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結構見ている。

どうやら私はどこにでもいる容姿の人間らしく、度々見知らぬ人から知り合いに間違えられる。
ある時はエレベーターの中だった。乗り合わせた女性に声をかけられ、人違いだと言っても信じてもらえず確認されること数回。別の時は道端で親しげに肩を叩かれ、否定すると気まずそうに謝られた。

誰々に似ていると言われることも多々ある。身近な人であったり芸能人であったり。特徴をまとめると、薄い顔立ちなことは同じでもあとは共通点がない。つまり、雰囲気からして私はどこにでもいそうな人間なのだろう。
先日、そんなことをぐだぐだと並べて明日はあなたの隣にいるかもしれないと呟いたら「隣にいてくれたら嬉しい」とお返事をいただいた。なんと嬉しいお言葉、ありがとうございます。

世界でたった一人だけの私とか個性を大切にとかそんな言葉が今、当たり前のように語られているけれど私はそこまでの独自性を持ち合わせていないので言われた分だけ肩身が狭くなるが、他人にスポットを当てるのだけは得意だ。

会社の先輩が得意分野の仕事を淡々とやっている時、その横顔に見惚れて「プロフェッショナル仕事の流儀」のテーマソングを心の中で流してみたり、高慢で出世欲か強い上司がさらに上の上司に詰め寄られてしゅんとしているのを見て(彼のことが苦手だけれど少しだけ)かわいいなあと思ったり、先輩が特定の後輩にだけやけに好意的な言葉ばかりかけているから、おそらく彼は彼女を気に入っているのだろうと推測したり、物腰やわらかくいつも微笑みを絶やさない先輩がいるけれど何か裏がありそうだからいつ裏が出るか心待ちにしていたり、強気でパワハラ気質の上司の好きな色はオレンジ色だと気づいたり。

仕事の合間に小さなことを見つけては集めるのが好きなのだが、時々それが誰かの人物像に迫る時の大きな証拠に化ける時があり「戸山さんよく見てるねえ!」と言われたは少しドヤ顔をしている。ごくごくたまに「〇〇さんて、〇〇お好きですよね」と伝えると「戸山さん、よく見てるよね」と思いの外喜んでもらえて、そんな時もこっそりドヤ顔している。しかし、集めた情報のほとんどは披露されることなく胸にしまっているから、単なる密かな楽しみなのだけれど。

そんな独自性をアピールしたところで世の中同じようなことをしている人は多くいて私よりもっと器用な人は「趣味は人間観察です」と公言し、何かのジャンルを作り上げているので何の自慢にもならない。私がやっていることはその人の些細な特徴をちまちまと集めて縫い合わせるパッチワークのような、小さなタイルでモザイクを作るような、いやつなぎ合わせるまでいかずハギレやタイルをたくさん集めて愛でる程度のことだ。要はむっつりすけべである。

インターネットを徘徊していると、誰も私を見てくれないとか、もっと認められたいとか、そんな思いで寂しいと感じている人をたくさん見かける。かくいう私も汗まみれで頑張っているのに何で認められないのかと職場でいつもひねくれている。

でも、あえて表に出ないだけで実は結構他人は見ているんじゃないかしら。どこにでもいるような人間の私がこれだけ他人を見ているのだから。ただあえて本人に伝えないだけのことで、いちいち伝えても気持ち悪いと思われるし自分が好きでやっているだけのことだから。

私と1週間くらい同じ場にいてもらえたら原稿用紙数十枚くらいはあなたの小さな情報を書き留める自信がある。それを縫い合わせて好意的なパッチワーク(もしくはモザイク)を作ることもできるかもしれない。

何度も書いたが、私はどこにでもいそうな人間で明日は隣にいるかもしれない。そしてあえて表に出さないだけで結構あなたのことを見ている。結構好意的な目線であなたの個性のタイル(もしくはハギレ)を集めている。特にあなたに執着しているわけではないのでどうか気にしないでほしい。(いや多分気持ち悪がられるからこっそりする)

でもそうやって何気なく他人に見られていることは悪いものではないでしょう。この前「戸山さん、いくつ眼鏡持ってるのよく変わるから」と先輩に言われた時、人に見てもらえるのって嬉しいものだなあと私は思ったもので。まあ人それぞれだから無理強いはしないけれど。

私自身もあえて言われないだけで、誰かから見られているのだろう。あえて表に出ないだけでそんなことは結構あるのだと思うと、大勢から無視されているとか私なんて誰もわかってくれないとかそんな悲しい気持ちが少し和らがないかしら。
少し和らぐと良いのだけれど。

それでは来週まで、どうかお互い元気でいられますように。