権利と義務

なんとなくコロナに対する警戒心が薄れてきたところに著名人の訃報を聞き、市中には少し警戒心が高まっていると感じられます。一方、政治家の皆さんには全く効果がないようで、30日の小池都知事の会見も全く要領の得ないものでした。とはいえ、あいかわらず各地でクラスターが発生していますし、このご時世に海外に旅行に行ってコロナウィルスというお土産を持ち帰ってくるバカもいるわけです。ニューヨークもロンドンもパリも都市が封鎖されてコロナにおびえているのに、なんでこんなに呑気なんでしょう。

その話の前にタイトルの権利と義務の話をします。

民主主義の社会では、権利と義務はたいていは対の関係にあります。何かを求める権利があるなら、自分が何をする義務もセットになっているのです。私たちには納税の義務があります。何らかの形で税金を国に納める義務です。一方で、私たちが納めた税金を正しく使うために私たちの代表を選挙で選ぶ権利を持っています。

権利を権力と言い換えることができます。会社に入ったころは何をするにも先輩や上司にお伺いを立てないといけませんが、何か問題が発生しても責任は負いません。やがて出世していくと強い権利を手にしますが、一方で自分の言動や部署の業績に対して責任を負います。権利が強くなれば責任も重くなります。このように権利と義務はセットになっているものです。ところが、最近の日本の政治家は自らが行使できる権力は好きなように振るうのに、責任は取りません。これは現在のコロナ対策にもいえます。

特措法を改正するとき、要請や指示ではなく、命令にできたのですがしませんでした。強制するということは権力を行使することです。つまり、責任もついてくるのです。政治家の皆さんは責任を取りたくないから権力を行使するのではなく、国民にへりくだったように見せかけ、自らの責任を回避したにすぎません。

私は右でも左でもありません。支持政党もありません。いわゆる無党派層です。これまでは安倍さんのやっていることについてあまり不満はありませんでしたが、今回は酷い。安倍さんだけでなく自民党が酷い。こんなときに誰か声を上げなくていいのでしょうか。政治家としての権利を行使して責任を負う覚悟のある人は自民党にいないのでしょうか。いや、野党にもいないんでした。日本にはもうそんな気骨のある政治家はいないのです。

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