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ジョグジャカルタ思い出し日記①|西田有里

2000年代終わりのジャグジャカルタ 。
観光客で溢れかえる町の路地裏にはインドネシアの庶民の暮らしがあった。
インドネシア伝統音楽ガムラン演奏家の西田有里が、芸術の古都ジョグジャカルタでの日常を綴る。写真には残さなかったけれど、あれよあれよと毎日を過ごすようになった路地裏の家とそこに住む人々の、懐かしくて可笑しいジョグジャ思い出し日記。

はじめに

はじめまして。西田有里と申します。現在、インドネシア人の夫とともに、大阪を拠点にインドネシアの伝統芸能である影絵芝居ワヤンに関わる活動を行っています。

私は2007年~2010年にインドネシアのジョグジャカルタという町の芸術大学に留学し、ジャワの伝統音楽ガムランを学びました。留学中は大学の授業の他にも伝統芸能の実践の場に参加する機会を頂き貴重な経験をたくさんしましたが、留学期間の後半は大学近くに借りていた下宿よりも今の夫が祖父母と暮らしていた家で長い時間を過ごすようになり、ここでの暮らしの中で経験したことが特に思い出深く記憶に残っています。この家は、ジョグジャカルタの目抜き通りであるマリオボロ通りの一つ東側のマタラム通りにあり、道路に面した商店の裏に小さな長屋のような建物がひしめき合っているような場所です。思い返せば、ここでの日々の生活の中の些細な出来事が私のジョグジャカルタという町の印象を形作っているように思います。

しかし、その当時はスマートフォンもまだなく、必要最低限のメールを送るためにインターネットカフェへ行くような生活で、当時の私は記録することに無頓着だったこともあり、写真も映像もほとんど残さなかったことが今更ながら悔やまれます。帰国してこの十数年の間に、夫の祖父母はこの世を去り、ジョグジャカルタの町の変化も著しく、この路地裏の家の生活の記憶はこのまま私の頭の中でただ風化していく一方なのかと寂しさを感じていました。そこで思いついたのが、当時のことを文章でアウトプットしておくのはどうか、ということです。「ジョグジャカルタ思い出し日記」では、2009年~2010年頃にジョグジャカルタのマタラム通りの家で経験したことを今(2023年)思い出して、思い出した順にきままに書いていこうと思います。日々の生活のほんの些細なことばかりで、伝統芸能の話はあまりでてこなさそうです。食べ物の話は多いかもしれません。しばらくの間お付き合いいただきますと嬉しいです。


雨漏り

 大学のダラン科(影絵芝居ワヤンの人形遣いについて学ぶ学科)で知り合ったナナン(今の夫です)に家に遊びに来るように誘われた。ナナンのおじいさんは有名な影絵人形の作家だと聞いていて前からお会いしたかったので、行くと即答する。

 その日の夜はダラン科の先生による影絵芝居の上演があり、私も含めて学生たちは皆演奏者として参加することになっていたので、会場へ向かう前にナナンの家へ寄ることにした。教えられた住所はマタラム通りで、めがね屋・土産物屋の並びにあるからすぐわかるとのこと。マタラム通りはジョグジャカルタの目抜き通りマリオボロ通りの一つ東側の通りで、ジョグジャカルタの町を南北に移動するときによくバイクでよく通る道だった。道路沿いにはジョグジャ名物のお菓子などを売る土産物屋などがずらっと並んでいて、そんなところに人が住む家なんてあったかな、と思う。その日は昼からずっと雨。熱帯の雨は激しく降って直ぐに止むと聞いていたけど、実はなかなか止まない雨も多い。

 マタラム通りをバイクで北上していくと、確かに道路沿いにめがね屋があって土産物屋が何件か続いた先に、「Ledjar(ルジャール)」と書かれたガラス戸の向こうに埃のかぶった木彫りの人形や伝統舞踊に使う仮面などが無造作に置かれている薄暗いお店があった。これまで前をバイクで何回も通っていたのにちっとも気が付かなかった。バイクを路肩に止めておそるおそるお店に入ると、店舗スペースには誰もいなくて、狭い通路を挟んだ奥の部屋からナナンが「こっちこっち」と呼んでいる。道路からは見えなかったけれど、一歩中に入るとそこには様々な生活音が溢れている。テレビの音、食器を洗う音、遊んでいる子どもの声、軒先に吊るされた鳥かごの鳥の鳴き声などが雨音に混じって聞こえてくる。道に面した店舗の裏には小さな長屋のような建物が狭い通路を挟んで2棟建っていて、左側の建物の一番手前の一室がナナンのおじいさんの家だった。

 案内された小さな部屋には、壁一面に額に入った白黒の古い写真や何かの表彰状がずらりと飾られている。壁に打った釘から作りかけのワヤン人形があっちにもこっちにも吊り下げられている。狭い場所ながらいかにもワヤンの巨匠の家という感じの空気が流れている。大変著名なワヤン作家だというナナンのおじいさんはどんな方だろうか、と緊張しつつ勧められた椅子に座ろうとしたところ、突然隣の部屋から「たいへん!漏れてる!漏れてる!」と短パンにTシャツ姿のおじいさんが叫びながら雑巾を持って飛び込んできた。見ると確かに部屋の片方の壁を大量の水が伝って滝のようになっている。ジョグジャカルタでは雨漏りは日常茶飯事ではあったけれど、ここまでひどく滝みたいになっている雨漏りは初めて見た。おじいさんは初対面の客がそこにいようが一向にお構いなしで、天気や屋根に対して悪態をつきつつびしょ濡れになって大慌てで家の中と外を往復している。そんなおじいさんの姿に、私の緊張はあっという間に跡形もなく消え去った。

 結局私も、成り行き上そのまま雨漏りの応急処置を手伝うことになり、おじいさんとナナンと私と3人でゲラゲラ笑いながら家具や本をどけたり床を拭いたりした。その後作りかけのワヤン人形を見せてもらったりしたと思うけれど、その時何を話したか今となっては全く覚えていない。でも、その日からほぼ毎日この家に通うことになる。


「ジョグジャカルタ思い出し日記」は月1回連載です。次回の更新は4/12(水)を予定しています。


著者プロフィール

西田有里 
Yuri Nishidaジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。https://magica-mamejika.tumblr.com

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