樋田毅『彼は早稲田で死んだ』書評

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いろいろあって(あるようで)某所で掲載拒否に遭った原稿である。共産党方面からの圧力に屈するとは玄洋社の名も泣こうというものだ。革命の暁にはやはり接収せねばなるまい。

樋田毅『彼は早稲田で死んだ』書評

 日本の若者の政治的無関心は異常だ。本書で初めて詳述された「川口事件」こそ実は〝政治の季節〟から〝何もない現在〟への分岐点で、これに比べたら「よど号」だの「あさま山荘」だの、「安田講堂」さえどうでもいい。
 72年11月、早大生・川口大三郎が自治会室で凄惨なリンチを受け、殺された。自治会を仕切る革マル派と対立する中核派との関係を疑われての、拷問の末のことである。そうしたリンチは早大では日常茶飯で、いつも〝死なない程度〟に手加減していたのが、つい度を越してしまったのだ。
 さすがに多くの早大生がこの事件を機に立ち上がり、不正選挙で選出されていたにすぎない自治会執行部のリコールを目指した。革マル派は当然この動きを暴力で抑えようとする。〝暴力には暴力で〟との主張も登場し、中核派などの諸党派も革マル派が支配する早大への〝進駐〟の機会だと乗じるから、キャンパスは文字通り戦場と化していく。
 早大当局は、なんと一貫して革マル派の側を支援した。まだまだ学生運動は盛んな時代だ。諸派乱立して学内がカオスと化すより、何派であれ一つの党派にシメてもらって、秩序維持を委託したいのだ。
 「早大戦争」は結局、革マル派の勝利に終わる。早大生たちは再び、むしろ〝戦前〟以上の沈黙を強いられ、早大は〝平和〟を取り戻す。中核派などの諸党派は革マル派の強さに見習い、自治会を掌握するそれぞれの〝拠点校〟で早大方式の恐怖支配体制を構築し始める。つまり川口事件は、単に早大のみならず全国ほとんどの大学で無党派の学生たちがさまざまの声を上げることを困難とする結果をもたらしたのだ。
 無党派の学生運動がほぼ消滅したのは90年代初頭のことである。90年代半ば以降、早大を筆頭に各大学当局は学内からの〝過激派〟の追放に本気で取り組み始める。警察が本気で〝暴力団〟の撲滅にかかるのと時期もメカニズムも一緒だが、それはそれでどうなんだという気もする。


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