NOTE1

どうもはじめまして。

私は特に書きたいこともなければ、文章を綴ることが得意なわけでもないです。

でも何か、自分の思いを形に残しておこうかな、なんて気まぐれで今この文字を連ねています。

自己満足な自由帳感覚で、少しでもページを潰せていけたらいいのかな、と…                                   そんなものでも覗いてくれる人がいるのなら、どうか軽い気持ちで覗いてやってください。


あいさつはこの辺にして、今日は私の好きな音楽についてお話できたらと思います。どうぞ、お付き合い下さい。


時は遡って、まだ私が幼い頃。                             母の車に揺られ、毎朝保育所に送られていくのが私の日常だった。もちろん、日がくれればまた母の車で家まで帰る、そんないたって当たり前の日常だ。

そんな当たり前の日常にいつも寄り添っていたのは、母のカーステレオから流れる音楽達だった。

幼い私にとっては、人と話すこと、食べ物を食べること、呼吸をすること、それらと同じ感覚で当たり前のように音楽が隣にいた。                              そのせいもあってか、今でも私の隣には常に音楽がいる。


「親の音楽的趣向が子供の音楽的趣向に大きな影響を及ぼす」


誰かがそんなことを言っていたが、私はまさにその通りだった。今でこそさまざまなジャンルの音楽を聴くようになったが、その元となるベースには、両親の好きな音楽達がいる。                               その音楽達を聴くと、今でも両親の車から眺めた空の景色や、運動会や旅行先の景色といった様々な情景がフラッシュバックするのだ。

この音楽によるフラッシュバック現象                     私はこれに魅せられてしまったひとりだった。

もちろん食べ物の味や、様々な香り、独特な手触りや、見覚えのあるモノ達など、聴覚以外にも様々な五感でフラッシュバックは体験することが出来る。


ただ、先述した通り、音楽は常に人生に寄り添ってきたモノだからこそ、それが私に魅せるフラッシュバックはとても強いものとなった。

そしてこれは私がバンドを始めるきっかけになる理由の一つにもなったのだが、このお話はまた別の機会に…


さて、話を戻して私はこの音楽のフラッシュバック現象に魅せられてしまった訳だが、その他にも音楽は私に沢山のものを見せてくれた。


私は3人兄妹の次男、いわゆる間っ子だった。          そんなこともあってか、常に周囲に気を使って生活をしていた。さらには(これは単純に自分に問題があった)周囲に自分の内面を深く見せないようにする性格もあり、常に1人で思い悩むことも多かった。

そんな私だったが、音楽だけは常にそばにいてくれた。辛く苦しい時も、楽しく嬉しい時も、いつでもその時にあった言葉を音にのせて運んできてくれた。それはまるで沢山の人々が自分にエールを送ってくれているような感覚にさえ感じれた。音楽は独りだった私に沢山の力をくれたのだった。


「俺たちの曲が世界を変えるんじゃない、俺たちの曲を聴いてくれた誰かが変わることが出来れば、その人達が世界を変えるんだ。」


そんなことを言っていたアーティストがいたが(記憶が曖昧な為多少の差異はあり。)                 私も音楽にはきっとそんな力がある。そう信じている。そもそも音楽というのは形は変われど何百年も昔から人々に寄り添い続けてきた事実がある。それは音楽が人を助け続けてきた証明だろう。だからこそ、今でもなお、形を変えながらも現代にしっかり溶け込んでいる。


誰もがその存在に違和感を感じないほどに。


たかが音楽、されど音楽、なんと言われようと、私はこの音楽が好きだ。不定形で縛りも何も無いこの音楽が好きだ。それはきっと一生変わらない。これが私の中の音楽です。



話のまとまりもなく、ダラダラと初回から長めに書き綴ってしまったが、最後まで読んでくれてありがとう。

誰に向けて書く訳でもないが、またそのうちなにかここに残せればいいなと思う。



それでは、また。



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