ヨシヨシとアリガトウ。の説述

子供の頃の「ヨシヨシ」の記憶。
現在「ヨシヨシ」して欲しい欲求。
「ヨシヨシ」してあげたい欲求。
そういうの、ない?

相手は家族でも友人でも、パートナーでも動植物でもいい。ぬいぐるみや蒐集品といった“モノ”でも構わないんだけど「ヨシヨシ」したい欲求ない?
誰かに「ヨシヨシ」してもらった記憶ない?

実際のところは、大人になると「ヨシヨシ」できる相手もされる相手も著しく限定される。
できるシチュエーションも限定される。

「ハグ」や「ヨシヨシ」の効果は非常に高い。子供はそれだけで充足して安心する。

大人にとっても非常に有効な手段なのだが、取り巻く事情が子供とは異なる。
社会的に得られる報酬や、勝負や競争で得られる刺激の強度が遥かに高い。
メディアやゲームからの刺激も高い。

結局は神経伝達物質のメカニズムに拠る事であるが、大人は強い刺激に慣れ過ぎてしまっていて「ヨシヨシ」の効果が相対的に下がってしまう。


ある記事で、漁師さんの「幸せのハードルは低い方がいい」という言葉を見かけた。
全くその通りだと思った。

スキンシップや思いやり・褒める行為は『充足』へのアプローチのひとつで、『獲得』と違って自他が傷つく事が少ない。
行為に実感が伴ってこそではあるが、効率よい幸せへの近道だと思う。


さて。
「アリガトウ」という言葉をともなう感謝の行為がある。
誰しもが日々繰り返す行為だが、自分が相手に言う場合でも、相手に言われる場合でも、心に響くケースとそうでないケースがある。

心に響く「アリガトウ」はエネルギーを使う。身体の中に精神的な変化を生じるので、端的に言うと疲れる。
したくとも乱発できるシロモノではないし、心から自然に生じないのであれば充足は得られないだろう。

そこで使われるのが『御礼』としての「アリガトウ」。

御礼のアリガトウは相手に返す言葉。
感謝のアリガトウは相手に返しつつも、実は自分に返す言葉なのだと気づいた。

御礼のアリガトウ、感謝のアリガトウ。
どちらも心が動いてこそ充足するのだけど、自分に返す感謝のアリガトウは実感が得られやすい。
日々感謝しろ、と言われる所以だと思う。


………気づきにくい事を気づかせてくれた今の私の状況よ「アリガトウ」。


「ここまで読んでくれたみんなーー!!」🎤
「読んでくれて、アリガトーーー!!!」🎤

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