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ほどほどに、ほどほどで。


こんにちは。日曜日、いかがお過ごしですか。

今週は、仕事の年度末と娘のお弁当が始まりバタバタした一週間でした。そんな中、ネットで買った「自分へのご褒美」が届いたのですが箱を開ける元気もないまま日曜を迎え、先ほどやっと開けたところです。せっかく欲しかった物が届いたのに開ける気力もない。…なんて、大げさに書きましたが、単に面倒くさがりなだけです。フットワークが軽い方を尊敬します。

今日は「たった一度の人生なのだから論」について書きたいです。この頃、私はこの考えを意識し過ぎて空回りしています。よろしかったらお付き合いください。

日々過ごしていると、度々出会うのが「たった一度の人生なのだからやりたいことをやりなさい」という言葉です。
私、たった今「たった一度の人生なのだから論」と名付けたのですが、この理論には「明日死ぬかもしれないし」とか「今を大切に生きなさい」「最後の一日だと思って全力で」などの仲間があります。

まさに、本当にその通りだと思います。

ダラダラ過ごすのも一日だけれど、会いたい人に会ってやりたいことをやって思い残すことなく過ごす一日の方が輝いているし、次の日死ぬとしたら悔いが残らない。

でも、でもね、「たった一度の人生なのだから論」も、程度の問題だと思うのです。


本当に明日死ぬならば今日を全力で生きても良いけれど、明日もまだ生きられるならば今日はほどほどにして明日へ余力を残さねばならないのが現実だと思うから。

明日が最後かもしれないのも、また本当のことです。
だから、ほどほどに全力で、ほどほどに悔いが残らないようにしたいなあと思います。相変わらず煮え切らないです、私。

それに、明日もし本当に死ぬのだとしたら。
どんなに全力で生きたとしても、それなりに悔いが残るだろうし、どんなにダラダラしても同じこと。どうしたって悔いは残ると思うのです。

「たった一度の人生なのだからと悔いが残らないように完璧に生きるのは無理だと思う。だから、そこそこ満足できるよう真面目に生きよう」

という、何とも歯切れの悪いフレーズが今の持論です。

こんなことを今考えているのは、命を奪う感染症がすぐそこにあるからです。
心のどこかで明日死ぬかもしれないという恐れが常にあるからだと思います。
怖いです。本当に。

安穏と暮らしていた今までなら、明日も全力で生きるぞと思えたけれど、現実的にはそれが難しいことに気づけるくらい死について考えています。

明日も明後日も生きられることを前提に、私は生きているけれど、明日死んでも後悔しないように、唯一心がけていることがあります。


それは、家族を喧嘩したまま送り出さないようにしたいということです。


なぜこんなことを書くのかといえば、私自身に後悔があるからです。
あれは、次女を妊娠中の時の朝、長女を叱りつけて泣かしたまま保育園に送った。数時間後、私は切迫早産で出産まで入院することになりました。
出産前、長女とゆっくり向き合える最後の時だったのに、最後の母親の顔が怒った顔だとは。胎児の命と長女へのすまなさに泣いたのを覚えている。それから間もなく長女には会えて、ごめんねと言えたけれど、これがもし本当に最後だったとしたら。

だから繰り返しますが「たった一度の人生なのだから論」を私は痛いくらい理解しているし、否定するつもりは毛頭ございません。

それでも私が全力疾走しきれないのは、自分が「明日も生きられるかもしれない人間」だからです。

これからも「全力」と「ほどほど」の間を行ったり来たりしながら、後悔を噛みしめながら生きるのだと思います。

さて、その日を全力で生きなかったおかげで後悔した話をもう1つ。
あれは結婚前のだいぶ前のこと。ほんのり好きだった人が転勤することになり、仕事の後片付けを手伝っておりました。
これが最後の別れになるのだとしたら、気持ちを伝えようかと迷っておりました。今思えば相手もまあまあ思っていてくれたのでしょう。3日後、転勤前にもう一度、ゆっくり話そうと約束してその日は帰ることにしたのです。
彼は残務処理を手伝ったお礼にと自販機でコーヒーを買ってくれようとしたのですが、私はすっかり舞い上がり緊張してしまい「今度会う時で良いです」と遠慮しました。

3日後に会う約束をしていたのに、私はそれきり彼に会うことはできなかった。なぜなら、その翌日から私は風邪を引いて寝込んでしまったからです。

もしあの時、3日後の約束に浮かれず目の前の人に緊張せず缶コーヒーを買ってもらい、何かを話していたら違う人生を歩んでいたかもしれません。
でも、それがなかったから今の暮らしがあるのも事実です。
その時の後悔と今の幸せ、どちらも一緒に心の中にあります。白黒はっきりしない、透明ではない、それが私の現実です。

全力で生きても生きなくてもいくらかの後悔はつきものだし、この世の多くの人は元から真面目に生きているのだから、「たった一度の人生なのだから論」に囚われ過ぎず、全力に囚われ過ぎず生きれば良いと思うのです。
確かに明日死ぬかもしれないけれど、それに脅迫され過ぎるのも良くないから。そして私は明日もかなり生きる確率の(今のところは)高い人間なのですから。

明日も平穏な日かはわからないけれど、かなりの確率でまあまあの日のはずです。
だから、ほどほどに全力で、ほどほどに真面目に。そして、ほどほどに後悔しないように過ごそうと思います。