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『マッチ売りの少女』座談会(4)–役と向き合う–

11月に『マッチ売りの少女』を上演しようということで動いてきた本プロジェクトですが、covid-19の感染拡大に伴い上演を中止せざるを得なくなりました。しかし、そのような状況の中で11月22日まで「稽古」を続けました。これはその記録の総括の座談会です。稽古を通して、いまの状況のこと、戯曲のこと、役のことなど多岐に渡って思考/試行してきたことを参加者に語ってもらいました。第四回は、稽古を通して、それぞれ役とどのように向き合ったか話しました。

田村 次は今回の役について聞いていきたいですね。まずはりこ。どうでしたか、すごい不思議な役でしたけど…。
森田 メインの役についての理解は深まったけど、コロスについては割とわかんないです、今も。コロス2のための時間を作った時があるじゃないですか、あの時にがっと入り込んだんですよ、神経を研ぎ澄まして。その時はいろんなことを感じたんです。コロス2って一番弱いんだなあって。あの中で。あ、でも子供達よりは強いかな。
田村 子供達いないもんね。
森田 出ている中では一番弱いっていうのは思いました。でも、まだコロス2を役として見れないんですよ。喋る装置なんですよ。役になれてないんです…。
田村 それは何が原因だと思う?台本、演出、演技、色々あると思うけど。反省会なんで、正直なことを言ってください。
森田 真ん中で演技している人たちや観客をぞくっとさせる装置にしか見えないんですよ。
しば 効果音やSEに近い?
森田 そうかもしれない。コロス3がテープの声じゃないですか。そことの区別がつかないんです。テープの声と、自分たちが実際舞台上で発する声の違いがわからないんですね。だから役として見れてないんですよ。
田村 それは、寂しい?悲しい?もしくは、屈辱的?こんな役あてやがってみたいな??
森田 どっちかっていうと私の固定観念が強くて。会話のような台詞を喋るのが役だと思ってるんです。でもそれだけが役ってわけじゃないじゃないですか。手紙を読むのも演技じゃないですか。でもコロスのような役と、会話する役を、「役」として同じベクトルに見れないんですよ。それがすごく、苦しい。私はどこまで前時代的なんだ!って…。
田村 これから役になるかもしれないという予感は?
森田 あのがっと入り込んだ時にあったかなあ〜。その時はコロス2って一人の人でした。それを常に感じれているわけではないし、入り込んだときもコロス2の立場に立った私の感想では?とも思うんですよ。でも、あの時はコロス2になれたって感じたんですよ。何でかはわからないんですけど。
田村 じゃあコロスつながりでしばいぬこさん。
しば コロナで嫌でも自己分析する時間が増えちゃって、その時今まで自分って自分中心で生きてきたんだなって思ったんですよ。それで、自分で台詞をこう言おうと思って言うんじゃなくて、相手の台詞を聞いて自分の台詞が出てくるみたいな、他人に目を向けて演技をしなきゃなって思っていた矢先に、コロスがきたから、大変でしたね。男・妻や女がいる空間とは断絶がある中で、それを聞き取って、自分の台詞を言わなきゃいけないっていうのがめっちゃ難しかった。
田村 相手の台詞を受け取るっていうのでも特殊なパターン。
しば そう。コロスの立ち位置がすごく難しいなって。しかも台詞も口馴染みしない難しい言葉ばっかりで。その中で、背景を知ったり、何度も読んだりして、台詞を発するのが新鮮だった。今までは100%没入してやってた。お客さんがいるとか関係なくて、自分はこの劇中世界の人間であるって感じですね。コロスってそうはいかなくて、目の前で起こっていることを受けつつも、観客との架け橋にもならなくちゃいけない。今までは言うなれば地に足つけて「私はこの役の人物だ」ってやってたけど、今回は地に足つけて漂わないといけない。そういう状態をつかもうっていう風にやれたのが、新鮮で楽しかったですね。
田村 コロス1って何者だと思います?コロス1と3って私が作った役なので、そこらへんどう感じたかも聞きたい。
しば 観客としてみたら、うるさいと思う。余計なこというなよって感じ。コロスの言葉で、今の場面を暗喩していて、いわばコロスの言葉は状況を再定義するみたいな。台詞の背景とか全てを知ったからだと思うけど。断片的に『姥捨』とか『トロイアの女』を知っている人からすれば、状況を理解する手掛かりになると思うし、状況に深みが増すと思う。だから、字幕みたいなつもり。洋画で英語を頑張って勉強しているときの字幕みたいな。コロスはそういう感覚だったな。
田村 なるほど。ありがとうございます。じゃあ次は覚士。
石田 弟役ですよね。「幽霊から生まれた幽霊なんじゃないか」っていうのが、ずっと残ってて。嫌じゃないですか、幽霊って。
田村 そうなの?
石田 幽霊役が嫌ってわけじゃなくて、「お前は幽霊だ」って言われるのは役の心理として嫌だなって感じです。
田村 なるほど。
石田 だから色々考えたんですよ。それで、密かに考えていたのは、実は弟と姉ではなく、夫婦の方が幽霊なんじゃないかって説です。
田村 ほうほう。
石田 例えば市役所の戸籍で調べてもらって姉弟は来るわけじゃないですか。だから、そういう点で、姉弟の方にも真実味はある。夫婦の方が幽霊ってわけじゃなくても、認知症やアルツハイマーのような状態なんじゃないかって。それで実は、2人は本当の娘の息子なんじゃないかって。そういうことを考えてました。でも、そうは言っても、不気味ではありますよね。姉のことをすごく愛してますし、異常なほどに我慢強いし。そういう掴み所のなさを落とし込めなかったのは反省点ですね。考えれば考えるほどわからなくなっちゃう。弟が自発的に喋るところって少ないんですけど、その数少ない弟の「意志」はどこから来るのか?姉を守りたいって気持ちかもしれないけど、それさえも姉に刷り込めれてる。台詞の根源がわからなくて、そうである以上なかなか難しいですね。
田村 夫婦の方が幽霊説ね〜。ここにきて、そんな切り札を隠し持ってるなんて(笑)
石田 結構前に思ってたんですよ。
田村 言ってよ〜。
石田 いや、でも台本の字面だけだと、姉弟の方が幽霊だから、言いにくくて…。でも、非人間的な方が実は人間味があるっていう話は結構あるじゃないですか。
田村 なるほど。姉弟を幽霊だと決めつけてしまうと見失うものがこの作品の中にはきっとたくさんあるんだろうね。ありがとう。また、考え直さないとって思った。
石田 あと、今、密かに紅茶を飲んでます。お砂糖二ついれて。
田村 天才か!?
石田 ゆっくり飲んでます。
田村 ちょっと、最高じゃん、あんた!じゃあ、次、悠梨お願いします。
増田 ずっとずっと、この作品に出会う前から考えていたことが、「他者の痛みをどう表象するか」ってことなんです。だから、今回、女っていう役をやるってなって、気が重かったというか、どうできるんだ?みたいな。演劇ってなんだろうってことと繋がると思うんですけど、他者の痛みを直接感じることはできないし、痛いよって代弁することも私たちにはできない。でも、痛みを「翻訳」して表象することはできるだろうって思うんですね。だって、他者の痛みを「わからない」って言ってしまうとそこで終わりだし、「わかるよ」って言ってしまうのも違う。そう言ったことを踏まえて、女という役に、私が私としてどう相対していくかっていうことを考えているんですけど、なかなかに難しく、なかなかに果てしなく、なかなかに下手だなあって感じて、ああって思っているのが現状です。あ、暗闇で稽古するとかよかったな。全然違う状態に自分を持っていける。それは、演技にとってプラスに働いた。でもただのこのままの身体でいた時に、そんなに強いものを出せないなって。女って確かに幽かだけど、パワフルってこととは違うんだけどめちゃくちゃ強くて、その辺りをどうやっていくのかが課題ですね。
田村 はい、じゃあ次、片山さん。
片山 妻は、感情的な人だと思うんです。急に叫び出したり。そういう激しく追い込まれる役をやったことがなかったんですよ。だから、叫べない。むずっ!って思いました。でも夫婦の方がやりやすいなって思ったのが、全部受動的だから、反応していれば成立させられるって点ですね。コロスと姉弟は能動的なアクションを起こしているから、難しそうだなって見ていて思いました。稽古中に、妻や夫も幽かなのではっていうのがあったんですけど、それが最初はわからなかったんですね。でも最近はそれがわかってきて、妻は違和感に弱すぎで、すぐ飲まれちゃう。違和感を違和感として受け止められなくて、そうだったかもしれないって受け入れてなかったことにしちゃうんですね。その辺りが、弱さ、幽かさなのかなって思います。そこが可愛いんですよね。
田村 僕がやった男の役は一番象徴的な役だと思うんです。権力のヒエラルキーの象徴。それを表現するのって難しいんだなっていうことに気がつきましたね。一見するといわゆる「悪役」なので偉そうに、悪くしていればいいのかなとか最初考えていたんですね。でもそりゃあそうなんだけどただの悪役ってわけじゃないし、持っている力に対して全くの無意識だし。男としては無意識なんだけど、「田村将」はそれを意識的に表現しないといけない。その距離をうまく取るのが大変でしたね。まあ、役をやるのって2年?3年ぶりっていうのもあるんですけど。コロスとかを持ち込むことによって、「私」と「役」の距離をさらに混乱させようみたいなコンセプトでもあったからさらに大変でしたね。あとなぜか、毎回全然違う演技をしちゃうんですよね。そんなに大きく自分の中で変わってないときでも。片山さんならわかると思うんですけど…。
片山 うんうん。変わってた。
田村 それがいいのか、いけないのかそれが問題だ(笑)ってことを考えてますね。あとは、男の幽かさってところにも気がついて。近代社会の象徴みたいな感じの人なんだけど、それも社会に追い出されないために、社会に要請されてやってる。だから女を排除しちゃう。排除する側っていうのは全く正しくないんだけど、そちら側の存在の幽かさっていうのを感じ取れたっていうのが今回の稽古ではすごくよかったですね。でも、そういう見方が現代的なような気もしていますね。

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