反出生主義のこと

ダ・ヴィンチ恐山こと品田遊さんと対談させていただいた。

今回のテーマは反出生主義で、僕の『親ガチャの哲学』と、品田さんの『ただしい人類滅亡計画』を交錯させる内容だった。

対談の内容としては、相当にボリューミーで、少し時間をかけて消化していかないといけないな、と思いつつ、二つだけ振り返っておきたい。

一つは、品田さんの『ただしい人類滅亡計画』における、議論と共鳴の関係。この本のなかでは、途中まで徹底して論理的な議論が展開されるが、終盤で議論という営みそのものがひっくり返され、魔王とグレーの対話によってすべての決着がつく。ところが、その対話は互いの説得を目指したものではなく、二人の共鳴とでもいうべきものだった。対談の中で、品田さんがそうした表現にした背景を聞けて、とても面白かった。同時に、『キリンに雷が落ちてどうする』のなかで、ネット上の論争に対する距離感を示していた彼の、コミュニケーション観のようなものが見えて、面白かった。

もう一つは、品田さんから投げかけてもらった質問。僕は、親ガチャ的厭世観を乗り越えるためには、物質的な条件(経済的な状況)の改善が必要だと述べたが、しかしその厭世観は物質的な条件が改善されても変わらずに残るのではないか、と品田さんから問われた。そして、そうであるとしたら、物質的条件の改善を訴えることは、望ましい条件のもとでより深く持続的にこの人生の不条理と向き合うことを強いるのではないか、と。これに対しては、正直、うまく応答できなかったかも知れない。宿題にさせてもらった。

反出生主義も、一盛り上がりして、徐々に歴史化されていく段階にあると思うし、疫病や戦争など、他にも難問が提起されている。ただ、ある意味で人類は古代ギリシャからこの問題に向かい合っているので、そうそう解決されることはないだろう。しばらくは自分の問いとして考え続けてみたい。

品田さんとまたいつかお話できたらいいな、と思いながら帰宅した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?