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カラーとモノクロ 17


教室を持つことについての思索

新型コロナが流行する少し前から、教室を持って指導しませんかというありがたいお誘いをいだだくようになりました。
まず単発の講座からトライしようと思ったときに、初めての緊急事態宣言が出て、延期を余儀なくされました。

宣言解除後に、延期になっていた講座を行いました。

少人数で離れて座り、感染対策はばっちりです。
ですが、生徒さんたちは感染が怖くて及び腰になり、初めての先生、顔も知らない生徒同士が集まることに、緊張しているように感じました。
習い事は楽しいから続くもの。アートは気持ちが大切です。楽しく参加できないのでは意味がないかもしれないと思い、いったん契約解除をして、どうすれば楽しい体験ができるようになるか模索しようと思いました。

それを考えるうちに、単発の講座ではなく、通年で月に何回と、ペースが決まっているような教室を持ちたいか、と自分に問いました。
家族の介護や自分自身の健康状態に不安があり、今すぐ無理に答えを出さなくてもいいのでは、と自分を甘やかしています。
教室を持つことが夢だったわけではないのだから、教室を持つ話をお断りしてもいいはずなのに、迷っているこの感情はなんだろう。

なんだろう、を掘り下げてみようと思いました。私が求める答えが見つかるかもしれないから。
 
教室を持つ、ということはどういうことなのか。実際に教室の講師になっている人たちの、普段の様子から勝手に想像してみました。
 

『教室を持つ意味』


1.自分の技を広めたい

2.この技術を未来に残したい(やっている人が少数であるので)

3.収入を得たい

4.アーティストとして活動したい

5.先生と呼ばれたい

6.中には先生という特権意識にうぬぼれたい人も

7.頼まれたから

8.仲間が欲しい

9.新しい技術を誰かと一緒に勉強したい

10.経験と肩書きを人に示せる

11.先生仲間に入れる

12.自分の力を試したい

13.教室を持って教えるのが夢だったから

14.創るとき、できあがったときの笑顔を見る喜び・そこに幸せを感じる

(あくまで個人的に思っただけなので、他にもあると思います)
 
 
1「自分の技を広めたい」は「自分の作品を広めたい」と同義語ではない。後者なら教室を持たなくてもできる。4「アーティストとして活動したい」も自分の力でできる。
 
2「この技術を未来に残したい(やっている人が少数であるので)」は相手がいないとできない。教わりたいという生徒が必要なので、教室はあったほうがいい。しかし、習いたい人がいなければ成立しない。
 
3「収入を得たい」には教室は必須。しかし、習いたい人がいないとできないし、文化教室などに在籍すると講師料の半分は文化教室に納めることになる。自宅で教室を持つと、家族の居場所がなくなり、駐車場を用意できないので難しい。
コロナに対応した消毒作業、家族や生徒の陽性接触に留意が必要である。
(最近はZoomなどのアプリを使い、遠隔地でも指導している先生もいらっしゃるが、今回悩んでいるのは地元の文化教室に在籍するかということなので、今回は関係ない)

収入にこだわらないのに教室を持つ理由には、5「先生と呼ばれたい」もあるかもしれない。12「自分の力を試したい」にもかかってくると思う。先生と呼ばれたいのは、自分自身が過去に出会った先生に憧れがあったりするのかもしれない。

先生と呼ばれたい理由にはいろいろある。11「先生仲間に入れる」は過去に学校の先生であったとか、同じ文化教室などで講師をしている先生であるとか、そういう肩書きに安心して許される事情というものもある。安心感、許容、親しみやすさ、理解。下地にそういうものがあるとお互いに敵愾心を持ちにくい。気を許したわけではなくとも、なんとなく同じ場所にいることができるようである。

しかし6「中には先生という特権意識にうぬぼれたい人も」にかかってくると、もともと負けず嫌いで人の上に立ちたい人が現れる。先生と呼ばれて生徒を(年上でも)下に見て注意をしたり、非難したりすることもする。指導の上で必要な叱咤激励であれば問題はないが、個人の好き嫌いや気分次第で叱ったり生徒をおとしめるようなことをしてはならない。そういうことをしたいがために先生という職業を選ぶのはやめていただきたい。
 
10「経験と肩書きを人に示せる」は先生と呼ばれたい事情に近い。先生であった、今でも先生である、は社会的信用がある。それは肩書きに示せる。それは死ぬまで失われることはない。そのことから、肩書きを得てもっと大きなことにチャレンジする礎にするのなら素晴らしいが、ただ偉ぶることに使うのはもったいないし、関係のない一般人にその肩書きは通用しない。会、協会、グループ、講座、学校などの、自分と同じ世界の中の人にだけ通用する肩書きだ。

小さな世界の中で威張ったり、いじめをしたりするために力を使うのではなくて、自分と世界を異にする人たちに認められる活動を続けることこそ、のちに輝く経験、自分に誇れる肩書きになるのではないだろうか。
 
7「頼まれたから」はもっとも簡単な、悩まない教室の持ち方かもしれない。頼まれたという優越感もあり、頼まれたから断りにくいというニュアンスで家族の理解を得やすく、やらなくていい理由をぐずぐず考えている自分をも納得させられる。なにより「先生として頼まれること」が嬉しいではないか。なんだ、私にも優越感があったのかい? そんなものはフン、と笑って吹き飛ばそう。
 
8「仲間が欲しい」は切実な問題で、団体でするスポーツなどと違い、アート活動はほぼ個の活動である。ひとりでできることには限りがある。自分がしていることは正しくないのではないかという迷いが生まれたときに、同じ分野の誰かがいてくれたら非常に心強い。
 
9「新しい技術を一緒に勉強したい」と思うとき、新しい絵の描き方、新しい材料の使い方など、自分にわからないことを聞ける相手がいるのは望ましい。できれば絵のことで議論したい。
と、それは願いではあるのだが、アーティストというのは難しい人が多いので、なかなかそこまで親しくなれないのが本音。
自分の持論が正しいともめたり、格の高い方が低い方を一方的に切り捨てることになってしまったり、聞く耳を持たなかったりする。しかしそれがアーティストというものなのかもしれない。自分が正しいと主張するだけのものをみんな持っているのだ。それは多くの時間と意識と行動をそのものに割いてきて生まれた自信であり、人生そのものだ。だから譲れるわけはないのだ。
 
こういうふうに考えてみると、教室を持って先生(講師)になるということはなにも考えないで始めるのがいいと思う。迷うからだ。
 
12「教室を持って教えるのが夢だったから」が一番強い動機なんだろう。そのまっすぐな思いは強い。
そういう先生たちは確かに強いです。参りました。
 
14「創るとき、できあがったときの笑顔を見る喜び・そこに幸せを感じる」は私も感じる。それがアートの醍醐味だなあ。

そこに年齢や、巧い下手は関係ない。自分が作りたいものを作る。描きたいものを描く。場所を提供し、画材を用意し、彼や彼女の「やりたいこと」を手伝うのは楽しい。
出来上がったものはもちろん私の作品ではないが、制作しているときの時間を共有することは心が晴れ晴れとするような豊かさがある。
 それについては、過去に一日講座をしたことがありました。
 
小学生相手の講座はエネルギッシュで、正式なやり方なんて彼らには関係ないし、くたくたに疲れましたが、こちらもパワーを分けてもらえました。
初めてなのに秀作ばかり、そしてやり方を知らないからこその自己流アレンジ。そう来たか! とこちらが興奮する講座でした。まさに14「創るとき、できあがったときの笑顔を見る喜び・そこに幸せを感じる」です。私も笑顔だったかも。
お手伝いに入ってくださったスタッフの方たちがいなかったら、もうどうにもならかったくらいテンヤワンヤでした。
 
大人が相手の講座はコロナ流行下ということもあり、顔が半分隠れて言葉もなく、先行きへの不安感からか元気のない方が多く見られました。真剣で静かに聞かれると、こちらも緊張してしまうものです。

どの講座も時間内にできることはあれしかなかったと思いながら、他にやれることがもっとあったのではと自問自答しています。なにしろコロナの流行が始まった直後のことでしたので、緊急事態宣言のときの対応とか、会場を貸してくれた文化教室も対応に苦慮していた様子がうかがわれました。
 
自宅でのおひとりさま講座も、何年も前から来ていただいています。それは相手がやりたいことが決まっていて、私が手助けできそうなものだけです。大抵はこちらから「こういうものを」という提示の仕方ではありません。

さっきの話に戻るようですが、8「仲間が欲しい」9「新しい技術を一緒に勉強したい」は、こうしたほんのささやかな時間でも満足しています。
自分が普段している作業を、他の誰かが楽しんでしている様子を見るのは、嬉しいものです。誰でも初めてのことをするときは年齢に関係なく、子供のように瞳を輝かせていて素敵です。そういう顔を見ることができて、一緒に時間を過ごして出来上がった作品は、私のものではないのに自分のことのように嬉しいです。教室を持っている先生方は、そういう幸せがあるから続けられるのでしょうかね。
14「創るとき、できあがったときの笑顔を見る喜び・そこに幸せを感じる」ということなのでしょう。自分が習得した技を教える。そのために人生を賭ける、というほど真剣すぎず、それは人生の一部で、他のことも大切にしている先生(講師)を何人も知っています。先生たちは今でも勉強し続けている。尊敬に値します。

私の経験から、もうひとつ難しいことを言うと、先生はどうやって技を教えるべきか、というのがあります。
絵画の模写で力をつけるのと、目の前に並べた静物や外へ行って風景を描くのでは全然違いますから。もし、これから絵画教室に入ろうと思っていらっしゃるのなら、その教室の生徒展を見て、自分がやりたいことかどうか調べたらいいと思います。自分に合った教室でないと長続きしないでしょう。
 
さて、私は? 教室を持つチャンスなんてそうはないだろうに。
こんなに考えたのにまだ決められない。
それが私です。
長い文章を最後まで読んでくださり、感謝申し上げます。
 

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