山 そこはちょっと気が小さいんだ(笑)。

陽光 気が小さかったですね、とにかく。

外山 岡画郎は東京に出てきて何ヶ月目ぐらいなの?

陽光 やっぱり2、3ヶ月目ぐらいじゃないですかね。だからその2、3ヶ月がそうとう淋しかったですね。でもその、ナガシマ君がもう、トチ狂ってるから。ナガシマ君に紹介された友達とちょっと仲良くなったりするじゃないですか、ナガシマ君のいないところで。で、ナガシマ君とこにその友達と一緒に行ったら、「はじめまして」みたいなこと云うんですよ、ナガシマ君が。ナガシマ君が紹介してくれたのに(笑)。「あれ?」っていう。そんなのはけっこうありましたね。しかしまだ……話が現在につながるまで13年あるなあ(笑)。

外山 岡画郎にはどれぐらい通い続けるの?

陽光 行ったり行かなかったりっていう時期まで含めたら、たぶん3、4年ぐらいは行ってたんじゃないですかね。そこで知り合った女の子と付き合ってましたからね(笑)。それからアキラさんっていたじゃないですか。

外山 いや、知らない。

陽光 アンディ・ウォーホルから奨学金もらってたっていう、とんでもないのが。

外山 ぼくは岡画郎の人は小川てつオ君ぐらいしか知らないから。

陽光 じゃあ今のはナシで(笑)。長くなるし。

外山 別に長くなってもいいですよ。

慶太 でもナオヤ君と会って、パフォーマンスみたいなことをするってのは、“ファックス”でしょ?

陽光 うん、そうそう、“ファックス”。

慶太 それまではもうとにかく、インプットはめちゃくちゃされてるわけじゃん。もう無理矢理、レイプされてるぐらい、よく分かんないぐらいインプットされまくってるわけじゃん。でも自分で何かやろうっていうのは、例えば服とかには興味なくなってたの? 文化服装学院に興味がなくなって。

陽光 洋服は……だから今と同じなんだよね。全然もう、手段みたいな感じで。

慶太 アリバイみたいな。

陽光 そうそう。

ノラネロ でも“ニュウニュウ”でバイトしてたでしょ?

陽光 あ、そうそう。それが19歳ぐらい。

外山 それは何?

陽光 “ニュウニュウ”っていう古着屋があったんですよ。それがまあけっこうロマンチックなことに、後に素人の乱の1号店ができる場所にあったんですよ。素人の乱の10年以上前に。そこでおれバイトしてたの。
 それはなんか、友達の彼女がそこで働くようになったって云ってて、おれもバイトしたいから社長に話をしといてよって云ったら、それだけでなぜか入れたんですけど。で、そこがなんかたぶん、今のシランプリ(素人の乱10号店、山下陽光の古着屋)みたいな感じなんですよ。フレックス制なんですよ。何時に行ってもいいんですよ、お店なのに。

慶太 それはフレックス制って云わないだろ(笑)。

陽光 何時に行ってもいいし、たいして売れてもねえから売上でピザとか頼んでも社長もあんま怒らねえし、みたいな感じで。そんで置いてある布で服を作ったりとかして。で、3ヶ月に1回ぐらい合同展示会みたいなのがあって、その展示会で儲けるんですよね。そこに出した服が、「じゃあこれ10枚ください」とか「50枚ください」とかって売れて。

慶太 つまり原宿とかではめちゃくちゃ有名だったんでしょ?

陽光 ニュウニュウ自体はけっこう有名だったみたいで、アクセサリーとかもやってて、で、落ちぶれまくって高円寺に来た、みたいな感じらしいんですけど。

外山 あ、もともとは原宿にあったんだ。

陽光 ラフォーレとかに入ってたらしいですよ。

慶太 ぼくはそういうのをまったく知らないでそこに住んでたじゃないですか(慶太は、現在は素人の乱の店舗が林立する高円寺北中通りの実家に当時も今も住む、生粋の地元民)。陽光くんは今の自分の店みたいだったって云ってるけど、全然そんなんじゃなくて。とにかく売ってないんですよ、服を。むしろ服になりかけてる、みたいなものが束になっていっぱい積んであるだけの場所で、奥でミシンの音が聞こえるのね。意味が分かんないじゃないですか、それでもずっと営業が続いてるから。気持ち悪いところでしたね。

外山 謎の?

慶太 そう、謎のスポットだった。

陽光 そんでそこで洋服作って、一応、店だから、店っぽくしましょうよ、みたいな感じでけっこう内装を頑張っていろいろやってみたりするんだけど、そしたら「陽光くんは店員として雇ってるわけじゃねえんだ」って社長に初めて怒られて。「陽光くんはデザイナーとして雇ってるんだから」って(笑)。「ありゃりゃ?」みたいな感じ。で、なんかアホみたいな、これは絶対に誰も買わないっしょ、みたいな服を作ってたらそれが意外と売れるんですよ、なぜか知らないけど。注文ガンガン入って。

外山 どこで売ってるの?

慶太 そう、それが不思議なんだよ。

陽光 地方とか。とにかくもう“東京で買った”って云いたいような地方の人とか、あとアジアの、台北とか……。

外山 要するに今ならネットで売るような……いや、もうネットがあるのか。

陽光 いや、ネットはあるけど、でもまだあってないようなものだったと思うなあ。

外山 じゃあカタログみたいなもので?

陽光 いや、だから原宿のラフォーレの5階かな、4階か何階か分かんないですけど、そこで何か“フロンティア”っていう、小っちゃいブランドがいっぱい集まって合同展示会をやるっていうんで、いろんなとこにDMを送って。そしたら日本中と、あとちょっとしたアジアみたいなとこから買いに来るんですよ。で、注文が入って、なんかこう、おれがアホみたいに作った服とかを、一所懸命こうやって、買っていくんですよね、これがまた、アホみたいに。

慶太 東京の最先端、みたいな感じで買っていくってこと?

陽光 なのかなあ。分かんないね。で、そんなふうに意外と売れるから、それをまた量産して、売れてくって感じで。

外山 その店に19から?

陽光 19だったか、20だったか。うん、在学中でしたからね。19歳ぐらいの時で。だけど楽しいじゃないですか、そんなの。いつ行ってもいいし、カネは別にそんなにもらえないけど、自分が作った服とかがいろんなところに売れてくのとか面白いなあと思って。

外山 それは期間的にはどれくらい続くの?

陽光 2年ぐらいですかね。

外山 じゃあ、けっこうな濃密な“20歳前後”だね。

陽光 そうですね。

外山 だって今までしてくれた話は全部、ほぼ同時進行の話でしょ?

陽光 ああ、そうです。そうですねえ。

慶太 それが3年間ぐらい続いたんだ。

陽光 うーん……だからもう楽しくてしょうがなかったですよね。

慶太 仕送りもあるしね。

陽光 仕送りも(笑)。8万円もらってたし。

外山 で、その3年間ぐらいのそういう生活からの、転機みたいなものが何か訪れるのかな?

陽光 社長が死んじゃったんですよね。そのバイト先のニュウニュウの社長が死んだのと、あとケンタッキー前に誰もタムロしなくなったっていうのと……。

慶太 ナガシマ君も亡くなったんじゃなかったっけ?

陽光 あ、友達が死んじゃったんですよ。たぶん、一番の転機になるのはそれなんです。

外山 それはタムロってたグループの1人が?

慶太 リョウ君?

陽光 うん。リョウ君が死んじゃって、なんか……。何かやらないと死ぬんだな、と思って。人ってのは、あっさりと。

外山 それは交通事故か何かで?

陽光 いや、たぶん……たぶんというか、ほぼ100%なんですけど、自殺なんですよね。で、これはマズいなあと思って。

外山 ほぼ同い年ぐらいの人?

陽光 そうですね、ぼくの1コ上だから。ノラネロと同い年だね。

慶太 ナガシマ君は単にいなくなったんだっけ?

陽光 ナガシマ君も、その頃いなくなってて。

慶太 そういうことが同じぐらいの時期に重なったんだ。

陽光 うん。で、それで、何かをやってかなきゃダメだなと思って。人を殺しちゃダメだと思ったんです。殺すっていうか、もう死のうかなっていう気分にさせちゃ絶対ダメだって思ったんですよ。でもそんなの分かんないじゃないですか。だけど例えば外山さんが明日、自殺するかもしれないけど、「でも陽光くんが何か軽く面白そうな話をしてたな」と思ったら死ねないじゃないですか。死なせないようにしなきゃなと思って。そこからなんかちょっと、変わったかもしれないですね。変わったというか、何か面白いことやらないとなっていう。

外山 それでそのユニットみたいなことを?

慶太 えーと、ナオヤ君と、陽光くんと、シン君?

陽光 いや、ジン君。

ノラネロ (笑いだして)久々に聞いたわ、その名前。

陽光 ジン君が最近、やたらと落ち込んでるだよねえ。

慶太 何か軽く面白そうな話とかしとかなきゃ(笑)。

外山 それでそれは何をやるユニットなの?

慶太 そう、何やるユニットなの?(笑)

外山 それはさっき駱駝館で知り合ったって云ってた……。

慶太 そうそう。駱駝クンで知り合った……。

外山 ラクダ君で知り合ったナオヤ館(笑)。

慶太 ナオヤ君と、陽光くんと、ジン君もそうだったんだよね?

陽光 うん。

慶太 ジン君も、おんなじワークショップか何かでね。

外山 それがさっき云ってた……。

慶太 ファックスっていう……。

陽光 ファックスっていう、なんか、ラジオドラマを作ったりとか。

外山 その“ファックス”っていうのは……。

陽光 “FUCK”に“S”。

外山 ラジオドラマっていうのは……。

慶太 ぼくが最初に見たのは、“高円寺キノコ”っていう場所で、そこのことは後で説明する機会があったら説明するけど、そこでなんか、自転車と……パーマかける機械?

陽光 ああ。

慶太 でっかい、パーマかける機械。それをなんか3人で、受け渡しながら、たぶん台本とか何にもないんだけど、まあセリフを何か喋ってるみたいな……さっぱり面白くなかったんですけど(笑)。

陽光 そん時のコンセプトが、なんかこう、重いもの持ってたらもう、たいしたこと喋りたくないじゃないですか。そういう時はたぶん会話が研ぎ澄まされるんじゃないかっていう実験だったんですけど……。

外山 研ぎ澄まされず(笑)。

陽光 何てことはなかったですね。全っ然、面白くなかった。あとなんか、田原俊彦の「抱きしめてトゥナイト」の映像を流しながら、近藤さんっていう人の面接をやってたら、トシちゃんがマッチに見えてくるんじゃないかっていう……(笑)。

外山 それはどういう場所でやってたの?

陽光 それも高円寺キノコってとこでやって。

外山 そこはなんかそういう、パフォーマンスをやるような……。

慶太 そこはね……何だろうな(笑)。まあ一応フリースペースっていうか、サロンだね。サロンとして誕生してたんだけど、フリースペースみたいになってきて、さっきの20000Vの話と一緒で、最初は入場料500円でコーヒー1杯飲めるみたいな、で、何にもなくて、ずっとダラダラできるみたいな場所だったんだけど、まあ最終的に「ちぃーっす」で入れるみたいな(笑)、弛緩した場所になっちゃって、そんで……最後の方はもう××を×ってたよね(笑)。

外山 で、そのFUCKSというグループを……。

陽光 FUCKSは……。

外山 作ったのが、さっきの話からすると22とか23とか?

陽光 いや、まだ18、19でしたね。

慶太 それぐらいで作ってたんだよね。

外山 あ、18、19ぐらいで作ってはいたんだ。ということは、その18、19の頃からもう、何かそういうパフォーマンス的なことを……。

陽光 そうですね。それこそリョウ君が死ぬ前にやったのが、慶太とナオヤと、それからトウちゃん(ノラネロ)もいましたけど、で、おれもいて……。

外山 その時にはもうノラネロさんも知り合ってるんだ。

陽光 で、その時に、ハイレッドセンターの『東京ミキサー計画』を読んで、これは面白すぎる、と。

外山 あ、その路線をやろうと……。

陽光 これは何かやらなきゃいけないでしょって云って、モスバーガーで慶太と一緒に話してたんですよ。「もうこれは何かやるべきでしょ」、「こんな面白いことやってる奴らがいたんだ」って話してたら、全然知らない隣の席の、なんか全然ワケ分かんねえ、全然カワイくない女が、「私も参加していいですか?」って云ってくるぐらいおれらは熱を帯びてたんですよ(笑)。誘わなかったですけどね、その女は。
 で、通勤時間にもう、中央線を真っ赤に塗り染めようって云って、全身赤で乗り込んだら面白いんじゃないかって。殺伐とした通勤電車の中に全員赤い服を着た奴らがいたら、ちょっと面白くなるんじゃないのって、それでとりあえず銀座まで行ってみようよって、結局20人ぐらい集まったんだよね。

慶太 そう。すごい。なんかもう舞踏やってる人たちとかも来たり、カメラやってる女の子も来て。

陽光 トウちゃんの当時のバイト先の友達も来たよね。赤い服で来なくて(笑)。

慶太 そうそう(笑)。

ノラネロ そうだっけ? 覚えてないや。

外山 そういう要するに、いろんな場所でそれまでに知り合ってた人たちに、何か思いついたことを提案して、呼びかけて……。

陽光 そうそう。こういうことやるからって。

慶太 ちょっと待って。電車もあったんだけど、“自転車暴走族”は?

陽光 自転車暴走族は19歳ぐらいですね。

慶太 出会う前のことだから、それはおれ知らないんだよ。

外山 それもそのグループの企画なの?

陽光 それは何でやったんだっけな。

慶太 雑誌に載ったんじゃなかった? 『GON!』か何か。

陽光 『GON!』に載りましたね。

慶太 『GON!』の方から云われたんじゃなかったっけ?

陽光 いや、こういうことやるって云ったら取材に来たの。

慶太 そうなんだ。

陽光 ていうか、来いって云ったんだよ……(ここで120分テープが片面終わり、B面に裏返しているところで)……おれが白い部分を切っときゃよかったね(笑)。

慶太 だから、岡画郎がきっかけだったのか、ハイレッドセンターがきっかけだったのかがよく分からないんだよ。

陽光 うん。たしかにハイレッドセンターっていうきっかけは、けっこう遅いんだよね。もう(松原)東洋がその時は来てて……。

慶太 そう、東洋がいた。

陽光 それからナオヤが……。

慶太 だからあれは99年なんだよ。“赤で乗り込め”は。

外山 あ、“赤で乗り込め”っていうのがタイトルなんだ。

慶太 うん。イベント・タイトル。だからFUCKSでもう、それ以前に何回かやってるんだよね。

陽光 うーん……だってナオキ君もいたからもうキノコはあったってことだよね。

慶太 うん、キノコはあった。

外山 さっきの“自転車暴走族”というのは、どんなの?

陽光 自転車暴走族は、何でやろうと思ったんだろうなあ。とにかく自転車で……けっこう自転車ってずっと自信あるんですよ、今まで(笑)。今現在に至るまで。自転車がダメだった時ってないんですよ、全然。「けっこういい自転車に乗ってるね」って云われるためだけに生きてるようなところってあるんですよ。だから、いい自転車だったんでしょうね、その時もたぶん。だから自慢したかったんじゃないですかね(笑)。

外山 具体的には何をするの?

陽光 みんなで自転車で銀座とか行ったら面白いんじゃないかなって思っただけなんですけど。そしたらけっこう……チラシを作って電話番号を載っけて、来た人みんなで走りましょうとかって書いたら、けっこう全然知らない人からガンガン電話かかってきて、その後、合コンとかしましたからね(笑)。

外山 結局、何人ぐらいになったの?

陽光 たしか20人ぐらい来ましたよ。

外山 20人ぐらいで、実際に銀座とかでやるの?

陽光 高円寺から銀座まで行って帰ってくるってだけなんですけど。

慶太 不思議なのは……自転車暴走族とかを自分で企画して人を集めるっていうのと、岡さんの紹介で武道館で踊るってことって、一応、人前で何かするってことでは同じなんだけど、全然違うじゃん。云われて出るのと、自分でやるのとは全然違って、陽光くんはそれまでずーっと3年間、さっきまで話してたような感じでやってきたって云ってたじゃん。全然さっきまでの話と違うじゃん。

外山 つまり早い時期からぽつぽつとっていうか、それともけっこう頻繁にやってたのかな?

陽光 ぽつぽつ、でしたけど。

慶太 しかも人を呼ぶとかさ、まあ外山さんはわりと慣れてると思うけど、なかなか普通の人はできないじゃん。

陽光 それこそね、ぼくが今すごくよくしてもらってる、バンドやってるシズル君ってのがいるんですけど、その人の奥さんが、たぶんまだシズル君と知り合ってもいないぐらいの頃に、めちゃめちゃカッコいい、全身もう黄色いアディダスのジャージに、しかもこんなワケ分かんないチャリンコ乗ってて、その人がおれは高円寺の女で一番カッコいいと思ってたんで、チラシを持っていって、「自転車暴走族っていうのをやるんで、よかったら参加してもらえないですか」って云ったら、「いや、興味ないから」って云われたって経歴があるぐらいの……。

外山 つまり声をかけまくってた、と。

陽光 かけまくってましたね。

慶太 そうだよ、ずうずうしくなってるよ。

陽光 なってましたね。メンツ集めに必死でしたね。

慶太 やっぱナガシマ君とかの影響ってことなのかな?

陽光 何なんだろうなあ。

慶太 だって長崎の頃にイベントを企画したこととかなさそうじゃん。

陽光 ないっすねえ。いやでも、ノラネロさんのおかげですよ……ということでちょっとおれ、ションベンしてきます(笑)。

ノラネロ しかし1時間ぐらい経ってるけど、全然進まないね、話が。

慶太 でもおれはすごく面白いよ。

ノラネロ だってあと10年ぐらいあるでしょ?(笑)

慶太 でもおれはやっぱり不思議なんだよね、さっきのことは。どう思うよ?

ノラネロ 田舎モンだからでしょ?

慶太 ああ……そうなのか。

ノラネロ 田舎モンは「何かしよう」っていうんで東京に来てるからさ、そこらへんの感覚がやっぱり慶太とは違うんじゃない?

慶太 地元ではやりづらいの?

ノラネロ そりゃイヤでしょう。おれも家族とかに「お笑い芸人を目指してる」とか云ってなかったし(註.ノラネロ氏は鹿児島県出身)。

慶太 うん。

ノラネロ お店をオープンすることは、親に保証人になってもらったからバレたんだけど、普通は何をやってるとか一言も云ってないからね。

慶太 じゃあやっぱり東京だから……。

ノラネロ 誰も自分のことを知らない土地だからっていうのもあるし、“何かしなきゃな”っていうのはやっぱりどっかにあるよ。

外山 そのために来てるんだからね。

ノラネロ 田舎者はね。

慶太 ふーん。

ノラネロ おれも今だにやっぱり、どっかにあるもん、頭の片隅にでも。

慶太 なるほど。そうするとやっぱり積極的にもなれるっていうか。

ノラネロ とくに若い時にはそうなるよね。もっと好奇心も旺盛だから。最近はもう自分も32歳になって、だいぶ落ち着いてきてるけど。もうバンドとか見ても興奮しないじゃん。だけど昔のおれだったら、ちょっと面白いバンドが今度やるんだよね、とか云われたらバイト休んで行ったりとかしてたからね。

慶太 おれが会った陽光くんっていうのは、すでにまったくもう積極的な陽光くんだったんだよ。

ノラネロ だから何か「やろう」と思って来てるからじゃないの? むしろおれには松本(哉)さんとかの方が不思議だもん。東京出身なのにあんなにアクティブに動き回ってて、何なんだろうって。どこの田舎モンかと思ったら、「東京なんだよね」とかって云うじゃん(笑)。だからおれの勝手なイメージなのかもしれないけど、田舎モンほどアグレッシブに動いて、やっぱり若い頃に会ったあちこちの田舎から出てきてる友達なんか、みんな必死なんだよ。カッコ悪いぐらい。「オマエ、何やってんの? おれはバンドやってるんだよね」ってもう、云いたいがためだけにバンドやってるような(笑)。
 そういうのがほんとに多かったからね。クラブとか行ってもそうだし。ライブハウスとか行ってちょっと喋ったりすると、「何やってる人なの? おれは服を作ってんだ」とかってのがもうゴロゴロいたから。成功した奴はほとんどいないけど(笑)。雑誌とか見てても、名前は見ないもん(笑)。

慶太 表に出てきてはいないんだ。

ノラネロ うん。もう田舎に帰ってるのかもなあとも思うけど。

慶太 じゃあ慣れたってことなの? 3ヶ月ぐらいでもう東京に慣れて、ずぶとくなって。

外山 そりゃだって、そんな恐ろしい人に声かけられて……。

慶太 そうだよね(笑)。

陽光 (トイレから戻ってきて)全員犯罪者ですからね、おれが高円寺で知り合ったのは(笑)。

外山 万引きしてるわ、××やってるわ……。

慶太 そしたらちょっと恐いモンなくなるかもね。

ノラネロ だってあの辺のああいう雰囲気って、ほんと苦手だからね。やっぱ、ああいうバンドやってる人ってのは、気難しいっていう気がして。例えばチョロッとさ、おれが失言みたいなことしたら、「オメエ今、何つったよ」みたいなさ(笑)。さっきまでこんな感じで楽しく喋ってたのが、「えっ、自分、何か云いました?」みたいな(笑)。全然リラックスできないというか。

外山 常に緊張を強いられる?

ノラネロ そうそう(笑)。

陽光 でもおれがいたそういうとこは、マッチョな上下関係みたいなのも全然なくて。その人が先輩か後輩かってのは分かるじゃないですか、見れば。この人は年下でこの人は年上だなとか。だけど全然、タメ口で喋ってるみたいな。それがすごいなあと思った。むしろ敬語で話すのは“悪いこと”っていう印象があったぐらい。

外山 それは、よそよそしい感じになって?

陽光 うん。

外山 心を開いてない感じに。

陽光 そうそう。

外山 そういう文化圏にいきなり18とかで巻き込まれるかどうかってのは、けっこう大きいよね。

陽光 話を少しハショりつつ行きますか?

外山 いや、時間は別にどんなに長くなってもいいんだけど、さっきから何か、話が進んでるようでまたいつのまにか元に戻ってたりする。22か23ぐらいの時に転機があって、そこから表現していくってことを……って話だったはずなんだけど、よく考えてみるともう18の頃からやってたぞ、みたいな(笑)。じゃあその、22か23ぐらいの時に、もうちょっと気持ちが入れ替わって、というのは、やることはどんなふうに変わっていったってことなの? それまでもそういう、自転車暴走族とかってことをやってたわけだよね。

陽光 うーん……そうですね。

慶太 何だろう。

ノラネロ だけど根本はそんなに変わってない気がするんだよね。FUCKSっていうのをやってる頃は、おれは渋谷の服屋で働いてて、そしたら陽光とナオヤ君が2人で来てさ、「おれらキノコってとこでイベントやるから」みたいな。けっこうヒマな店だったから、店長に「行っていいっすかね?」って訊いたら「いいよ」って云うから、渋谷から高円寺まで来て、キノコってとこに見に行ったもん。その時にはおれは22か21ぐらいかな。陽光は21か20かってことだよね。
 だけどその時に来てた客なんか、おれと、ナオヤ君の彼女しかいなくて、やったことも今とそんなに変わってないよね。もちろん今の方が良くはなってるけど(笑)、根本的にその、分かんない感じとか……。

慶太 分かりづらいんだよね(笑)。

ノラネロ その時におれが見たのとかもね。

外山 その時は何をやってたの?

ノラネロ 全然覚えてないもん(笑)。ただ「つまんねーっ」って思って(笑)。おれは分かんなかったからね。

外山 それはさっき慶太君が証言したような、あの、パーマのでっかい機械を……みたいな(笑)。

ノラネロ そういうのだったと思うけど、おれは全然分かんねーわっていう。

慶太 田原俊彦の写真を貼って、近藤さんの話をしても、伝わんないよね、きっと(笑)。

外山 最初は一瞬ちょっと面白いかもしれないけど……。

慶太 マッチには見えてこないし(笑)。

ノラネロ 陽光ともまだそんなに仲良くなかったから。“陽光くん”って呼んでるぐらいの時期だからね。1年にまだ10回も会わないような時期だし。

陽光 たぶんトウちゃんが見にきた時は、森高千里の何か、海っぽい曲をかけて、そんで踊るかなんかしたら、なんか……潮の匂いがするかどうかっていう(笑)、そういうテーマだったと思う。テーマっていうか、裏テーマは。

慶太 そんなの分かんないよ(笑)。

外山 でも岡画郎なんかは、噂に聞くところによると、会議とかでけっこう……結果的にやるものはバカバカしいんだけど、その展示の狙いとかテーマとかってことについて、かなり緻密に話し合うって。

陽光 ああ、そういうところはありましたね。だから話をする気にならなかったですもん、おれ。

外山 じゃあそういうところに影響を受けてるわけでもないんだ。

慶太 多少は受けてるんじゃない?

陽光 受けてはいるんでしょうけど、でもやっぱりそういう話し合いの中で権力ある人っているじゃないですか。その人が云ったらそうなるっていう。おれなんかペーペーだから、云ってもべつに……。

外山 云ったりはしてたの?

陽光 あんまりしなかったですね。

外山 じゃあそういう話し合いは、主に聞いてる側として参加してたんだ。

陽光 そうですね。

ノラネロ 写真でしか知らないけど、慶太と陽光と野沢直子のダンナが踊ってる写真があるよね。

慶太 そういえば野沢直子もいたねえ。

陽光 いたいた。

慶太 それは……キノコかな。

外山 野沢直子がいたの?

慶太 野沢直子もそのダンナもいて。

ノラネロ 3人で踊ってる写真を見せられたことがあるよ、おれ。

慶太 あれはでももう何だったか忘れたねえ。

ノラネロ たしかナオヤ君に陽光くんと慶太君も参加して、みたいな……。

陽光 あったね。シェルターの……。

慶太 シェルターのイベントか。シェルターは……さっきラジオドラマって云ったけど、当時はMDが最新だったんだよね。

陽光 うん。

慶太 これは万能だ、みたいな。

外山 その話もさっきちょっと気になったんだよ。まだ“ネットラジオ”っていう時代じゃないもんね。

慶太 そうそう。MDが最新の機器で、これで音を編集してそれに体を合わせればすごいことが起きるに違いない、みたいな感じで、おれが脚本を書いて、おれも参加して、FUCKS名義で、何て云ったっけ、あの人。

陽光 オノチン?

慶太 オノチンだ。オノチンに誘われて……。

ノラネロ それはけっこう後なんじゃないの?

慶太 おれが大学4年の時。

ノラネロ あれ、その時は大学だっけ。

慶太 だって陽光くんと会った時にもうおれ大学生だったから。

ノラネロ それは知ってるけど、まだ大学だったっけ?

慶太 大学に行ってた。だから22ぐらいか。

陽光 バリバリのパンクのライブに、おれらはラジオドラマで出て。慶太とナオヤ君と。

慶太 でもMDの電池が切れて、結局やりたいことは一つもできずに、缶ビール投げられて(笑)。

陽光 出てけって(笑)。

ノラネロ すごく喜んでくれてる人もいたけどね、「良かったよ、また出てよ」みたいな(笑)。

外山 シェルターって云ったらけっこう、全国的に名前を聞くそれなりの……。

ノラネロ バンドやってる人だったら、ちょっとした憧れの地なんじゃない?

外山 だよね。そこでそういう……パフォーマンスを(笑)。それもせいぜい22、23ぐらいの時?

ノラネロ 慶太が大学生だったっていうんだからね。

外山 訊くの忘れてたけど、慶太君と陽光くんの年齢差は?

ノラネロ 同い年。

外山 あれ? ここは何でつながってるんだっけ? もう話したっけ、慶太君と陽光くんはどこで知り合ったのかってことは。

慶太 高円寺キノコ。

外山 なるほど。

慶太 行ったら、何じゃこりゃって。

外山 一緒にいろいろやり始めるのは?

慶太 陽光くんが、同い年の友達がいなかったんだよ。それでおれがたまたま同い年だったから、こいつとは年齢とかも何も気にせず喋れるっていう新鮮味があったんじゃない?

陽光 ああ。

慶太 やたら喜んでたもん。

ノラネロ 仲良かったもんね。この2人はずっと一緒にいた感じがするな。

慶太 同い年だからだよ、最初のきっかけは、完全に。

外山 同い年だし近所だし、しかも赤瀬川とか……ってのはまた別?

慶太 赤瀬川とか、サブカルチャーは大嫌いだったんですよ。じゃなかったら哲学科に行かないから(笑)。そういうのはべつに、おれは好きじゃなくて、だけど従兄弟が「面白いとこがあるから」って云うんで高円寺キノコに行って、そしたら陽光くんがいて、で、よく考えたらたしかにその界隈に同い年がいなかったんだよね。おれは大学生だから逆に、周りは同い年ばっかりじゃないですか。だからおれの側はとくにそんなに新鮮とかではないんだけど。

外山 慶太君にとっては、たくさんいる同い年のうちの1人(笑)。

慶太 だけど陽光くんにとっては同い年であるってことが、非常に価値があることみたいだったから。最初に会って、2回目か3回目ぐらいで“21's(にじゅういちず)”を結成しようとか云われたぐらいだから(笑)。

陽光 だから21歳だったんだね。

慶太 そういうことになるね。とにかくそれぐらいこだわってたからね、同い年ってことに。で、高円寺キノコってやっぱり、とにかくよく分からない面白いことをやろうみたいな、話だけは出る場所だったの。岡画郎は、おれは行ったことないからよく分からないけれども、話をしてちゃんと結論を出して実際にそれをやるところだったんだと思うけど、高円寺キノコは、何て云うんだろう、遊び人みたいな人が多くて……。

外山 アイデア段階でどんどんつぶれていくけど、アイデア自体はたくさん出てくるっていう?

慶太 そうそう、そういう場所だったんですよ。で、そういう話をしてる場でおれなんかも得意になってわりと喋ったりして、そういう時に「よくそんなに出るね」って云われて、「いや、おれは親のカネでこんなムダなことばっかり覚えてる哲学科の学生で」って云ったら陽光くんが異常に反応して。

陽光 してたなあ(笑)。

慶太 なぜか。で、その後に街で会ったのかな。駅前で会って。だけどおれは高円寺キノコでそんなに目立ってる方じゃなかったから。で、陽光くんはわりと目立ってる方だったから、なんで声かけられたのかなあと不思議で、「なんでなの?」って訊いたら、「よく喋る奴、目立ってる奴ってのはたいてい面白くないんだよ、隅っこで何か面白そうなこと考えてる奴の方が面白いんだよ」って云われて、で、さらに同い年だしって。

外山 その時にはもうすでに陽光さんは高円寺キノコで、FUCKSとしてやってて……。

慶太 うん、FUCKSとしてやってた。

外山 で、その後に何か、慶太君ともグループを作ったりするんだよね?

陽光 そうですね。

慶太 それは、大谷さんだね。

陽光 大谷君っていう何か面白い人がいるっていうのをキノコでやたら聞かされてて。「陽光くんは大谷君に会った方がいい」ってやたら云われて。何なんだろう、何なんだろうと思ってて、ある時その、おれがやってたFUCKSってのも呼ばれて、大谷君がやってるバンドも呼ばれて、で、初めて会ったんですよね。何か、全然センスねえパジャマみたいなの着て木琴叩いてる奴が大谷君ですって云われて。
 そんで会って話して、その時はあんまり何云ってんのかよく分からなかったんですけど。面白い人“なんだろうな”とは思ってたんですけど、本性が見えないじゃないですか。で、一応こっちがその頃に気になってたような、「今こういうことって面白くないですかね」みたいな話をしたら、いろいろ返ってきて、あ、面白いなと思って。
 その大谷君って人は読売新聞で働いてて、で、読売新聞をやめるかやめたかして、時間があってしょうがないから、なんか架空の映画があったということにして、その映画についての対談をしましょうっていう、よく分かんない企画を云ってきて、それに呼ばれてノコノコ行ったんですよ。そしたら、今、素人の乱のラジオでミキサーをやってる池田君もいて。だよね、たしか。

慶太 おれはその時いなかったから。

陽光 で、その大谷君ってのと3人で……。

慶太 架空の映画の批評で話し合う(笑)。

陽光 映画のタイトルだけ決めて、あの映画はこうだったよね、みたいな。で、それで作品としてまとまったか何だかで、また呼ばれた時に慶太も行ってっていう。

慶太 そう。

陽光 なんかそんな感じだよね。

外山 まとまった、というのはどういう状態になったってことなの?

陽光 映像にしたかなんか、分かんないですけど……。

外山 あ、架空の対談をまずやった上で、それを実際に映像にするっていう話なのかな?

陽光 映像かテキストか、何だったか忘れましたけどね。で、そこから、とにかく時間があれば池田、大谷、慶太、陽光で……。

外山 その大谷さんって人は、読売新聞の記者か何かだったの?

陽光 いや、バイトか何かで。

慶太 ただお金も時間もあったんだよね。で、映像の編集をやり始めてた。そもそも彼がなぜ高円寺キノコでそんなに名前が売れてたのかっていうのはちょっと分からないんだけど。

外山 常連ではあったの?

慶太 たまに来るぐらいの人で、でもそういう傑物がいるみたいな感じで云われてて。美大を卒業してて、『ドラえもん』のパロディ・マンガのこんな小っちゃいミニコミを作って、ボアダムスの山塚アイにそれを渡したら何か記事になったとかで……それぐらいだったよね(笑)。

陽光 うん、聞いてる情報はね(笑)。

慶太 今考えたら、「ふーん」って感じなんだけど。

外山 いくつぐらいの人なの? やっぱり同い年ぐらい?

慶太 いや、だいぶ上。

陽光 今もう40ぐらいでしょ。

慶太 だから当時もうすでに30ですね。

外山 じゃあ7つか8つぐらい違うんだ。

ノラネロ 当時30? そうだっけ?

慶太 そうだよ。だって69年生まれだから。

外山 ぼくより1コ上だ。

ノラネロ 40か、すげえなあ。

慶太 あの人、若く見えるからね。

外山 で、その何か新しいグループを作るっていう話になっていくんだよね?

陽光 池田、大谷、陽光、慶太の4人で集まって何かやろうって云って、池田が常に“いじめられっ子”って感じだったから、「おまえはアタマ数に入れねーよ」ってことで、じゃあ「トリオ何とか」ってことで(笑)、みたいな。

外山 あ、それで“トリオ”なんだ。

陽光 で、“トリオ、何”にしようかって云ってたら、その池田が、「分かりましたよ、じゃあ“トリオ・フォー”でいいですよ」って云って(笑)、それで“トリオフォー”になったの。

外山 それが何年ぐらいの話なの?

陽光 2000年ぐらいじゃないですか。

慶太 そうだね。

外山 何歳ぐらいだっけ?

慶太 22とかだったな。22か23か。

外山 トリオフォーってのは、具体的には何をやるグループなの?

ノラネロ たまーにイベントに出てたよね。

慶太 そうそう。

外山 イベントって、どういう?

陽光 “ロクサーヌ”でしょ、一番最初は。

慶太 そっか(笑)。

外山 ロクサーヌってのは?

慶太 まず映像媒体を作ってその上映と、あと陽光くんに舞踏関係で知り合いがいたってことは、もう何度か話が出てるけど、まあわりとそこが、そんなに太くはないんだけどまあまあの関係でつながってて、そういう人たちが何かイベントやるたんびに呼ばれる。

外山 で、“ロクサーヌ”っていうのはその会場の名前か何かなの?

慶太 ロクサーヌはね、えっと、ポリスの「ロクサーヌ」がありますよね。それのカラオケビデオだっけ? カラオケビデオを作ったんだっけ?

陽光 そうそう。でもそんなの後から聞いたけどね。

慶太 最初は陽光くんが、なんか“忘れたことを思い出す”っていうコンセブトで何かやりたいって話をしてて、でもその“忘れたことを思い出す”っていうコンセプトで何かやるっていう話も、具体的な方法はFUCKSと変わってないわけよ。つまり“潮の匂いをさせたい”っていうコンセプトがあったら、森高千里の曲をかけて踊ればいいんじゃないかっていう(笑)。
 そういう発想で“忘れたことを思い出す”って云ったらこれをやればいいんじゃないかっていうのが、なんかソファに2人で座って、どのタイミングで“ダッフンダ”をやるか、みたいな(笑)。それをやったら“忘れたことを思い出す”になるだろうってことで、それをやるんだけど、やっぱりならないじゃないですか(笑)。
 でも大谷さんはその光景を我慢強く映像にに撮ってて。で、おれらはそれをやるだけやって帰っちゃうからそれでいいんだけど、大谷さんは映像として残すわけですよね。それで改めてその大谷さんの映像を見ると、まったく“忘れたことを思い出”してないわけじゃないですか。意味分かんないタイミングで“ダッフンダ”をやり合ってるだけなんだから(笑)。
 これはどうしたものかって云うんで、ポリスの「ロクサーヌ」用のカラオケ映像ってことにしたって云ってて、フライング・ティーポットっていう今けっこう真面目な映画を作ってる人たちが自主上映とかやってる場所らしいんですけど、そこで上映したりとかしてて。まあべつに……。

陽光 “小笑い”ぐらいとれてるみたいだよ。

慶太 外山さんがわざわざこうやって聞き出すようなものではないですよ(笑)。

外山 いや、どういうことやってたのかなと思って。ともかくそれが最初なんだ。

陽光 それが最初ですね。

慶太 最初だね。

外山 もしかしたら話は前後するのかもしれないけど、新宿かどこかのホコ天で暗黒舞踏をっていうのはいつ頃の話なの?

陽光 それはもう19歳ぐらいですよ。

外山 ずっと前の話なんだ。

陽光 全然前ですね。

ノラネロ それがあれだよね、駱駝艦関係で知り合った人たちとやったっていう。それはたぶん陽光が18ぐらいから参加してるやつだよね。

外山 駱駝艦の……。

陽光 駱駝艦の人が、駱駝艦を辞めてか、やりながらか。とにかく最初に駱駝艦にバイトに行った時に名前と住所を書かされて、そしたら電話かかってきて「来い」って云われて。新宿だったら近いからと思ってチャリで行ったら、そんなことさせられたっていう。

外山 これはノラネロさんに聞いたんだけど、暗黒舞踏を普通にというのか何というのか分からないけど、まあとにかく暗黒舞踏をやってて、そこにいきなり陽光さんが現れて、「喋んないと思ったでしょ」みたいな(笑)。

陽光 ああ、それはチャリンコででしょ。

ノラネロ うん。チャリンコの時もあったかもしれないけど、カブだよね。

陽光 そうだ、カブじゃないけど何かワケ分かんないようなバイクで。

ノラネロ そうか、「喋んないと思ったでしょ」はその時じゃなくて、また後の話だ。

慶太 陽光くんは舞踏の人たちとはずっとその後も人脈があって、トリオフォーをやり始めてからも、陽光くんだけソロで、何かやってよって呼ばれることがあるんだよな。ごく最近だよね、ようやくそういうのがなくなってきたのは。

陽光 うん。

慶太 数年前までコンスタントに何か、あったよね。

外山 そういう暗黒舞踏系のイベントに?

慶太 そうそう。コンテンポラリー・ダンスとか。

外山 呼び出され……。

慶太 うん、呼び出されて、陽光くんは踊れる身体がないから……。

陽光 「5分ぐらい何かやって」って時間用意されて。

ノラネロ 駱駝艦か何かの暗黒舞踏の時って、陽光は喋ったりしてたよね。

陽光 殴られた。

ノラネロ いや、そうじゃなくて。

陽光 話してると、何が何だか分かんなくなっちゃうね。

外山 時系列では思い出せない感じ?

慶太 トリオフォーって全然意味分かんないよ、やっぱり。

陽光 うん。

外山 要はやっぱり、時々何かのイベントに呼ばれてはパフォーマンスをやるっていうグループなの?

陽光 そうですね。

慶太 です。

ノラネロ おれは2、3回見に行ってるけどね。そのうち1回は、どっかの美術館で、なんか本を読むみたいな。

慶太 “あたかも読書”だ(笑)。

ノラネロ たぶん何にも書いてない本を、読んでるふりというか、その場で勝手に話を作っていくような。

外山 白紙の本みたいなのを持って、“朗読”するの?

慶太 “黙読”だったらそれも面白いけど(笑)。

外山 それはやっぱり何か現代美術系のイベントだったの?

慶太 一応そうなんでしょうね。

ノラネロ あと、あれも見に行ってるなあ、何だっけ?

陽光 “スクラップ祭り”?

ノラネロ そうだそうだ。

慶太 屋上で?

ノラネロ そうだったね。

慶太 あのね、それは……。

ノラネロ でも、ちょこちょこやってるよね。1年に何回かぐらい。

慶太 今考えるとやっぱり全然面白くないんだよね(笑)。話す気にもならないぐらい面白くない(笑)。

陽光 あのね、ハナから志がないんですよ。

慶太 変わったことしたいだけなんだよね。

陽光 その場が面白かったらよかったんだよね。

外山 その場ではウケるの?

陽光 いや、ウケないですよ。おれら4人ぐらいが、あいつあんなことやりやがってとか面白がってるだけで。それだけですよ、ほんとに。

外山 もう一つ気になってるのは、さっき云ってた“架空の映画についての対談”の話なんだけど、それは慶太君と陽光さんが対談したんだったっけ?

慶太 その時はおれじゃなくて……でも、いずれにしても外山さんにわざわざ話すような内容じゃないですよね、トリオフォーは、全体的に(笑)。

陽光 もう、かいつまんだ方がいいね。えっと……修悦展の話をしましょう(笑)。

外山 トリオフォーは結局、何年ぐらいやるの?

慶太 相当やってるよね。

陽光 10年ぐらいやってるんじゃないですか。

外山 今もまだやってるんだっけ?

慶太 陽光くんはやってるよね。

陽光 もう実際に動いてはいないですけどね。

外山 グループ自体は存続してるってこと?

陽光 その間にも『ノッピン新聞』があったり。

外山 それは何ですか?

慶太 日刊で手書きの新聞を出してたんですよ。

外山 あ、やってたね。あれはいつ頃からいつ頃までやってたの?

慶太 あれは簡単に云うと、つまり大谷君の映像の技術がどんどん上がるわけですよ。で、どんどん面白くなるんです。映像の文法ってものが分かってきて、テレビ的なものも作れるっていうか、例えば“ここでこうすればテレビっぽい”てこともやれるし、逆に“こうするとテレビじゃあり得ないような感じになる”っていうのもワザとできるようになる。明らかにどうでもいいような白黒映像に変なタイミングで“LIVE”って出すとか、そういうちょっとしたコツみたいな。
 ぼくらが何をやろうが、面白くできるようになるんです、大谷君が撮ると。だけど、おれらとしてはそれが気に入らないんです(笑)。

ノラネロ ハイテクなんだよね。

慶太 実際、面白いんだから、要は。おれらがそんなに面白くないことをやっても、大谷さんが加工すると面白くなって出来上がってきて、それを客に見せるとやっぱり面白がってもらえるわけですよ。

外山 トリオフォーってのは、イベントで何か生でパフォーマンスをすることもあれば、それを映像に撮って加工して映像作品として発表することもあるってことなのね?

慶太 そうそう。例えばライブで何かやるとしたら……。

外山 同時にそれを撮ってもいるんだ。

慶太 そう。それを大谷さんが加工する。

外山 その撮って加工したものはどこで発表するの?

慶太 例えば舞踏とかから呼ばれた時にも、プロジェクターとスクリーンを用意して投影したりとか。とにかく映像と生モノを同時にやるような。で、“お笑い”でもないし“アート”でもないですよ、みたいな。まあ要は変わったことがやりたかったわけですよね。

外山 で、そしたらその加工された映像が面白すぎて……。

慶太 面白すぎて……。

外山 だんだんアタマにきて(笑)。

ノラネロ それでたぶん『ノッピン新聞』っていう流れになるんだよ。ハイテクに対抗してローテクをってことで。

陽光 何だと?(笑)

ノラネロ 代わりに“かいつまんで”説明したんだよ(笑)。

慶太 当時おれらを呼んでくれてた、舞踏の松原東洋っていう、渋さシラズでも踊ってる人がいるんですけど、彼なんかが「トリオフォーは映像で80点とれるからいいじゃん」みたいなこと云ってて、たしかにそのとおりなんだけど、それが何か釈然としない(笑)。
 あと、なぜか分からないけど、2000年か2001年か、トリオフォーの1年目っていうのは、とにかくやたらとイベントを入れてたんですよ。ネタのストックとかも何もないんだけど、とにかく呼ばれれば全部、OKの返事を陽光くんが出して。そうじゃないと成立しないから、やってる意味ないからって云って。それでやり続けて疲れちゃったというのもあったし、とにかくいったん休もう、と。
 同時にデジタルというか、大谷さんの映像編集からもちょっと離れたいって云って、全部手書きでワラ半紙で毎日出そうって『ノッピン』を始めたんだと思う。

外山 それは毎日作って、コピーするの?

慶太 そう。

外山 でもコンビニとかでコピーするんだったら、そのコピーされた方はワラ半紙じゃないよね?

慶太 いや、コンビニのコピー機にワラ半紙を入れるんです、手差しで。

外山 で、それをいつから始めたんだっけ?

陽光 あれは2000年か2001年か、それぐらいでしょ。

外山 その時点ではまだ素人の乱はないんだよね?

慶太 まったくない。素人の乱という言葉もまだない。

外山 それで『ノッピン新聞』というのは……どこに出回ってたの?(笑)

慶太 これもまた意味不明な話で、世の中にトリオフォーの存在を周知させるっていう目的のはずなのに、モーガン・カフェっていう陽光くんが気に入ってた喫茶店があって……。

ノラネロ 陽光んちの近くに(笑)。そこがみんなの溜まり場だったんだよね。おれも高円寺に住み始めの頃っていうか、まだ住んでないぐらいの時期からたまに通ってて。おれは違う街に住んでて、たまに高円寺に来て陽光と遊んで、とりあえず高円寺をウロチョロして……。

陽光 かいつまんだ方がいいですよ(笑)。

ノラネロ ほんと、終わんないね。

慶太 早く素人の乱まで進めようよ(笑)。

ノラネロ でまあ、高円寺をウロチョロして、もう行くところもなくなってきて、「じゃあコーヒーでも飲んでく?」とかって、「おれの行きつけなんだよね」みたいな感じでモーガン・カフェを紹介してくれて。そんでおれも高円寺に引っ越してきてからもよく行くようにしてたり。

陽光 外山さん、まだ話は20世紀段階ですよ(笑)。

慶太 2000年だからね(笑)。

外山 ぼくが訊きたいのは素人の乱の“前史”的なことだから、それはそれでいいんですけどね。

陽光 前々史ぐらいですよ(笑)。

ノラネロ モーガン・カフェに行ってた時っていうのは、例えばおれと陽光が一緒に行ったりすると、陽光の妹も東京に来てたから、その妹が彼氏と一緒にいたりとか、他の友達が1人でいたりとか、慶太が来てたりとか。

外山 とにかく誰かがいる感じなんだ。

ノラネロ 誰かがいた。とにかくみんなよく来てるっていうスペースで、陽光がマスターと仲もよかったから、そこで陽光と慶太が『ノッピン新聞』を始めて、その頃におれも引っ越してきたの。

外山 つまりそこに行けば“界隈”っていうか、その当時の人間関係の……。

慶太 “内輪”ね。

陽光 いや、界隈とか常連とかじゃなくて、そこに置いたらとりあえず慶太とトウちゃん(ノラネロ)は見てくれるっていう(笑)、そのレベルだから、ほんとに。

ノラネロ まだブログとかないからね。

外山 とにかく何人かの友達が見てくれる、と。

陽光 4人(笑)。

外山 人数もはっきりと確定してるぐらいの(笑)。

ノラネロ それ見ると、みんな、「あ、こいつ今、調子いいんだな」とか。今だったら、ブログに書いてくれてればそれで大体そいつの調子が分かるじゃないですか。だけどその頃はおれ、まだインターネットとかなかったし、たぶん陽光も慶太も持ってなかったよね。だからそういう『ノッピン』とかで、みんなの調子を測ってるみたいな。

慶太 新聞というより、交換日記ですね。

陽光 最初は交換日記だったんですよ。おれとトウちゃんが1回ケンカして……いや、それはいいや(笑)。とにかく最初『ノッピン』は交換日記だったんですよ。

外山 それは慶太君と2人での?

陽光 いや、おれとトウちゃんと慶太とマコト君と宇野澤さんという、5人で交換日記をやってたんですよ、『ノッピン』という名前で。

外山 その“ノッピン”という名前はどこから来てるの?

陽光 “NIPPON”を逆さまにして“NOPPIN”。だから日本を引っくり返そうと思ってたんですよ(笑)。

外山 あ、そういうことだったのか。

慶太 すごいね。

陽光 政府転覆ですよ(笑)。いま初めて引っかかってきました?

慶太 ようやく接点が。

陽光 外山さん、こっからですよ(笑)。で、最初は交換日記をやってて。

ノラネロ いや、それは後からだよ。

陽光 いや、交換日記の後で『ノッピン』が始まったんだよ。

外山 その交換日記ってのは5人が交互に書くってこと?

慶太 そうそう。

外山 交換日記を例えば普通にノートとかで回してたのが最初なの?

慶太 そう。

外山 それがだんだん公開する方向になって……。

陽光 最初はまだトウちゃんはいなかった。

ノラネロ まだ高円寺に来てないもんね。

陽光 おれが週2日、慶太が週2日、マコトが週2日っていう、その3人が軸だったんだすよ。そこにさらに宇野澤さんって人がいて、その人が週1日やるというので7日間が回ってて、そのうちもう「週2日はムリだわ」ってんでトウちゃんとか、おれが当時つき合ってた彼女とかが書いてくれたり、あとはそれを喫茶店で見てたお客さんで習字の先生の安田さんっていう人が「まあ1日ぐらいだったら書きますよ」みたいな感じで。

ノラネロ いたいた(笑)。で、その喫茶店のマスターの奥さんなんかも「楽しみにしてます」とか云ってくれてたから、おれらも張り切って。

外山 つまり最初の時点ではその交換日記のノートがその喫茶店に置いてあってっていう感じなの?

陽光 いや、交換日記は今のうちの店の目の前にある自販機の下に入れといて、それを誰かが見るっていう。で、次の人がまたそれを抜いて、書いてまた入れてっていう形で交換していくルールだったの。
 これはそれこそ宮武外骨が『日刊フジ』っていう新聞を出してたらしいんですよ、毎日。それに影響されて、あとみんなが『ほぼ日刊イトイ新聞』ってのがインターネットで出てるらしいって云ってたんで、冗談じゃねえ、“ほぼ”じゃねーだろって(笑)、新聞は毎日出してナンボでしょって云って。何がインターネットだって。

外山 あ、インターネットに対する反感もあったんだ。

慶太 あるある。

陽光 世の中にあるパソコンを全部ぶっ壊してやろうと思ってたんですよ。

ノラネロ ネットが入ってくるの遅かったもんな、おれらは。

慶太 インターネットが相当嫌いだったからね。

外山 でもたしか97、98年ぐらいの段階でインターネットはだんだん、まあ流行し始めてたよね。

陽光 だからその頃はもうみんなネットに行こうとしてた感じなんですよね。手書きとか冗談じゃねえ、みたいな。

慶太 フライヤーもみんなキレイになってたんですよ、その頃。ようやくマックとかも普及して、「やったー」みたいな感じで。

外山 ビラもみんなマックとかで作るようになって、それが気に入らん、と。

慶太 それで、おれらは逆にそういうものを作るようになったんですよね。

外山 そんでその交換日記が『ノッピン新聞』に進化する形になるの?

陽光 あんまり関係ないですね、それは。

慶太 関係あるみたいに話したけど、実際はあんまり関係ないよね。

ノラネロ 『ノッピン新聞』を始めたのは陽光と慶太とあとは誰だっけ?

慶太 マコト君と宇野澤さん。

陽光 やることがなかったんですよ。その頃はもう毎日遊んでたから、慶太・マコト・陽光は。毎日遊んでて、トウちゃんも週に2回ぐらいは遊びに来て。トウちゃんは狛江に住んでたからね。

ノラネロ 最終で帰ってたもん。みんな早い時間から遊んでて、おれは夜7時ぐらいに来て、陽光んちが溜まり場みたいになってて、行くとみんないる。5、6人いるんですよ。その頃は酒飲むのはおれだけだったりして。

慶太 そうそう。

ノラネロ みんなスカしてコーヒーとか飲んでるんですよ。

慶太 スカしてないよ。

ノラネロ スカして、陽光が淹れたコーヒーとか飲んでるんですよ(笑)。おれだけ缶ビール飲んで。

外山 他の人たちも当時べつに呑めなかったわけじゃないんでしょ?

慶太 呑めない。

陽光 呑めなかった。

慶太 今思うと、要は“内輪”で楽しかったわけじゃん。そんでよく分かんないけどトリオフォーのことを気に入ってくれる女の子とかもいたじゃん。

陽光 いたね。

慶太 で、それはたぶんやってることが面白いからというよりも、やってる人たちが楽しそうだったからだと思うんだよね。

外山 その雑談の輪の中に入りたい感じ?

慶太 そうそう。入りたいし……。

ノラネロ 何だろう、“男の子ノリ”なんだよね。

陽光 単純に面白かっただけなんだよね。

ノラネロ たぶん高校の時とかにみんな友達んちに遊びに行って溜まり場みたいになってる感じの、それを20歳超えてもやってるっていう(笑)。

慶太 そう。

ノラネロ で、そこでまあ面白い話とかはしてるけど、何か作ってるとかいう感じもなかったよね。

慶太 たしかに作ってる感じはほとんどなかったけど……。

ノラネロ 面白いことをみんなで云い合って。

慶太 レコード・バスってあるじゃないですか、レコード盤の上を走るバスで、音が流れるっていうか、小っちゃいオモチャ。それで陽光くんが、レコードをいっぱいつなげて街でレコード・バスを走らせたら面白いんじゃないかとか云い出したり。あと、レコードを3つに割って、3つの違うレコードを1枚に合体させてそれをレコード・プレーヤーにかけるっていうのがもともとあるんですけど、それとレコード・バスを組み合わせるアイデアで。それでわざわざレコード・バスを買いに行ったんだよね。で、大切なレコードを割って、だけどつなげらんないって云って……。

外山 街でそのバスを走らせるって云っても、レコード割ったって直線にはならないもんね。

慶太 ならないんですよ(笑)。で、こういうふうにつなげればできるんじゃないかとか、みんなそれぞれ頭の中にはイメージがあったりするんだけど、結局どうつなげていいのか分からなくて、陽光くんちにあったガス・ストーブで溶かしてつなげようとするんだけど、ただレコードがフニャッとなるだけなんだよね。だけどそっちがだんだん面白くなってきて……。

外山 つまりとにかく集まってダベって、何か面白いアイデアがあれば実際にやろうとして、それができたりできなかったり……。

慶太 そうそう。

外山 そういうことを延々と繰り返すっていうサークルというか人間関係というか、そういうものが成立してたってことなんだね。

慶太 そうですね。その通り。

ノラネロ あと、みんなでどっか遠出したりもするんですよ。あれとか最高に楽しかったな。鎌倉行ったり京都行ったり。

外山 それはとくに何をしに、というのでもなく?

慶太 なく(笑)。

陽光 修学旅行ですね。

ノラネロ 鎌倉行った時なんか、店に入って、おればっか酒飲んでて、でもおれはそこからクラブとかに繰り出したりしたくてしょうがなかったんだけど、みんなは酒も飲まないしそんなノリでもないんだよね。

慶太 っていうか、女っ気があるのはノラネロだけなんだよ。ナンパとかに行く準備が常にできてるのは。

ノラネロ 鎌倉の時も5人ぐらいいたんだよね。

慶太 4人じゃないかな。

ノラネロ 5月ぐらいでまだちょっと寒い中、みんなで鎌倉に行って。京都に行ったのも、みんなで「正月どっか行きたいね」みたいな話になって、結局7人で、青春18きっぷで行って。

慶太 坂本龍馬像の前で写真撮ったりして。

陽光 撮ったね。

ノラネロ その写真、おれ写ってないんだよなあ。

陽光 あの時ノラネロいたっけ?

ノラネロ いたよ!(笑) おれが撮ったからだよ。

外山 さっきの『ノッピン新聞』の話が謎のままなんですけど(笑)。交換日記と『ノッピン新聞』のつながりがまだ……。

慶太 今ふり返れば日記の延長だったんだなっていう話であって、当時の志としては、日記は日記で、つまり内輪のもので、それに対して『ノッピン』はもう、日本を転覆する、テジタルを排斥するっていう志のもとに……毎日10部、喫茶店に置くという(笑)。

外山 その10部はハケてたの?(笑)

陽光 ハケてなかったですねえ。

慶太 喫茶店のカウンターあるじゃないですか。端っこに溜まってたからね。むしろ『ノッピン』があるせいで客が減ったんじゃないか(笑)。

外山 内容的にはどういう?

陽光 ブログですよね。

ノラネロ 絵を描いてる人もいれば、このマンガが最近面白いみたいなエッセイを書いてる人もいるし、ちゃんとしたのを書いてる場合ももちろんあるし、くだらないのもあるし。

慶太 そっか、外山さんは『ノッピン』は見たことないのか。

外山 1、2回目撃したような気もするけど。それは結局、いつからいつまでぐらいってことになるんだっけ?

陽光 たしか250号ぐらいまで出たんだよね。

外山 それはつまり250日ぐらい続いたってことになるのかな?

陽光 そうですね。

慶太 だから2001年から2002年ぐらいってことになるのかなあ。

外山 じゃあやっぱり素人の乱以前……。

慶太 まったく以前ですね。

外山 重なってもいないんだっけ、その頃と素人の乱が始まる頃って。

陽光 素人の乱は2005年とかですよ。

外山 そっか、そんなに遅かったか。

ノラネロ 陽光はその後ぐらいから古着屋を始めたよね。

陽光 うん。

慶太 そうそう。それはけっこう区切りだね。

ノラネロ トリオフォー・ショップ。

慶太 ていうか、『ノッピン』が終わった後にトリオフォーが復活するんだよね。

陽光 そうそう。

外山 同じメンバーで?

慶太 だね。

陽光 まだ“じゃま”(じゃましマン)も入ってきてないもん。

外山 トリオフォーってさっきの話だと3人だか4人だかなんでしょ? その4人目の人は何をしてるの?

慶太 池田君?

陽光 池田君はまあ、ウロチョロ(笑)。

慶太 銭湯に行くブームもあったんですよ。みんなで銭湯に行く、みたいな。その時に1人、前を隠すような隠さないようなタオルさばきをする人がいて、その人が池田君(笑)。人生もそういう感じで(笑)。

陽光 でもゆくゆくは、そいつと慶太の2人で素人の乱を始めることになりますからね。

慶太 そうなんだよね。

外山 そうなんだ。じゃあとにかくその“間”をさらにつなげていきましょう。

慶太 素人の乱と無理矢理つなげるとすると、『ノッピン』の読者の1人で、トクチさんっていう女の子がいて、彼女は『ノッピン』で我々の仲間に入ってきた。

外山 その喫茶店の常連だったの?

陽光 そうそう。

ノラネロ 慶太が書いた文章を面白がって。

慶太 『ノッピン』ってそもそもあまりにも、苦労のわりに反応がないんですよね。週2回、B4の紙を文字なり絵なりで埋めるっていうのは、そうとう大変なんですよ。そのわりに何にもべつに反応はないから。で、すごく頑張ってかなりの文章を書いて、その中で「これでも反応ないならもうやめます」みたいなことも書いたら、トクチさんからハガキが来て。その人がその後もけっこう長く一緒にいる感じになって、で、素人の乱に……。

陽光 だからトクチさんぐらいでしょ。読者1人でしょ(笑)。

慶太 さらに間をつなげていくと、トリオフォーがまた始まって、でもそれはやってるぶんには面白いんだけど、着地点みたいなものがないんですよ。

外山 そのトリオフォーが復活してやってる内容っていうのは以前と……。

慶太 あんまり変わらないよね。

外山 やっぱりイベントに呼ばれて出演しては何かパフォーマンスをやって、それを映像に撮って……。

慶太 そうそう。

外山 相変わらず映像のウケはいいんですか?(笑)

陽光 いい。

慶太 いまだにいいもんね(笑)。だって今もうプロになってますからね、大谷さんは。映像で食ってるもん。で、陽光くんは店を始めるんだよね、もう。

陽光 そう。でも最初の公演の後だよ。“山下残(やましたざん)”の後(註.同イベント開催は04年2月のようである)。

慶太 ってことは、じゃましマンが入るんだよね。

陽光 そうだね。

外山 じゃましマンって人はどういう感じで登場してくるんですか?

慶太 登場は、阿波踊り(註.高円寺の阿波踊りは毎年8月末におこなわれ、したがって以下のエピソードは03年8月末のものであると考えられる)。

ノラネロ 高円寺の阿波踊りって一大イベントだから。女の子なんかも浮かれたりするし、みんな酒飲む感じで。その時もみんなで酒飲んでたら、じゃましマンがラムちゃんのカッコして……ジャイアンツの帽子だっけ?

陽光 そうそう、ジャイアンツと阪神の帽子。

ノラネロ 帽子を切ってつなげてね。そんでラムちゃんのカッコして。

陽光 金属バット持ってね(笑)。

慶太 金属バット持って……ジャイアンツの帽子にTHの阪神のワッペンつけて、その上にタイガースの帽子をかぶってジャイアンツのマークつけて、そんで虎の水着を着て、金属バットを振り回しながら(笑)、うろうろしてるみたいな。
 で、色が白くて金髪だったんだよ。もともと可愛い顔した奴だから、おれは最初、女だと思ったの。だからモッちゃんっていう人がいるんだけど……これもまた複雑な話で、別の時なんだけどモッちゃんの彼女をノラネロがナンパして、その時はおれはいなかったんだけど、みんなで飲んでたら、その彼氏も呼んでいいかって訊かれて、「いいよ」って、ナンパした女の子の彼氏まで来て、この人たち面白いなって仲間になった人がいて、それが今は素人の乱の阿佐ケ谷店(11号店“浦野商店”)の店長やってるモッちゃんなんですけど、そのモッちゃんも阿波踊りの時にいて。で、おれがモッちゃんに、「あの子、ヤバいよ。ナンパしてこい」って云って、そしたら行って戻って来て「慶太さん、男でした」って。「何?」って。
 さっきも云ったように阿波踊りは一大イベントだから、みんな飲んでて、楽しそうな場所が街じゅうにいっぱいある感じになるんですよ。そんでウロウロしながら、そういう場所を転々と、一悶着起こしてはまた離れて別の場所に、みたいなことをずっとやってるみたいだから、「こっち来いよ」って話になって。

外山 一悶着っていうのは?

慶太 笑わせたりって意味。賑やかしというか。で、こっちに呼んだら、ずっと何か意味の分かんない、90年代の阪神の超低迷期の、中村監督時代の選手のモノマネとかをずっとやるんですよ(笑)。全然、元ネタとか分かんないんですけど、とにかく面白いんですよね。一所懸命やるし。

外山 いわゆる“誰にも分からないモノマネ”ってやつね。

慶太 そうそう。誰も分かんないんだけど面白くて。時々やたらメジャーな、『もののけ姫』のネタとか混ぜたりもして。とにかく面白くて、そいつが阿波踊りの時に盛り上げてたら、そこに片足を引きずってて片目の潰れた、こんな小っちゃい労務者のオッサンが、「おれの方が面白い」って来て。嫉妬したんでしょうね、たぶん(笑)。若者にウケてるっていうか、おれとか陽光くんとかモッちゃんとか、ちょー笑ってたから。何をー、みたいな感じで、「おれの方が面白い」とか云って、実際はもちろん全然面白くないんですけど(笑)。
 じゃましマンのは曲がりなりにも完成されてるモノマネなんだけど、その労務者の人がやるモノマネっていうのは“女のマネ”とかなんですよ。単に高い声でオカマ言葉を喋るみたいな(笑)。そんなもの見せられたって全然面白くないんだけど、ただその状況全体がめちゃくちゃ面白くなってるじゃないですか。で、じゃましマンも「対決だー!」とか云って、もうまったく意味不明な芸の合戦みたいになってきて、最終的には2人でコントやるとか云い出して。でもその2人も初対面なんだから、その場でコント作るわけで、こっちもその打ち合わせから見せられるわけじゃないですか(笑)。
 でもなんか面白くて、最終的にはそのコントをやるんだけど、そもそも金属バット持ってウロウロしてるような奴なんだから、過激なんですよ。つまり相手がちょっと本気でイヤがるようなことをするんですよ。それがどんどん過剰になってきて、最後はその小っちゃいオッサンの背中にガッと飛び乗って、そしたらオッサンがすごく怒り出して、小っちゃいナイフまで振り回し始めて。「どうしたんですか」って訊いたら、じゃましマンが噛んだって云うんだよ。「どこ噛まれたんですか」って訊くと、後頭部を噛んだらしくて(笑)、血みたいなの出てて。今まで楽しかったのにやたら険悪な雰囲気になって。で、もう朝方だったからそこにゴミ収集車とか登場してきて、収集車が停まって人が降りてきてマックの前のゴミとか集めるじゃないですか。その隙にオッサンが収集車に飛び乗ったんですよ。どうなるんだろうと思ったら、結局べつにどうもならなかったんですけど、まあ最終的には、じゃましマンとオッサンは仲直りして。
 で、オッサンもすごいんだけど、とにかくそいつがトンでもないって話になって、トリオフォーに入れた方がいいって陽光くんと話して。それが最初ですね、じゃましマンの。そんでその日のうちにそのまま、じゃましマンの家まで行って。当時は“じゃましマン”じゃなくて、“美空☆セロニアスひばり”って名乗ってたんですけど(笑)。当時、氣志團がすごく流行ってたから、“セロニアス”って付けりゃ面白いだろうっていう、ものすごく安易なネーミングなんですけど(笑)。で、陽光くんと一緒に彼んち行ったら……。

陽光 “弟子”がいたもんね。

慶太 弟子、いたね(笑)。何にも喋んなかったけど。

陽光 “じゃま”が「おまえ外出てろ、廊下で寝てろ」とか云って。そしたらほんとに廊下で寝てたからね(笑)。

慶太 で、「何か飲む?」って云われて、冷蔵庫を開けたらポカリスエットが100本ぐらい入ってて(笑)。その日おれらが来るなんて予定はないんですよ(笑)。狂ってるなあと思って。

外山 じゃましマンっていうのは、年齢的には一緒ぐらいなの?

慶太 いや、年下です、ぼくらより。

陽光 2つぐらい下だよね。

外山 ……ちょっとトイレ。

ノラネロ いやあ、面白いっちゃ面白いね。

陽光 でもまだこれ2003年とか04年とかだよ(笑)。

ノラネロ そうだけど、もうだいぶ近づいたでしょう。

陽光 もうおれ喋んなくていいでしょ。後は大体分かるでしょ。「で、5年経ったんですよ」って(笑)。

ノラネロ まあその頃に大きく変わったのは陽光がお店を始めたってことだよね。そこで松本さんと知り合うんだもんね。

慶太 そうそう。

ノラネロ そんでトリオフォーはその間に、さっき説明したとおり、たまにイベントに出て何かやったり。

慶太 陽光くんがトリオフォー・ショップをやめる時に、トリオフォーもやめるんだよ。

陽光 そうそう。

外山 (トイレから戻って)構想はまとまりましたか?(笑)

陽光 で、その時、じゃましマンが「5年後」って紙を持ってたんですよ。それを渡されてみたら、2009年になってたんです(笑)。

ノラネロ 陽光がその直後ぐらいに古着屋さんを始めるんですよ。

慶太 トリオフォー・ショップね。

ノラネロ 友達が1階で店やってたとこの2階が空いてて。あ、タンケンって友達がいて……。

陽光 いいよもう、その話は(笑)。ハショっていこう。

ノラネロ とにかく陽光が古着屋さんを始めて、そこに松本さんとかが来るようになって……。後はほんと、そんなもんだよね。

外山 復活トリオフォーはどうなるの?

慶太 何やったんだっけなあ。『ノッピン』の後に何やったかあんまり覚えてないんだよね。

陽光 覚えてないねえ。

慶太 マコト君はもうその時はいないんだよね。

陽光 そうそう……いや、いるよ。復活トリオフォーの時はいるよ。

外山 古着屋を始めたのは2004年ぐらいなの?

陽光 2004年ですね。“2004年くん”ってキャラクター作ってたからね。

慶太 そうだそうだ。

外山 ん? それはほんとの話なんだ(笑)。

ノラネロ それはほんとの話。店の袋とかも自分でその場で作ってたもんね。

外山 じゃあやっぱり2004年に始めたんだ。

陽光 2004年ですね。やっとここまで来ましたよ。

ノラネロ タンケンって人が陽光と一緒に借りてたの。タンケンさんはギャラリーみたいなのをやってて。

陽光 いや、タンケンさんにおれが借りてたんだ。

ノラネロ あ、そうか、あれは一緒に借りたんじゃないんだ。

外山 つまりタンケンさんという人がやってる店がまずあって、その一角を陽光さんが……。

陽光 もっと云えば、タマキちゃんという人がいて……(笑)。長いっすよ。

慶太 長い(笑)。

陽光 だから物件的に云えばそういうことですよ。まずタマキちゃんの店があって、その2階にタンケンさんの「ハト市場」って店があったの。「ハト市場」に行くには、まずタマキちゃんの店を通って2階に上がることになるの。そういう物件だったんですよ。で、2階があんまり使われてないらしいっていうのを聞いて、話してみたら「半分ぐらいだったら使ってもいいよ」って云われて……。

外山 そこがトリオフォー・ショップになった、と。

陽光 そうそう。そこに松ちゃんが来たんだよね。

外山 そのトリオフォー・ショップは何を売ってるの?

陽光 だから古着屋。

外山 あ、そっか。

慶太 何か買ったら「うまい棒」をくれたりする。

外山 それはどういうコンセプトなの?

ノラネロ それも、じゃましマンなんだよ。

慶太 そうなんだ。

陽光 じゃましマンが、中野のブロードウェイの“2ちゃんねる”のお店で働いてたんですよ。

慶太 意味分かんないでしょ、“2ちゃんねるの店”って(笑)。

外山 どういう店なの?

ノラネロ Tシャツとかステッカーとか。

陽光 「キターッ!!」って書かれたTシャツとか。

慶太 要はAA(アスキー・アート)ってあるじゃないですか。ああいうのを商品化してあるんですね。じゃましマンはそこにバイトで入ってて。店長って人がそうとう気が狂ってるんですよ。
 商品のラインナップが、要はAAのステッカーとAAのTシャツなんだけど、Tシャツとか自販機で売ってるんですよ。あとモー娘の写真あるじゃないですか。あれってオフィシャルっていうか、全部、著作権が発生するじゃないですか。だからそういうのは商品にはしないんですよ。何を商品にするかというと、“お宝マガジン”みたいなのに出てる、メンバーの学校の卒業写真とかあるじゃないですか。あれを拡大して生写真みたいにして売るんですよ。そういうヘンな店があって、じゃましマンがそこで働いてて、「うまい棒」を配ってたんです。

陽光 「うまい棒」はリスカって会社が作ってるんですよ。で、おれはそのブロードウェイの店に阿波踊り以前に行ってて、初めて入ったら“リスカ、リスカ”云ってて、「リストカットの跡を見せてくれたら一箱あげます」とかって。もう「うまい棒」ガンガンばらまいてるんですよ。

慶太 ほんとにバラまくんだよね、あの人。

陽光 面白いなあと思って、おれももうお客さんが来ただけで「うまい棒」あげようって……ここ編集でカットですね。長いだけ。

外山 で、その店に松本君はどうして来るの?

陽光 つまりそういう作りの店だから、2階に古着屋があることなんか普通は分かんないから、「マズい」って。どうにかしなきゃってことで、宣伝というか、チラシまいてくれって友達とかにお願いもするんだけど、それぐらいじゃ客は来ないんですよ。もっと情宣しないとダメだってことになって……。

外山 そのトリオフォー・ショップには、慶太君なんかも関わってるの?

慶太 関わってるっていうか、単純に友達だからいるって感じですよ。

ノラネロ 遊びに行く感じ。

外山 店の名前がトリオフォー・ショップっていうだけであって、トリオフォーがやってる店ってわけではない、と。

慶太 純粋に古着屋なんです。陽光くんがやってる古着屋。

外山 で、友達にチラシを渡したり……。

陽光 でもそんなんじゃ来ないから、もっと情宣をってことになって、慶太が黒塗りにアフロで、ギターに小っちゃいアンプつけて、「トリオフォー、ショップっ♪」って歌いながら駅前とか歩いてくれて(笑)。「あ、なんかヘンな人がいるな」って目が合った人にチラシを配ってくれる、みたいな感じで。
 そしたら須田さん(松本哉の法政大学時代からの同志)がチラシを受け取って、トリオフォー・ショップに来てくれて。そんで「うちらもTシャツ作ってるんで置いてくださいよ」って云われて、「どんなTシャツですか?」って訊いたら、「“貧乏人大反乱集団”って書いてあるんですけど」って云うから、「知ってますよ、それ聞いたことありますよ」って。「じゃあ今度それ作ってる人と一緒に持って来ますよ」ってことになって、で、松ちゃんが来たの。

外山 なんで聞いたことあったの?

陽光 たぶん『クイック・ジャパン』とかで。あと模索舎とかでも見たことあるんだよね。

慶太 ビラを見たこともあるんだよ。

陽光 そうそう。『ノッピン』ぐらいの頃に……。

外山 自転車のカゴとかに勝手に?

慶太 そうそう。

ノラネロ あと陽光はそのちょっと前ぐらいに“場所っプ”っていうのをやってて。

外山 あ、場所っプってのもあったね。

陽光 やってないです、そんなこと(笑)。

外山 それはいつ頃やってなかったの?(笑)

慶太 トリオフォーをやめた後だよね。

外山 ん? トリオフォーは復活したんじゃなかったっけ?

慶太 いや、復活トリオフォーをやって、トリオフォー・ショップをやって、そんでトリオフォー・ショップをやめるって時に、陽光くんがトリオフォーをやめますって云って。

陽光 そうだね。

外山 じゃあ松本君と知り合ったより後の話なの、場所っプは?

慶太 そうだね。純粋には後ってことになる。

陽光 うん。

慶太 つまり初対面はトリオフォー・ショップをやってる時に済ませてるんだけど……。

ノラネロ 場所っプとかには松本さん、来てたからね。

陽光 ちょいちょい来てたね。といっても2回ぐらいだよ。

外山 えーと、まず古着屋で会ってて、もし場所っプが古着屋をやめた後だとしたら、もう場所っプ開始の時点ですでに松本君と知り合ってることになるよね?

慶太 トリオフォー日記で松本さんと会ってるの? それとも場所っプで松本さんと会ってるの?

陽光 トリオフォー日記だよ。

慶太 ってことは、トリオフォーをやめた後に場所っプをやってるんだ。

外山 ん? トリオフォー日記っていうのは何?

慶太 トリオフォー日記っていうのは、トリオフォーのウェブ・ページに陽光くんが……。

外山 あ、もうネットに進出してるんだ、その時期は。

陽光 その頃は、トリオフォーの慶太、陽光、大谷と、もう1人いるじゃないですか、“フォー”が(笑)。その“フォー”が当時、ネットの仕事してたんですよ。で、ネットで日記を書くみたいなことが最近あるんですよ、当時“ブログ”って言葉はなかったかもしれないけど、まあそういうのがあるんですよ、みたいなこと云ってて。何云ってんのか全然意味分かんないじゃないですか。

外山 つまり結局ブログなの?

陽光 ブログなんだけど、全然意味分かんないし、おれは当時ネットなんか一切やってなかったから。でもとにかく、毎日起きたことを携帯にメールで送ってくださいって云われて、だから単にそいつが上げてくれてるの。こっちは何が起こってんのか分かんないんだけど、とりあえずおれは毎日そいつにメールを送ってたんですよ。それがネットに上げられてた。だからおれ自身は、あんまり分かってなかった。

慶太 で、その当時の日記に、松本さんと初対面の時の陽光くんの感想とかが載ってるんです。

外山 初対面というのはさっき話してくれた、トリオフォー・ショップに松本君が来たっていう……(註.調べてみると、この松本哉の初来店は04年3月23日の出来事であるらしい)。

慶太 うん。

外山 あ、そっか。まず須田さんが来たんだったね。

慶太 そう。

外山 で、その後に実際に松本君が来て。どんな感じでしたか?

陽光 いや、可愛いなと思って。顔が異常に可愛い。そもそもおれ、『クイック・ジャパン』とかで存在は知ってたから。模索舎で「創刊準備号」とかも読んでましたからね。

外山 法政を出た後に出し始めた『貧乏人新聞・街頭版』だ。

陽光 だからもう、とんでもねえ感じの、学帽をハサミ3ヶ所ぐらい切った、とんでもない高下駄のバンカラみたいなのが「うぉーっ!」みたいな感じで来るのかなと思ってたら、「どーもどーも」って(笑)。クドカンみたいな顔の人が来たからね。

外山 たしかにクドカンだね(笑)。それで結構すぐ仲良くなるんですか?

陽光 いや、全然でしたよ。

ノラネロ それでもたまに場所っプに来てたりとかね。

陽光 場所っプも1回か2回、来たぐらいだと思うよ。

外山 トリオフォー・ショップをやめるのがいつ頃なの?

慶太 始めてから1年経つか経たないかぐらいだよ。

陽光 半年ぐらいだったよ(註.トリオフォー・ショップは04年8月15日に閉店)。
 で、慶太がたぶん早かったの、おれらの中ではネットやるのが。そんで貧乏人大反乱集団の松ちゃんのホームページのリンク先にトリオフォーが載ってる、しかも“だめ連”よりも上に載ってるって(笑)。「これは事件だ」って(笑)。
 さらにトリオフォーのBBSがあったんですよね。おれも携帯で毎日見てて、BBSがみんなのネットでの集合場所みたいになってて。そこに松ちゃんが例のK君、公園に反戦の落書きして捕まった人の事件(註.事件そのものは前年の03年4月に発生)のデモがあるから来てくださいみたいな書き込みをしてて、今思えば単なるコピペなんだけど(笑)、松本さんが書いてくれたよ、みたいな。もうみんな「行きます」みたいな感じになって。それでテンションが上がったんじゃないかな。

外山 それは松本君が主催のデモじゃないよね?

ノラネロ 違ったと思うね。

外山 でも作風は松本君ふうのデモだったの?

慶太 最初はつまんなかったみたいですよ、出発前の集会の時点とかは。だけどデモが始まったら、なんか“デモ処女膜”が破れたらしいんですよね。初めてだから、陽光くんも大谷さんも。デモって云えば、ニュース映像で見る感じのデモしかイメージできないから。

ノラネロ それはサウンド・デモだったからね。

外山 じゃあ、かなり松本君的な色の強い……。

陽光 サウンド・デモですよね。

ノラネロ ECDとかも来てる感じの。

慶太 新社会党ふうのデモかと思ったらそうじゃなくて、若い奴ばっかり来てて。大谷君が興奮して喋ってたからよく覚えてるんだけど、「護衛してくれてる警官に中指突き立ててるんだよ」って。そんなことが世の中にあるのか、みたいな。

外山 何人ぐらいのデモだったの?

陽光 どうなんでしょう。今思えばショボかったのかもしれないんですけど。

外山 数十人規模?

陽光 100人ぐらいじゃないですか、たぶん。

慶太 とにかく興奮してたんだよ、2人とも。

陽光 そうとう面白かったもん。

慶太 かといってその後、貧乏人大反乱集団に積極的に参加するわけでもないんですよ。

陽光 その後か前か忘れたんですけど……。おれはトリオフォー・ショップをやってるのが面白かったんですよね。人がけっこう来てくれるから。もともとそんなに仲良かったわけでもない人とか、友達の友達みたいな人とかがいきなり1人で来てくれて、話して仲良くなったりする感じがすごく面白くて、だからこの感じを引きずりたいなあと思ってて。
 だけど来てくれたらお客さんの方は「何か買わなきゃ」みたいな感じがあるじゃないですか。それがけっこう申し訳なくて、だからそういう利害関係をなくしたいなと思って場所っプを始めたんですよ。

外山 ということはつまり、何も売ってない……。

陽光 そうそう。場所っプってのはつまり、誰も買わないし誰も売らないしっていう。ゼロ円でどうにか成り立つっていうか。

外山 どこでやってたんですか?

陽光 高円寺の、ケンタッキー前で。

外山 例の、懐かしの(笑)。

慶太 そうなんですよね。

陽光 そうなんですよ。

外山 それはやっぱりかつての体験の影響があるんだよね?

陽光 まさにそれを復活させようと思ったんですよ。

外山 話がつながってきたね。

慶太 ようやく(笑)。

外山 頑張ってここまで聞いてきてよかったね(笑)。

陽光 だってあの、おれが最初に行ってた頃の高円寺のケンタッキー前も、べつにナガシマ君がいるからってわけじゃなかったんですよね。とにかくただ人がいたっていう感じで、ほんとのサロンだったんですよ。例えば「おれがやります」って云ったら、おれがいないといけないじゃないですか。だから、最初は「おれがやります」って云って始めるけど、ゆくゆくは……土曜の夜10時からって決めてたんですけど、それがなくなってももう「あそこ行ったら誰かいるんじゃね?」みたいな感じにしたかったんですよ。

外山 土曜にかぎらず、誰かいるような。

陽光 そうそう。店をやれば、おれがいるから誰か来てくれるっていうのがあるんだけど……。

外山 最初のうちはそれで仕方ないとしても、そのうち定着したら……。

陽光 おれがいなくても勝手に集まるっていう感じになるだろうって、思ってたんですよね。だって実際、前はそうなってたんだから。でもなかなかうまくいかなくて、おれが行ったらそうなるぐらいにまではなってきたけど、でもそれだったらもう、“おれがやってる場所”でしかないじゃないですか。それは何かあんまり面白くないなあって、後半の方は思ってきて、あんまりやらなくなったんですけど。

ノラネロ で、その後だよね、もう。素人の乱が始まるのは。

陽光 そうだ、その時にちょいちょい松ちゃんも遊びに来てくれて、そしたら毎年アルタ前でカウントダウンと称していろんなことやってるって話を聞いて……。

外山 年末のね。それはもう、すでに松本君は前の年あたりからやってたんだ。

陽光 前の年にもやってたし、さらにその前の年とかもやったんじゃないかな。で、たぶん時期が重なってもいると思うんですけど、舞踏やってる連中も、カネが稼げるからとか云って、歌舞伎町のコマ劇前あたりでモチつき大会とかやってて。
 で、こっちも松ちゃんにそういう話をしたら、「じゃあ今年は一緒にやろうよ」ってことで、場所っプと貧乏人大反乱集団のコラボのモチつき大会をアルタ前でやろうとして、結局モチつきの杵臼が手に入らなくて、甘酒を配るって感じになっちゃったんですけど。書き初めやったりとかもして。で、その後じゃないですかね、素人の乱ってことになったのは。

外山 その年越しイベントあたりで完全に意気投合して……。

陽光 意気投合ってわけでもなかったんですよね。

ノラネロ お店をやりたいっていうところでね。

陽光 そうそう。

外山 えっと、カウントダウンで盛り上がって……。

陽光 カウントダウンで盛り上がって、それも準備段階でミーティングやるから来てよって云われて、大久保にアジトがあるからって。

外山 あったね、大久保に当時の松本君のアジト。

陽光 おれもビビりながら1人で行って。

外山 “過激派”のアジトなんてところに(笑)。

陽光 気に入られようと思って、差し入れのお酒とかいっぱい買って。「陽光くんは何できるの?」とか訊かれて、「とりあえずモチつきかなあ」とか。なんか難しい本とかいっぱい並んでて、かと思うとワケの分かんない書き初めみたいなのが貼ってあったりして、全然意味分かんねえなあって思いながら。
 で、その後にスワンキーズの……高校生の頃に聴いてた“ブルーハーツ、ピストルズ、スワンキーズ”のスワンキーズが再結成するってことで、今も一緒にやってるイトウ君ってのと、「福岡で1日だけ再結成ライブやるらしいよ」って、わざわざ飛行機に乗って見に行って、あまりにも感動しすぎて、これはもう感動しすぎたから、ネットラジオでもやろうか、みたいな。

外山 何ゆえそこでネットラジオなのか(笑)。

陽光 で、トリオフォーの4番目の池田に、「ネットラジオやりたいんだけど」って云ったら、「できるよ」って云われたんだか何だか忘れたけど、とにかくやってみたら、スワンキーズのラジオを聴いてた人とかが、みんな聴いてくれてたんですよ。
 スワンキーズ自体が、2ちゃんねるみたいなところで、“スワンキーズって今どうしてるんだろうね”っていうのが4年ぐらい温まって、メンバー同士がそのスレッドで再会してるんですよ。それで再結成したんですよ。で、その話ももともとの根を探っていけば、そのスワンキーズの最初のスレッドを立てたのがイトウ君だったんですよ。しかも2001年の9・11に立てたっていうのがイトウ君で、「こんな日におまえは何云ってんだ、死ね」みたいなことを書かれながら(笑)、放ったらかしにして3年ぐらいしたら、まさかそれでメンバー同士が再会して「スタジオ入ろうか」みたいな話になって再結成して……。

外山 それは放っといて、知らずにいたの?

陽光 知らなくて、再結成するっていうニュースを知って、おれがイトウ君にその話をしたら、イトウ君が「そのスレッド立てたのおれだよ」って。これはもう、あまりにも感動しすぎるネットのエピソードだろうって云って、実際ライブ見に行って感動したから、ネットで、「感動した」ってことを報告しながら曲とかもかけようよって云って、実際それをやってたのを慶太が聴いてたのよ。で、「面白い」って云って慶太がラジオを毎日始めて。

外山 毎日やったんだ。

慶太 そう。当時は毎日、1人でやってたんですよ。

外山 それはまだ素人の乱という名前じゃない時だよね?

慶太 いや、もう始めて1週間ぐらいで素人の乱っていう名前にした。

外山 ん? その時点でもう松本君が絡んでるの?

慶太 いや。

陽光 全然まだ絡んでなくて。

外山 じゃあ素人の乱というのは松本君のネーミングではなくて……。

陽光 じゃましマンですね。

慶太 じゃましマンが……あーもう、メンドくせえなあ(笑)。また話が戻るんですけど、じゃましマンがトリオフォーのソロ・ライブの時に、作文を読むコーナーがあったんだけど……。

外山 そのライブっていうのは?

陽光 初公演をやったんですよ、ハコ借りて。

外山 ん? じゃましマンが?

陽光 いや、トリオフォーが。トリオフォーはそれまで誰かから呼ばれたのに出るだけだったんだけど、そろそろそういう時期だろうって、それがまた2004年なんですけど、初めて自分たちでハコ借りてやったのが、“山下残”っていう、メンドくさいから内容は省きますけど。

慶太 それでそのライブをやって、その時にみんながそれぞれ作文を読むコーナーがあって、じゃましマンの作文の中に“素人の乱”というフレーズが出てきて、今でこそ定着した言葉だけど、当時は存在しなかった日本語だから、ものすごい新鮮だったんですよね。“素人の乱”って、何だそりゃって。すごく面白かったし、客も湧いたんですけど、それがずっと頭に残ってて。カッコいいなあって。

外山 そのライブ自体は、お客さんもいっぱい来たんですか?

慶太 来ましたね。200人ぐらい来たんじゃないですか。

陽光 いや、70人(笑)。

外山 全然違うじゃないか(笑)。

慶太 70人だった?

外山 それはどこで?

陽光 板橋の、舞踏やってるグループの稽古場を借りて。そこに佐藤修悦さんも出たんですよ、実演で。

外山 あ、もうその時点ですでにつながってたんだ。

陽光 むしろそれをやったんですよ。その2004年の、ぼくらの初めてのライブ企画に佐藤修悦さんを呼んでっていう、それだけのことだったんだよね、ほんとは。

慶太 佐藤修悦さんっていうのが、今ではネット等々で話題になってるけれども、当時は陽光くんと大谷さんなんかが反応して、「すごい」ってことになって、その時に映像なんかも作ったんだけど、当時はYouTubeとかもないから、つまり知らせる手段がないんですよね。
 どっかに呼ばれたイベントで「こういう人がいます」って紹介することもできなくはないんだけど、そんなのたかが20人30人で、そこでビビッドに反応できる人なんか1人か2人ぐらいじゃないですか。その1人か2人がその後もフォローしてくれるわけでもないし、せめてネットを通じてでも「こんなすごいのがあった」って報告してくれるわけでもないから、2004年の段階でソロ公演の時に佐藤修悦さんを呼んで生でやってもらったりして、すごくよかったんですけど。

外山 それがかなり、ライブの目的でもあったってこと?

慶太 いや、ワン・コーナでしたね。

陽光 完全にワン・コーナで、佐藤さんが実演やってる時は、明かり暗くして、じゃましマンがスーパーマリオやってましたね(笑)。

慶太 で、何だっけ。そう、その2004年のライブの時に、佐藤修悦さんもいたし、“素人の乱”という言葉も出て、それから1年間の間に陽光くんのスワンキーズラジオがあって。

外山 “スワンキーズラジオ”という名前で?

慶太 スワンキーズ再結成を祝した時の陽光くんのラジオね。(註.スワンキーズ再結成ライブが福岡でおこなわれたのは05年4月10日で、山下陽光の「スワンキーズラジオ」は同14日におこなわれたようである)

外山 それは何回もやったってことなの?

陽光 いや、2回なんですけど。1回目やってみると、みんなリクエストがすごいんですよ。「あの曲をかけろ」っていうのが。だけどべつにおれらはそんなに音源を持ってるわけじゃないから、「じゃあ、分かった」と。「今から掲示板にも書くし、口頭でも自宅の電話番号を云うから、持ってる奴はそこに電話をかけてくれ」と。つまり電話の向こうからガンガンにかけてくれっていう。それを無理矢理こっちの受話器からマイクにつないでかけるからって(笑)。そしたらほんとに電話かかってきて、ほんとに曲を向こうで鳴らしてくれるんですよ。こりゃすごいなあと思って。
 で、そのラジオを聴いてる人もすごくたくさんいたっぽいんですよ。掲示板の書き込みの量もめちゃくちゃすごくて。でも途中で著作権侵害とか云われて、当時は自分たちのサーバじゃなかったから、いきなりバチンと切られて、それで終わっちゃったんですけど。その時はライブドアのネトラジっていうサービスを使ってて、そこでは著作権違反になるものはかけられなくて、こいつらは違反したものをかけてるっていう通報が入ったみたいなんですよ。
 冗談じゃないと。スワンキーズってもともとインディーズのバンドなんだけど、そこのレーベルに電話して、ぼくらはこれこれこういう具合に感動して仕方がなかった、ついては、べつに著作権のおカネも何にも払えないけど、スワンキーズの音源をかけさせてくんねえかって云ったら「全然いいよ」って云われて、「ということで許可をもらったからまたかけます」って云ってかけたんですよね。それが2回目。で、慶太が……。

慶太 それで素人の乱というネットラジオを始めて……。ていうかその前から、トリオフォーってのは人前に出ていろいろやるグループだったんだけど、基本的にはさっきノラネロさんがビンビンに話してくれたみたいに、内輪で話してる時が一番熱いんですよ。だから陽光くんはけっこうずっと前から、「おれらは内輪で話してる時が一番面白いから……」。

外山 それをそのまま……って?

陽光 そうそう。舞台に立ったらもう幕かなんかで完全に客から見えないようにして、何か話してるその声だけが聞こえる方が面白いんじゃないのかって。体がどうしても必要だったらその時だけ幕からちょっと出てやって見せて、そんなんでいいんじゃないかって話をしてた。で、それからまたしばらく経って、ネットラジオが一番いいんじゃないのかって陽光くんが云って。そうかって。でも陽光くんはその時点でもうそのスワンキーズのラジオを2回ともやった後なんだよね。
 とにかくそういう話になって、まず、じゃましマンがネットラジオを実際にやるって云い始めたんだよ。でも、じゃましマンってちょっとお笑いの人脈なんかも持ってたから、放送作家みたいなことやってる奴も呼んで、トリオフォーのブレーンの大谷さんも呼んで、なんか超優秀なスタッフを用意して、女の子のアシスタントまで用意して(笑)、で、いよいよ来週の水曜日から毎週始める、みたいなこと云ってて……なんか気に入らねえなと(笑)。

外山 ちょっとカッチリやりすぎだと。

陽光 そうそう。そういうんじゃつまんないから、じゃあ、おれは火曜日から始めようって(笑)。しかも毎日やろうと思って。で、実際に火曜日から始めたの(註.放送開始は05年4月12日との情報があり、たしかに同日は火曜日であるが、となると山下陽光のスワンキーズラジオとの前後関係がおかしい。話にあるようにすでにネットラジオをやろうという機運が高まっているところに、慶太・陽光それぞれの実践が始まったのだろう)。

外山 じゃあもう、じゃましマンとはまったく別個に。

陽光 まったく。しかもトリオフォーで云えば大谷さんってのは超Aクラスの人材なんですよ。とにかくこの人がいれば何とかなるっていう。で、さっきの“4人目”がいるじゃないですか。彼は最低の人材とされてるんですよ。こいつがいると……。

陽光 ビニールテープみたいな人間ですよ(笑)。なくてもいいっていう。

慶太 そう。こいつがいると、どうにかなるものもどうにかならない可能性があるっていう。じゃあ、おれはこいつとやろうと思って。それで火曜日に始めたわけ。
 当初はもちろん素人の乱じゃなくて……さっき云ったネトラジっていうライブドアのサービスっていうのは、ネトラジというページがあって、ネトラジを使って今放送中のネットラジオはこれだけありますっていう一覧が出るんですよ。聴く人はその一覧の中からタイトルを見て選ぶわけじゃないですか。だから、一番有名な名前とか出せばみんなそこを聴きたがるだろうと思って、“大沢悠里のゆうゆうワイド”っていう、完全に既製の、TBSラジオでやってる番組名で最初は始めたのね。全然“大沢悠里のゆうゆうワイド”じゃないのに(笑)。
 でもまあ1週間ぐらい経ってから、やっぱの“素人の乱”ってカッコいいなあと思って、素人の乱に変えて。

外山 “素人の乱”という言葉を思い出して。

慶太 うん。あと、やってること自体がまさに“素人の乱”だし。べつにプロの芸人でもなくて、何でもない人が……。

外山 騒ぎを起こそうとしてる?

慶太 起こそうとしてるし、普通に暮らしてて、毎日1時間、不特定多数の人に向けて話すような内容なんか絶対にないんだけど、それをあえてやろうとしてるんだから、一応それに見合った、さっきの『ノッピン』の“日本を転覆する”みたいな、一応、志の高いタイトルをつけようと思って、で、“素人の乱”に。そんで始めてたら陽光が面白いと云ってて。

陽光 慶太のは、そうとう面白かったんですよ、その時。当時、YouTubeもないのに、なんか高円寺の駅のホームから見える不動産屋の電光掲示板の案内が面白すぎる、“風俗は行っちゃダメよお父さん”とかってもう、不動産とまったく関係ないんですよ、みたいな話をしてて。だけどこの面白さはラジオで口で云っても伝わんねえから、今から映像で見せますとか云って、で、明らかにその場でやってるのが分かるんですよ、その行動を。
 当時はYouTubeもないから、「今からとりあえず1回ラジオを切ります」と。で、掲示板にアドレスを貼るからそれを1回ダウンロードしてから見てくれって云って、実際にそのアドレスが掲示板に出るんですよ。それを見たら、ほんとについさっき撮ってきたっていう映像が出るんですよ。で、「また放送に戻ります」みたいな感じで、「どうでしたか」みたいな。音声だけだったはずの放送が、いきなり映像に移って、もう1回音声になって、「これがインターネットラジオです」みたいなこと云ってて、うわー、メチャメチャ新しいなあと思って。そんなの経験したことないから、すごいと思って。
 当時おれは借金取りのバイトしてたんですけど、これはもう乱入するしかないなと思って、どこで生放送してるかも知ってるから、翌日、放送が始まったのを確認してからチャリンコで八幡山まで行って、素っ裸でバーンと乱入して、「イェー」とか云って。「昨日面白かったよー」って話してたら、当時はまだそんなに仲良くなってなかった松本哉って人から電話がかかってきて、「今、高円寺にいるんだけどさあ、物件探しててさあ」って。そんで「飲もうよ」って云われて。「いやいや、今ラジオやってて」って云ったら、慶太が「これは行くべきでしょう」って。「じゃあ行くわ」って電話切って。
 ちょうど慶太がその、不動産屋の電光掲示板の面白いことをやった日に、トリオフォー・ショップをやってた頃に来てたお客さんが場所っプに来て、「そんな外で飲んでばっかりじゃなくてさ、店やるんならやろうよ」みたいな感じで親身になってくれて。

慶太 その人も古着屋さんだったのね。

陽光 うん。その人が、北中通りの会長とか副会長とかを知ってて、そういう人たちが「うちの商店街はシャッター街になりつつあって、若い人たちが何かやるなら応援したい」って云ってるから、紹介するよって。明後日ぐらいに会わせてあげるから来なよって。で、おれも「分かった。会いに行くわ」って。
 それが2日前ぐらいで、そんで慶太の生放送に乱入して、松ちゃんから電話かかってきて、松ちゃんは松ちゃんでそもそも彼が何をしてる人なのかもおれはよく分かってなかったんだけど、リサイクル・ショップをやりたいとか云ってて。そんなことしてる人だってことは全然知らなかったんですよ。
 で、「今、高円寺で物件探してみたんだけど、いいのが全然なくてさ」って云ってるから、「いや、おれなんか明日、物件探しに商店街の人に会いに行くんだよ」って云って、「じゃあ一緒に連れてってよ」って。それなら今から会おうってことになって、慶太と一緒にまた高円寺に戻ってきて、それこそ場所っプで飲んだんですよ。で、「明日また何時に会おう」って。
 そんで翌日、おれと松ちゃんで斎藤さん(高円寺・北中通りの「さいとう電気サービス」店長)に会いに行ったんですよね。おれは阿佐ケ谷の葛切り饅頭かなんか買って、あと、初めて『散歩の達人』か何かに載った昔のトリオフォー・ショップの記事も持って、こんな雑誌にも載るような人なんですよってアピールだったんですけど何の効果もなくて、むしろ100%怪しまれて(笑)。そしたらたまたま慶太がそこに通りかかって、「あ、慶太じゃん」って云ったら、「あれ? 慶太君の友達なんだ」って斎藤さんの態度が180°変わって。

ノラネロ 慶太はその時から斎藤さんを知ってたんだ。

慶太 いや、たしかその時は「この辺でよく見るね」って云われて、北中通りのどこどこの家の息子ですって話をしたら、「ああ」って。

陽光 あっさりOKになって、鍵を借してくれて。それが1号店なんですよ。

外山 1号店ってどこだっけ?

慶太 ここの斜め前の……。

ノラネロ 今はマンションになってるから。

外山 あ、このマンションができる前だったのか。

慶太 やっと素人の乱までたどり着いた(笑)。

ノラネロ もう充分っしょ。ゴールしたっしょ。

陽光 いやいやいや、まだこれ99年ぐらいでしょ(笑)。

外山 まあまあ、とりあえず素人の乱までつながって、後はすでに出てる本とか資料にも載ってる話になるんだろうから、もういいと云えばいいんだけど、まだいろいろあるんならいくらでも喋ってください。

慶太 しかし今こうやって話を聞いてて分かったけど、陽光くんて一つもムダになってないじゃん、東京に来てからのいろんなことが。大変だよね。

陽光 それは今だからこそムダになってないだけで、全部ムダだと思ってたよ。だって岡画郎とパンクみたいなのって、当時は自分の中で全然つながってなかったしさ(笑)。で、いろいろ違うことやって、また違うことやって、今たまたまそれが総合されてるけど。しかも全部、高円寺で起きてるから。そんな広いカルチャーじゃないから。ヘンなことやってる奴って云っても、どうしても全部つながるじゃん。たまたまでしかないと思うよ。おれが場所を変わってないからだよ。

外山 しかし素人の乱というのは、実はラジオが先だったんだね。ラジオから始まったんだ。

陽光 慶太が始めたんだよ(笑)。

慶太 実はね。

ノラネロ 命名も、じゃましマンだし(笑)。

慶太 最初はそうとうイヤがってたもん、松本さん。

外山 そうそう。松本君のセンスじゃないなってのは、当初から何となく感じてたんだけど。

ノラネロ 1号店をやる時に、店の名前をどうしようかって話をしたんだよね。

慶太 “百姓一揆”だったからね、松本さんの案は。

陽光 おれは“ニート・スポット”ってのを云ってたんだよ。

外山 “百姓一揆”はまさに松本君のセンスだ。

陽光 素人の乱のアドレスを見れば分かりますよ。トリオフォー、jp、慶太、スラッシュみたいになってる。

ノラネロ ラジオのアドレスね。

慶太 ラジオはそう。そのままで続いてる。

陽光 トリオフォーのページじゃんって(笑)。

慶太 そうだ、トリオフォーのページだ。

陽光 トリオフォーのページの中の1つのコンテンツなんだよね。いまだにそうだから、ネット的には。

外山 痕跡がそこに。

ノラネロ でも松本さんも素人の乱っていう名前は気に入ってそうだけどね。

慶太 それは結果的にはね。

外山 もう定着しちゃったしね。

ノラネロ そんなにイヤな感じてもないでしょう。

陽光 貧乏くささ、貧乏人大反乱ときて、素人の乱ってのは、ちょっとずつ大人になっていってる感じはするよね(笑)。

外山 これは本とか読めば載ってるかもしれないけど、1号店ができた時っていうのは……。

陽光 外山さんは来てるんですよね。

外山 うん。

慶太 おれは会ってるもん。

外山 来てるけど……。

陽光 「来たよ、とうとう外山恒一が」って云われたもん、松ちゃんに。誰なんだろうと思ったけど。

慶太 おれも誰なのかなと思った。「一番、危険な人物なんだよ」って。でも松本さん誰のこともそんなふうに云うからね(笑)。

外山 そうそう。「とんでもない奴だ」って。

慶太 玉石混淆なんだよね(笑)。

外山 で、1号店というのは、松本君のリサイクル・ショップなの?

ノラネロ いや、あれは一緒にやってたの。

陽光 おれと松ちゃんとインターネット・ラジオ。

慶太 その3つが融合してたね。

陽光 でもおれはその時は別のところで働いてたんですよ。店番とかは全部、松ちゃん、寺山さん、北野さんがやってくれてたから。

外山 つまり松本君がリサイクル・ショップをやりたくて場所を探してて、陽光さんが古着屋をやる場所を探してて、それとネットラジオをやり始めたのが、たまたま時期が一緒だったから、それを全部まとめてやるって感じになったってことだよね。

慶太 そうそう。だから具体的なコンセプトとか、ないですよ。勢いですよ、単なる。

陽光 そこを借りられる期間も3ヶ月って云われてたんですよ。だから、3ヶ月だけならとりあえずはバイトもやめず、とにかく楽しもうかなあって。そう思ってたら、なんかなじんできて、その後もいろんな物件を商店街の人が紹介してくれた。

外山 ここも空いてるよ、ここもいいよって(笑)。ここは3ヶ月でなくなるけど、次はこっちが空くよって感じ?

ノラネロ そうだね。でも1号店の時とかって、おれも時々遊びには行ってたけど、松本さんの知り合いとか、ほんとウサン臭い人ばっかりでさ……。

外山 活動家の……。

ノラネロ そんな感じで。陽光とかとは会いたいんだけど、メンツを見て松本さんの友達ばっかりだったらもう、すぐ帰ったりとかしてて。なじんでしまえば普通なんだけど、なじむまでにおれはちょっと時間がかかったね。

慶太 最初はちょっとそういう感じもあったね。

ノラネロ 向こうからしてもさ、松本さんの友達っていう関係で陽光とかがいて、陽光くんの友達で誰々がっていうのは……。

慶太 だから不思議だよね。一緒にやったのが不思議というか。

ノラネロ でも松本さんと陽光は仲良かったからね。

慶太 いや、仲良いと云えばそうかもしれないけど。

陽光 よく知らないんだよね、お互い。

慶太 そうなんだよ。

ノラネロ だって1号店のシャッターのペンキとか塗ったのはおれとか陽光とかで、松本さんサイドは誰も来なくて、「あいつら何だよ」とか思ってたけど、でも店番はずっと松本さんがやってたりするから、「あ、意外といい人なんだ」って(笑)。

慶太 なんかヘンなバランスがあったよね。

外山 要するに陽光さんと松本君と慶太君が融合して店を始めて、それにそれぞれの友達が来る感じで……。

慶太 陽光くんとおれはカブってるけどね。

外山 あ、そうか。

ノラネロ 向こう側の、松本さんとかの友達とかっておれの第一印象、みんな悪かったからね(笑)。

慶太 何でだろうね。

ノラネロ 向こうもそうなんじゃないの? おれらみたいなのは「分かんない」って感じでしょう。

慶太 そうかもね。

外山 あっちはやっぱり運動家の人たちだからね。

陽光 まったく触れたことがない人たちだから、おれらからすれば。

ノラネロ デモとか行ったことないし。

外山 こっちから向こう側もそうだし、向こうからこっち側もそうなんだね。

陽光 でも、こっち側は例えば「おれハードコアしか聴かねえから」みたいなことをあんまし云わないじゃないですか。だけど向こうは何かそういう感じの……。

ノラネロ あったんだよな。

陽光 「君はどんぐらいの運動やってきたの?」みたいな感じの。なんか、そうとう訊かれるんですよね。でも、向こうが云ってること全部分かんないから(笑)。

ノラネロ 「あの問題どう思う?」とか訊かれても、そんな意識ねーよって思うじゃん(笑)。実際、聞いてると向こうは話してる内容もそういう会話してるじゃん。でもおれらが喋ることなんて、ほんとくだらないことばっかりでさ。

外山 文化圏が全然違うからね。

ノラネロ こっちは「最近タモリ面白いね」みたいな話しかしてないもん。でも向こうでは「何々問題」を話してる(笑)。

外山 こっちはタモリ問題(笑)。

ノラネロ で、3ヶ月後にはすぐ別の物件を借りられたもんね。松本さんも。

外山 1号店が終わるのとほとんど同時か、あんまり間をおかずに2号店、3号店ができるんだ。

ノラネロ やっぱり斎藤さんとかが動いてくれて。

外山 その時点で、古着屋とリサイクル・ショップとは別々になって……。

ノラネロ 長い物語でしたね。

外山 でも最終的にはすべての伏線がまとまった。

慶太 陽光くんはさっき、今でこそ全部つながったと思えるけどって云ってたけど、やっぱり不安だったんだ。

陽光 不安でしょうがないし、転職を繰り返してる人みたいな気分だったよ。

外山 それはべつに美学的なものでもなかったの? 意味や目的なんかなくてもいいのだ、みたいな。

陽光 うん、そういうんじゃなくて。

ノラネロ 陽光は飽きっぽいんじゃない?

陽光 まあそれはあるね、たしかに。

ノラネロ 舞踏とかやっててもさ。おれなんか陽光の舞踏とか見に行ってて、すげえいいなあと思ってたのね。舞踏がらみでいろんなとこに行ったりもしてたじゃん。それも1ヶ月みっちり稽古して、みたいな。それをおれはたまに見に行ってたから、すごく楽しそうだなと思ってたけど、それがしばらくすると「今あんまり興味ねえから」みたいなこと云ったりしてて(笑)。そんな感じでいろいろと、コロコロ変わってたよね。

慶太 でもまあ1回も守りに入らなかったことが成功のもとなんじゃないの? 成功っていうか、今に至る。普通は立ち止まって「ヤバいな」とかさ(笑)。だけど一応、来た話、来た話、全部乗って行ってるじゃん。

陽光 たぶん「これをやります」みたいなのがずっと苦手だったんですよね。「音楽をやります」とか「お笑いをやります」とか。むしろ「そうじゃないもの」をやりたい。

外山 これは何々だって規定されないようなことがやりたいわけね。

陽光 結局そういうところにいる人、そういうのに当てはまりたくないところにいる人って、たぶんずっと10年ぐらい前から変わんないんだと思うんですよ。

ノラネロ でも一貫してアートっていうようなことには興味があって、ずっとやってるよね。パフォーマンスとか。

外山 でも陽光さん的に“やりたいアート”というのは、何かのジャンルに収まらないような……。

慶太 いや、そんな難しいことじゃないと思う。

陽光 うん、もっと全然……。

外山 誰もやってないこと?

慶太 いや……。

外山 何と呼べばいいのか分からないようなこと?

慶太 というのを狙ってやってるんじゃないんだと思う、たぶん。

外山 狙ってるわけじゃないんだけど結果的にはそういうものしか面白いと思えない?

慶太 それはあるかも(笑)。

陽光 ああ、そうですね。たぶん自分が経験してきたことを加工して表現するようなことはあんまり面白いと思わないんですよね。もっと自分が経験したことないようなこととか、初めての、何なんだこの感覚っていうのが面白いし、やりたい。

 (以下、延々と会話は続く)

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