虫の話

宮沢賢治の童話に、『よだかの星』という小品がある。よだかは実在する鳥であり、空を飛びながら虫を食べる。物語のなかで、彼は鷹からいじめられている。その被害に苦しみながら、いつものように虫を食べていると、はたと気づく。自分もまた虫を食べている。虫にとっては自分もまた加害者である。結局自分は、鷹が自分をいじめ、自分が虫を食べるこの加害と被害の連鎖に巻き込まれており、そこから抜け出せない。そのことに深く絶望した彼は、一切虫を食べることをやめ、星になることを決意する。

バイクに乗って移動していると、そのよだかのことを思い出す。なぜなら、ヘルメットや上半身に虫がぶつかり、死んでいくからだ。暖かい季節に田園地帯を通り過ぎると、それはそれはひどいことになる。虐殺もいいところだ。

ときどき、頬に大きな虫がぶつかり、そのまま死ぬことがある。そういうときには、バチン、と衝撃が走るが、そうなったとしても「うぜぇな、畜生」とは思わないことにしている。なぜなら相手の虫は死んでいるのだ。恨みを抱えているのは相手の方だろう。そもそも非人間的な速度で移動しているのは僕の方である。明らかに僕が悪い。

今日、電車に乗っているとき、たまたま先頭の車両に乗っていた。子供のころ、そこから運転席越しに窓を眺めるのが好きだった。でも、今日そこを眺めてみたら、たくさんの虫の死骸が、窓の至る所にへばりついていた。思わず目を背けた。

僕が虫を苦手なのは、人間にとって虫を殺すことの抵抗感が極めて低いにもかかわらず、それが人間社会にあまりにもたくさん存在していて、日常のなかに「殺す」ということが浸透していることを、思い出させるからかも知れない。
 

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