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未来が見えるガラスの玉があったら、どれくらいの間楽しめる?

未来が見えるガラス玉があったら、とりあえず、とてつもなく未来を見るのであれば楽しめると思う。たとえば一万年後。そこに人間がいるのかどうかは分からないけど、もしいたら生活様式はずいぶん違っているだろうし、反対に別の生物が地球を支配していても面白い。

荒野になっていても不思議には思わない。でも、地上が燃え盛る火の海になっていたら、何が起きたんだろうと思う。どれくらい長い間、火の海になっているのかも気になる。そしてそれが人間によってもたらされた出来事なのかどうかも気になりそうだ。

一番残念なのは、何も変わっていないときだろう。一万年経っているのに、人々はアパートに住んでいて、カップラーメンを食べ、夜に風呂に入り、歯を磨いて眠っていたら、きっと失望するに違いない。日曜日には大河ドラマを見て、年末には紅白歌合戦を観て、ネットフリックスで海外のドラマを観る。さすがにそうはなっていないといいんだけど。

でも、なぜ遠い未来が変わっていないことを、私たちは残念に思うのだろう。それはきっと、未来は変わっていてほしいと思うからだ。では、なぜ未来は変わっていてほしいと思うのだろう。なぜ、現在が反復するのはよくないと思うのだろうか。

それは、これまで歴史を通じて人類は変わってきたのに、私たちの代で、突然変化が止まってしまったと思うからだろうか。進化し続けてきたことを、停滞させることになると思うからだろうか。

いや、でもそもそも人間は本当に歴史を通じて変化してきたのだろうか。私たちは何百年も何万年も前から、同じことを繰り返しているのではないか。きっと、弥生時代には縄文時代的な紅白歌合戦があったし、旧石器時代には旧石器時代的なネットフリックスがあったはずだ。そうであったとしても何も不思議ではない。

そうだとすると、一万年後の未来に、一万年後的な紅白歌合戦や、一万年後的なネットフリックがあるかも知れない。そうであるとしたら、いったい何がその役割を引き受けているのかを眺めるのは、楽しいかも知れない。「あー、あれって要するに紅白歌合戦だよね」みたいに。

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ちなみにこの文章は、ファビアン・ファンデルハム原作『てつがくおしゃべりカード』から一枚引いて、そこに書いてある問いに答えたものです。

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