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小学生の頃に聞かれた親の職業

小学生の頃はいろんな習い事に通わせてもらっていました。
ピアノ、そろばん、器械体操、ボールペン字、塾とほんといろんなことをさせてもらってたなぁって思います。
習い事に行こうと思ったきっかけは全部友達。
当時、仲良しだったお友達が行ってる習い事にあれもこれも行きたい!と言っていたら両親は全部やらせてくれました。中でも器械体操はいまだに体に残ってるかな。体硬くて全然できへんけど。

【道徳の授業だったかな?社会やったかな?】
器械体操やってたおかげで体育の授業ではいつも見本にされてました。
これは中学に入ってもそうでしたね。みんなよりできる事に優越感満点でドヤ顔してたと思いますwww

学校の授業でお父さんの職業聞いてきて発表する、みたいな時間ありませんでした???
あまり記憶力が良いとは言えない私の頭にいまだに強烈に残っているのがこの時間です。強烈に残った理由は「自信もって発表できなかった」からじゃないかな。器械体操みたいに明確に見せることができなかったのが自分の中で嫌やなぁって感じたからかもしれません。

【お父さんの職業が説明できなかった】
「私のお父さんは警察官です。警察官は・・・」と説明する友達。
周りのみんなはお父さんの仕事をちゃんと説明して発表していたのをよく覚えています。
そして私は。。。
自分の番が回ってきたときに「私のお父さんの仕事は○○です。」
この一言がちゃんと言えなかった記憶があります。
「鉄工所?ではなくてなんか鉄を作ってる?なんて説明したらいいのだろう・・・」そう思ってよく分からず説明していました。
それが子供ながらに嫌だなぁって感じていたように思います。

【金型がわからなかった】
学校の宿題なので両親には聞いたはず、、、
きっと聞いたと思うのですが理解できてなかったのだと思います。
「金型作ってる」そう言ってたと思うのですが金型そのものがわからなかったし、金属製品が何になるのかもわかってませんでした。
毎日通っている工場でおっちゃんたちが金属を削ってたりプレスしてたり、何か作っている現場は見ていましたが小学生の私には
「鉄をなんかしてる」それくらいにしか理解ができていなかったのです。

【大人になって理解した】
私が両親がどんな仕事をしているのか理解したのは23歳の時。
実際に現場に入った時に「めちゃくちゃすごい仕事してたんや!」そう理解しました。生まれてからずっと目の前で仕事する両親を見ていたけど全然わからなかったし、わからないからこそ自分の職業の選択肢には上がってもいませんでした。自分で体験したからこそ理解できましたね。

【自分の子供も同じでした】
我が子3人も同じ環境で育ちました。自分の経験もあって、小さい頃から何を作っていてどんな仕事をしているのか、できるだけ伝えるようにしていました。何なら現場で話しながら伝えていたことも。
子供たちにわかりやすく伝えることをずっとやっていたのが後々に活きるようになります。

【自分の経験から思ったこと。】
知らない職業は選択肢にすら上がらない。伝え、知らせることが必要。

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