見出し画像

ジョグジャカルタ思い出し日記⑥|西田有里

有名なワヤン人形作家であるルジャールじいさん。世界中から様々な人たちがマタラム通りの家を訪ねてきます。知っている人も知らない人もどんな人でもルジャールじいさんは分け隔てなく迎え入れる。その人も当たり前のようにふらりとやってきました。ジョグジャの暮らしぶりは驚きの連続で面白い、連載第6回目。

来客

ルジャールじいさんの家は毎日とにかく来客がとても多かった。観光地としても有名なマリオボロ通りから歩いてすぐという便利な立地のせいもあるだろうし、ルジャールじいさんがワヤン人形作家としての仕事が絶好調な時期だったということもあるだろうが、何より誰に対しても気さくなルジャールじいさんの人柄もあるのだろう。
 仕事関係でやってくる人は、ワヤンを注文するお客さん、ワヤンの材料を持ってきてくれる業者の人や作業を手伝ってくれている職人さん、メディアの取材の人、イベントの打ち合わせに来る人など。当時ルジャールじいさんは、オランダの博物館の依頼でオレンジ公ウィリアムの伝記シリーズの人形を製作していたり、ジョグジャカルタビエンナーレの企画で野外に展示する巨大なワヤン人形製作プロジェクトに取り組んでいたりと、色々な仕事を手掛けてとても忙しかったのだと思う。オランダを始めとする海外からのお客さんも多かったし、地元の現代美術系のアーティストたちもよく見かけた。
 海外からのお客さんはオランダの他、イギリス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、メキシコ、アメリカ、オーストラリア、日本などから。ジャワ文化の研究者やアーティストもいれば、ただワヤンが好きな人や、休暇の旅行のついでに家族連れで立ち寄る古い友人も。ルジャールじいさんは外国語は全く話せないが、何十年も前からたくさんの外国人留学生がここに出入りしていたようだ。長屋の住人達も海外からのお客さんのことはよく覚えていて、昔よく出入りしていた人が子供を連れて久しぶりにやってきたりすると、みんなとても嬉しそうだった。私もこの家で、いろんな年代のいろいろな国から来た人と、片言のインドネシア語で話せて楽しかった。
 外国人だけでなく、地元の学生さんも頻繁にやってきた。ルジャールじいさんは、ワヤン・カンチル(ジャワ豆鹿のカンチルという動物が主人公のインドネシアの民話を題材にしたワヤン)の作家として地元で有名だったので、ワヤン作りを学びたい人や、ワヤン・カンチルについて卒論を書きたい人などが話を聞きにやってきた。写真を学んでいる人が、卒業制作のためにルジャールじいさんに被写体になってほしいとお願いに来たこともあった。ルジャールじいさんは、そのような若い人が訪ねてきてくれるのが特に嬉しいようで、どんなに仕事が溜まっていても中断して何時間でも話に付き合い、惜しげもなく自分の作ったワヤンをプレゼントして「お前ももっとワヤンをやれ!」と熱く語っていた。

 とある天気のよい午後のこと、見慣れない30代から40代くらいの男性がふらっと家に入ってきた。襟付きのシャツ、長ズボンといったいでたちで、サンダルではなくて靴を履いている。見慣れない人が訪ねて来るのも日常茶飯事なことなので、家族も長屋の住人たちも特に気に留めていない様子。その人は家にすっと入ってきて、たまたま部屋にいた私に向かって、この辺りの人には珍しい非常に丁寧な物腰で「ルジャール先生は御在宅でしょうか?」と聞く。いつものように取材か何かで仕事関係の人が来たのかと、私は隣の部屋で仕事中のルジャールじいさんを呼びに行った。
 その男性はルジャールじいさんを一目見るなり、「おお!先生!お元気でしたか!」と今にも泣きださんばかりの表情でルジャールじいさんの手を取る。ルジャールじいさんも「おお!よく来てくれた!」と言った感じで手を握り返している。誰かはわからないが、過去に深い関係があった人なのかもしれない。感動的な再会の場を邪魔してはいけないと思って、私は席を外すことにした。
 しばらくしてちょっと中の様子をうかがうと、二人はまだ手を取り合ったまま長椅子に並んで座って話し込んでいる。落ち着いたらお茶でも持って行ってみよう、もしかしたらルジャールじいさんのおもしろい昔話が聞けるかもしれない、そんなことを考えながらもうしばらく様子をみることにした。
 ところがである。しばらくして戻ってみると部屋には誰もいない。ルジャールさんは何事もなかったかのように仕事場の机の前に戻っている。先ほどの人がやってきてまだ10分やそこらしか経っていない。あれ?あんなに親しそうに手を取り合って話していた割にはあっさり帰った?あんなに感極まった感じで対面していたのに拍子抜けである。
 どうも腑に落ちなかったので、さっきの人が誰だったのかルジャールじいさんに聞いてみた。返ってきた答えは「全然知らない人」とのことだった。ルジャールさんは特に気にも留めてないような感じで「全然知らない人にいきなりお金貸してと言われたけど、さすがに断ったわ。そしたらすぐに帰ってった」と言って、すぐに作業に戻ってしまった。
 さきほどの男性はきっとやむにやまれぬ事情があってのことなのだろうが、面識の無い家にいきなり入って借金のお願いするのもなかなかの度胸である。ルジャールじいさんはじいさんで、全然知らない人を「よく来てくれた」と抱擁して歓迎するのはどうなんだろうか。この衝撃的な出来事を誰かにすぐ話したかったけど、家族も長屋の住人たちも皆それぞれの仕事に忙しそうで話す機会をすっかり逃してしまった。マタラム通りのこの家では誰でも歓迎されるけど、たまに変わった人も入ってくる。

居間で来客と話すルジャールじいさん

「ジョグジャカルタ思い出し日記」は月1回連載です。次回の更新は9/16(土)を予定しています。


著者プロフィール

西田有里 Yuri Nishida

ジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。

https://magica-mamejika.tumblr.com


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?