最近のわたし

ひとつ前で5年前の下書き記事を載せた。
あの頃は4コマも小説もたくさん書いてたなーという気がする。
比べて今、全ッ然創作してない。
白い紙やパソコンに向かっても、あたらしい話は全然おもいつかない。
でも前よりかは回復してて、やっていることと言えば、改稿だ。
(アア…と思われるかもしれないけど!)
0から生み出すのはできないが、あるものを深めていくのはできた。
細々細々と何度も改稿してて、元は原稿紙600枚分だった話が今は300枚で収まろうとしている。もうすぐ児童文学の賞に送れるようになる。
最初の最初にほんとうは送りたかった賞に。
前ツイッターで「旧作を改稿したものをほかの賞に出すのはよくない。結局新作を何本でも書く体力がないと作家としてやっていけないからだ」みたいな話題だった時に、まさしく~~~~やっていけねーわ~~~~とおもっていた。けど、でもなんかやっている。まさしく~~~~とおもいながら。
後半はかなり変わった。削った分、シンプルで濃くなった。書き直した部分(書き直していく部分)が、重要だったし、好きだと思う。前よりこの話を好きになれたなあと感じる。
結局わたしは腑に落ちるためにやってるのかな。なんという自己満足の世界だろう。
でも、この改稿は今それこそ『できること』なので、最後までやるつもり。

わたしはずっと創作の栓が詰まった状態でいたんだけど、それ自体は最近抜けてきたんじゃないかとうっすら感じている。
最近これはわたしの『解釈違い』によって起こった出来事なのではと理解している。
曖昧にしか説明できないのだが、説明を試みる。
数年前創作について、とある出来事があって、わたしはめちゃめちゃめちゃめちゃ反省してしまったのだった。すごい自分にガッカリした。
『ちゃんとしなくては』
と強くおもった。でも、その後わたしは全然書けなくなってしまった。
それはわたしが自分にガッカリしてしまったからなのではないかとおもっていた。
でも、最近『ちゃんとする』がわたしの栓だったんじゃないかとおもうようになった。
わたしの創作の根っこが『適当』だからかもしれないし、わたし自体の根っこがそうだからかもしれない。
何事につけ『ちゃんとする』を目指すとみるみるわたしは元気を失っていくような気がする。今の自分がダメだって思いすぎちゃったのかもしれない。
でも、『ちゃんとする』の反対はなんだろうとおもっている。
『ちゃんとしない』じゃない気がして。失礼をしたいわけじゃない。
言葉にできていない気がする。
とにかくちょっとでもやってみる、は方向として合っているんだが。

友だちや知り合いで憧れているひとが何人かいる。
たまに嫉妬もしてしまう。いいな~~って。あんなふうになりたい。
でも、憧れがほんとうの『やりたいこと』とは限らないというのも今はわかる。
わたしの形とそぐわないことがあるというのも知っている。
今のわたしについて自分であんまりいいな~~と思えない。
あんまり頑張ってないなあと感じる。
10段階評価するなら2かな…と感じる。
ふうか氏のことはそこそこ頑張っているつもりだが、ひとの人生かかってるから、そこはやらないといけないという認識。
(いつも豊かなものをもらっている…ここ数年で宝のような記憶を得た)
どうすれば頑張れるのかな~とおもう。
ひとつ前の記事を書いてた頃のわたしは多分迷いがなかった。集中して力を使えていた。
今のわたしは迷ってばかり。
でも、できることの線を伸ばしていくしかないんじゃないだろか。
未来から見たら空振りフルスイングかもしれないけど。
ほかの人から見ても意味あるなにかにはたどり着けないかもしれないけど、どうやって日々を重ねていきたいのかっていう自分への問いの答えを返していきたいとおもう、今日この頃。

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