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『マッチ売りの少女』座談会(1)–リモート・対面・コロナ–

 11月に『マッチ売りの少女』を上演しようということで動いてきた本プロジェクトですが、covid-19の感染拡大に伴い上演を中止せざるを得なくなりました。しかし、そのような状況の中で11月22日まで「稽古」を続けました。これはその記録の総括の座談会です。稽古を通して、いまの状況のこと、戯曲のこと、役のことなど多岐に渡って思考/試行してきたことを参加者に語ってもらいました。第一回は、急速に広まった「リモート稽古」、今まではなんの修飾語もなく呼ばれていたはずの「対面稽古」、そして演劇が大ダメージを受けているこの状況について話しました。

1、自己紹介

田村 この総括的な座談会を発表して、プロジェクトの終了ということにしようかなと思います。じゃあ、まずは自己紹介から。名前と役名以外は全てフリーです。言いたいことを言ってください。じゃあ、こっちから。
石田 名前は石田覚士です。クレジットも石田覚士です。別の企画でクレジット遊んじゃったんで…。役は弟役です。2000年6月10日生まれです。左利きです。B型です。身長が169cmです。体重は変動があるんですけど大体53kgです。足の大きさは26.5です。メガネは福井県産です。
しば ここメガネ率高くない?私だけ裸眼??
石田 好きなサイゼのメニューは辛味チキン。たけのこ派、トッポ派です。ラーメンは醤油ラーメンが好きです。最近指輪プレゼントしてもらって、これなんですけど。内側にイニシャルがほってあるんですよ、オーダーメイドですよ。ヤバくないですか?
田村 お返しは??
石田 ピアスをプレゼントしました。株で大儲けしたら何かもっとお返しします。こんな感じです。
田村 すごい面白い自己紹介になっちゃったけど、まあすごい面白い人だってことがわかるからいいんじゃない?全部かくよ。次、僕ね。田村将です。1999年生まれです。本当は何も役をやる予定ではなかったんだけど、男の役をやることになって、だから主宰・構成・演出・男って感じですね。普段は、あれですね、演出と一応舞台監督してますね。最近は、授業で西洋哲学の授業をいっぱい取ってるの。あんまりよくわかってないけど、頑張って勉強してま〜す。
しば あのフロイトのやつとか?
田村 そうそう。フロイトは癒しだから。次、どうぞ。
森田 森田涼子です。コロス2と演出部やってます。最近、実名をクレジットにするのに恐怖を感じてきたので、改名予定です。ここで本名と一緒に出すと、検索でひっかるから出さないけど、あだ名である「リコ」をどこかに入れたいです。最近、課題でリカちゃんのことを調べたんですけど、その影響でリカちゃんもう一回集めようかなってなってます。意外とよく見るとすごく可愛かったので。これ以上の散財はしたくないんですけど…。そんな感じです。
片山 妻役の片山さなみです。以上!
しば 演出部、コロス1役のしばいぬこです。実は芝犬が好きです。たけのこ派だし、トッポ派です。よろしくお願いします。
田村 「しばいぬこ」はどっかで切れるの?
しば しばで一回切れる。
片山 「しば」で切れるんだ。音で聞いた時、「芝居、ぬこ」で、ぬこさんだと思ってた。芝居が好きな人なんだなって。
しば なるほど〜。今度からそれにしよう。
田村 じゃあ、どうぞ。
増田 女役の増田悠梨です。私はよくあることなんですけど、パソコンやりながら寝てたんですね。そしたら、朝多分私の圧(?)でパソコンが壊れてたんですね。修理費6万円って言われてめっちゃ悲しいなって思ってます。大学生になってから、高いもの、大事なものをよく壊したり、なくしちゃったりして悲しいんですがなんとか頑張って行こうかなと思ってます。

(ここでしばし、みんな、なくしたエピソードを語る)

田村 はい、じゃあどうぞ。
U-5 はい、演出部のU-5です。稽古録担当の一人でした。クレジットは最初、カタカナでユーゴだったんですけど、最近U-5に変わってきて、性別はおろか人間なのかどうかも怪しくなってきたなあと。ここまできたら、遊んでやろうと思ってます。
田村 余談だけど「U-5」って表記を提案したの、僕なんだよね。名付け親、私なの。まあ、いいとして。もしかしたら人工知能かもしれないと…。男か女かもわからない。
U-5 もはやこのままわからないまま終われ!という。
田村 何が?人生??
U-5 このプロジェクトです。

2、リモート、対面、コロナ
田村 じゃあ、次に今、新型コロナウィルスが感染拡大している状況じゃないですか。最近また増えてきて、第3波って本当に来るんだなあって。僕たちってウィルスをどこまでもなめてたというか…。その裏をかかれ続けているという状況ですね。それはともかくとして、リモートで稽古をした時のこととか、この状況下で対面の稽古のこととか、コロナ禍で考えたことかを聞いていきたいかな。じゃあ最初は悠梨から、まず、リモート稽古どうだった?
増田 楽だったよね。とりあえず時間までにパソコンを開けばそのまま参加できる。楽なんだけど、ただ、あんまり自分の生活と続いているという感じがあまりしなくて。始まったら、始まる、終わったら、終わるって感じで切り替えがプツンプツンという感じで、本当にオンライン授業の一個みたいな感じがして、授業受けようが、稽古しようがやってることは同じみたいな。でも効率的に何かやりたいことがある場合はリモートは、いいのかなと。(zoomだと)チャット機能とかもあるわけだし。
田村 対面の稽古だと、日常と続いている感じがある?
増田 そう。行き帰りがまずあるから、その時間で今日やったこととか、稽古で感じた感覚をその時間で咀嚼することができた。(対面稽古では)いろんな稽古をやって、いろんな感覚を開いたっていうのもあるけど。リモートだとずっと家だし、日常から稽古への「緩やかさ」がなくて、稽古の感覚が持続しないなあと思った。
田村 対面の稽古になったらどうだった?
増田 (オンラインと対面が混じる稽古で)、オンライン参加したことはなかったけど、オンラインの人たちはきつかったんじゃないかな。どうしても隔たって、雑談とか無駄なことができないじゃん。そういうのはその場にいないとできないことで、オンラインでそういうことができるのって、相当仲が良くて、「雑談しようぜ」っているマインドの時だけだと思う。そこが対面とリモートの違いだなと思った。あと、マスクね。もはやマスクをしてない人間の方に、違和感とか気持ち悪さみたいなのを感じちゃってるから、マスクをしていることで守られているという感覚がある。顔の表情変えなくてもわかんないし、自分が好きな表情しててもいいし。自分の中にだけ止めておける。表情を表現として、相手に届けなくていい。表情にまで気を張らなくていいというのは楽だった。けど、わからん!マスク大変だなとも思った。
田村 その大変っていうのは?
増田 声が一回遮断されるから、あくまでマスクありきの声、やり方になるのが大変だった。あと単純に息苦しかった。でもマスクに関しては、あってくれた方がありがたかったなと思う。プライバシーが守られている感じがするから。
しば 必要以上に自分を見せなくていいってこと?
増田 そういうことかな。私は前からマスクしがちで、自分の顔半分隠れるのって結構有利じゃん。相手との距離感を保てるっていう感じ。
しば わかるわかる。安心するよね。
増田 コロナで考えたこととしては、もちろん演劇に感染のリスクがあることは自覚しているが、あまり演劇をやめた方がいいとは思わない。どちらかというと、制度的に感染者を減らす仕組みを作るべきだと思う。そこ(感染拡大のリスク)と演劇はもっと分けた方がいいと思う。そういう思いはあるが、ヨーロッパの状況とか、派遣切りが始まっていたりすることとかを考えるとショックですよね。演劇は一個変わるかもしれないが、現に今も変わっているし、結局演劇を演劇にするためには人は集まらざるを得ないんだなっていうことを再確認したかな。舞台の上と客席がフラットとは言わないが、映像とかに比べるとフラットだなと。それは、自分がどこにでも自由にいける健常者であるからということもあるんだけど。そこに行くことで得られるものがあるんだなって感じた。あー、むずかしー!
田村 次は、しばいぬこさん。
しば リモート稽古に関しては、私は最初、東京じゃなくて地元から参加したんですね。その点ではリモートのありがたさを感じました。一緒にいていいんだみたいな感覚が味わえて、安心感があった。その反面、リモート稽古は合理性を突き詰めている感じがして、結論からいうとそれが好きじゃなかった。というのは、行き帰りのコストとか、雑談をする余地がなくて、確かに短時間でギュッと身のある稽古をするという点で合理的ではあるんだけど、対面稽古ではそれこそ余暇時間というか、雑談をすることによって深められる役者間の感じとかあるんですね。演劇ってやっぱり人と人との相互作用という面があるから、俳優同士の交流がないのは残念だと思いました。
田村 人と人との関係が演劇だから演者同士も大事っていうのは確かになあって感じだね。対面で稽古が始まってどうだった?
しば まず一番最初に思ったのは、嬉しかった。画面越しでは会っていたんだけど、対面ではあったことがない人もいて、対面であって「あ、本当にいたんだ」っていうのがあって、嬉しかった。今までは稽古っていう文脈でしか話せなかったのが、対面であって話すと、案外こういう人なんだとか、画面越しの印象とは違うなとか感じたのも嬉しかった。あ、あと、リモートだとみんな別々のところから参加しているから環境がめちゃくちゃバラバラなんですね。でも稽古場だと、同じ時間に同じ場所に集まるので、同じ環境を共有するっていうのがあったから、脚本を読む中でも、みんなの空気感を感じながら読むっていうことができて充実感が違ったね。
今、「小さな政府」じゃないですか。感染対策が国民を主軸に投げかけられてる気がするんです。小池さんの「5つの小」みたいな。私たちに丸投げなの?って感じでがっかりするんですね。でもそれなら、それを逆手にとって、私たちはやりたいことをやるぜっていう反逆精神(?)みたいなのがある。あんたたちがそんなに放任するんなら、その中で私たちは伝えたいことを伝えていくし、演劇っていう活動を絶対に続けるぜっていう気持ちが強くなったな。
田村 政府が言ってくることを守った上で、やっていくぜ!っていう感じ?
しば そうそう。放任を逆手に取る。
片山 放任を逆手に取るって?
しば 政府は具体的な対策はせずに、感染者が増えるのは国民のせいみたいな感じにして、国民一人一人に感染対策を強いているという放任があると思うんですね。それに対して最初は失望感を抱いたんですけど、けどそれだけ放任してるってことは個々の判断でなんでもしていいってことだろっていう風に逆手にとって、その中で演劇をやって行こうって感じ。
田村 ドイツみたいに政府がロックダウンをすると、劇場も一律に閉鎖しちゃう。だけど、こっちはロックダウンしない分、劇場は動かせる、それなら感染対策をした上で演劇を続けられれるよねっていう風に、あの放任をプラスに考えてみようっていうことよね。実際ドイツではまたロックダウンをして、劇場でクラスターは発生してないのに、劇場を閉めなきゃいけないのはおかしいって劇場関係者が抗議してるらしいし。じゃあ、次はカンペを作ってきた片山さんですね!
片山 zoom演劇をリモートで作ることはいいんだけど、舞台想定の稽古をzoomでやるのは、やっぱり無理というのが私の意見。戯曲を解釈するのが限界。戯曲の背景を説明するのとかは一人がスピーチすればいいわけだから。会話劇とかだと、相手の言い方で自分の言い方が変わってくるから、タイムラグがある時点で無理では!?zoomでやったことが全く稽古場に活かされない。逆に、話し合いとかの時に、誰も口を挟まないので話したいことを自由に話してくださいっていうルールでやったやつがあるじゃん、あれはzoomの方がいいなあって思った。稽古場で話し合うと、流れとか空気とかあるんだけど、zoomだと肯定されているのか否定されているのかもわからないから、発言しにくい人も発言しやすい。よく話す人の方に流されずに、平等に話すことができる。ついつい流されちゃう感じが稽古場にはあると思う。
対面になると、めっちゃ稽古やりやすい、タイムラグがないし。読みをやっていく中で変えるじゃん。その変化がダイレクトに伝わってくるからやりやすかった。あと、リモートだとやっぱり仲良くなれない。演劇一緒にやるってなったら、信頼関係がいるから、それは一緒にいる時間がないと育まれないよね。マスクはね、私は気にならないんだけど、気になり出すのは台本を離した時だと思うんだよね。(読みあわせだと)顔見てやってないからまだわからない。ただ、マスクがあった方がさっき増田さんが言ってた感じで、絶対楽。顔サボれるから。それは役者としてどうなのとも思うけど…。
田村 色々配信とか見たらしいけど、コロナ禍はどうです?
片山 ウンゲツィーファの『ハウスダストピア』っていうのは面白かった。でも配信で見たやつで面白いのはほとんどなかったなあ。こういう(上演しないような)演劇の活動はやっていいと思うんだけど、上演はどうかっていうと微妙だなと思って。なんでかっていうと、お客さんには飛沫飛ばないかもしれないけど、役者間ではガンガン飛沫飛びあってるんだよね。お客さんは守られてる感じだけど、役者はかかるかもしれないというリスクがあるわけじゃない。その人たちは毎日電車に乗ってるわけだし、そう考えるとそこに危険性はあるよねって私は思う。客席に人が集まるのはいいのかもしれないけど、マスク外して喋り合うのはまだ怖いところがある。演劇活動自体は、上演は括弧って感じだけど、素敵なことだし、意味があることで、それだけが危険なことではないから、なくならないでほしいと思います。
田村 以上?はーい。次はりこ。
森田 リモート稽古って参加しやすいじゃないですか。でもその参加しやすさが逆にプレッシャーというか負担だなと感じることがあったんですよ。例えば、夜まで予定があって稽古場から遠いところにいて、そこから稽古場に向かうのは大変だから今日は休みますみたいなことってできるじゃないですか。でもリモートだと家に帰り着いた時間にまだ稽古やってるんですよね。そういう時にいかなきゃいけないのかなっていう気持ちが…。消極的だとは思うんですけど、やっぱりどうしても気乗りしない時ってあるじゃないですか。
田村 あるある。
森田 疲れたから、やめてえなあっていう。そういう時って、参加しても疲れるし、なまじすぐそこに「稽古場」があるから、参加しなくても罪悪感がある。そこはすごく精神的に負担だった。「やりやすさゆえの弊害」的な。みんな「家にいるんだから参加しろよ」とか思ってないと思うんだけど、自分の中でそういうこと考えちゃうんですよね。時間的余裕はあるかもしれないけど、精神的余裕があるとは限らないんだぞっていうね。
U-5 遅刻もせんやろって感じもあるよね。
森田 何もせずに引きこもってたい時もあるんですよ。
増田 15時まで別の用事で、15時半からみたいなこともあるしね。
森田 あと、別の公演でリモート稽古をしたことがあるんですけど、その時は稽古に入る前に盛り上がるゲームみたいなのを一つ挟んでやってたんですよ。それがなかったのが最初の方は気持ち悪かったかな。ぬるっと始まる的な。対面の稽古だと早稲田に向かう過程で気持ちを切り替えることができて、前の座組ではその役割をゲームが果たしてたんですね。何かしらの「儀式」がないと集中するのは難しいなあと思いました。家と地続きだから。すぐそこにゲーム、漫画、課題…、気が散る〜って感じで。
対面稽古は、会ってた方が楽しいなって。出所はわからないけど、絶対こっちの方が楽しいとは感じる。コロナ禍の対面でよかったなと思うのが、8時に終わるのがめちゃめちゃ嬉しくて。やっぱ9時半に終わるのは辛いなって。
みんな わかる〜
森田 8時終了稽古を定着させてほしい。あとは、人見知り入っているので、今までの稽古場だとみんな集まってて、私一人端っこにいるっていうのがよくあって、寂しいってなってたんですね。今回の稽古場はそもそも人数制限、ディスタンスが当たり前だったから、それは居心地がよかった。
田村 ちょっと私、鼻血出てない!?
みんな ほんとだ、出てる!!!

(田村の鼻血処理のため一時中断)

田村 じゃあ、再開します。
森田 対面だと、あとはマスクですね。マスクは慣れちゃえば、別に、という感じですね。もともとマスクはきらいだったんですけど、これを機につけてても違和感がなくなりましたね。もともと日本人って、口よりも目に表情が出るっていうじゃないですか。だから、こいつ何考えてんだ??みたいなことはあんまりなかったですね。コミュニケーション面のやりづらさはなかったですね。ただ声がこもるのはやりづらいですね。自分の声が今どれだけ届いているのかわからないんですよね。まあそんなところですね。前、「zoomと対面の稽古どっちがいい」って聞かれた時に、反射的に対面って答えたんですけど、今はちゃんと理由をつけて対面って答えられるようになりましたね。やっぱ対面の方がいいです。Zoomだと私は入り込めない性分なんです。
田村 コロナで半年ぐらい、全く演劇をやらなかったわけなんですけど、どうでした?
森田 この大学4年間を演劇でかけ抜ける予定だったので、その勢いを止められてしまった今、自分と演劇の乖離を感じていて、自分の演劇に対する意欲も減っていって…。あと、私、すごい前時代的なんですけど、みんなでわーって大声出す舞台が一番好きなんですよ。それが今、できないじゃないですか。だったら、演劇を続けていて果たしてすごく楽しいと思うことはできるのだろうか、やりたい演劇を心置き無くやることができないのだったら、続けている意味はあるんだろうかという、自問の時期に入ってます。このコロナのせいで。この自問はほんとはいらないんですよ!言い方悪いですけど、何も考えずに演劇楽しい!って言って、やり続けたかったんですよ。考える機会ができたのはよかったのかもしれないけど、何も考えずにやりたかった。
U-5 強制的に顔を付き合わされてるっていう感じ。
森田 そう!お前と演劇はこんな薄い関係なのか!おらっ、ちゃんと見ろ!!ってやられてる感じ。進路とか、就活とかの気分…。無理やり演劇に向き合わされてる感。それがいいことなのかもしれないけど、辛い!
しば 家にいる時間が長かったから、嫌でも自己分析しちゃうよね…。
森田 色々考えてわかったことは、結局私は、いろんな人がいっぱい集まるのが好きなんだなって。人が集まった時のパワーってあるじゃないですか。そのパワーは良い方向に行ったり、悪い方向に行ったりするんですけど、良い方向に働いた時の感じ好きなんだなって今、改めて思いました。人と馴染むのは得意でなくて、一人が好きなんだって自分に言い聞かせてきたけど、やっぱ人といるの楽しいんだなって。
田村 悪い方向に行くってなんかピンとこないんだけど…。
森田 何だろうな?
田村 内ゲバとか〜??
石田 同調圧力的な?
森田 うーん、赤信号みんなで渡れば怖くない的なやつ。
田村 なるほどね。
森田 俺たちの仲間はこんなにいるんだから、自分たちのやっていることは正しいことだってなってるのを見るの、すごくいたたまれないんですよ。一人でもおんなじことできるんか!って。根元的には、良い方向も悪い方向もきっと同じで、集まれば普段恥ずかしいなあと思うこともできちゃって、それが良い方向に働いて、演劇とかエンターテインメントとして優れたものを作ることもあれば、悪い方向に働くこともあるよね。まあ良い悪いの判断は私次第で難しいんですけどね。
田村 なるほどね。てっきりファシズムの話かと…。急に話が膨らんだぞ!って思っちゃって。
森田 それも同根なんでしょうけどね。
田村 そうね。じゃあ次、覚士。
石田 みなさんが言ってくださったこととかぶるんですけど、zoomでの稽古に関して、一番のメリットは移動がないこと。あとは、意外と稽古はzoomでもできるんだなっていう発見は大きいと思いました。それこそ、稽古って普通は稽古場がないとできないじゃないですか。それって難しいじゃないですか。学生会館だって誰でも予約できるわけじゃないし。何ヶ月も前から月1、2回稽古したいっていう座組は多いと思うんですよね。そういう人たちにとってzoomは使えるんじゃないかっていう可能性を感じました。ただ、問題点もたくさんあると思っていて、一番はアップゲーム(稽古のはじめにテンションをあげるために行うミニシアターゲームのことを早稲田界隈ではこう呼ぶ)。テンションをあげるのが難しい。まあでも、そこを試行錯誤するのも楽しいのかなあって。ちょっと肯定的に捉えてみました。それから、対面で稽古が始まった時には感謝の気持ちが強かったですね。人がその場にいると全然違う。失って初めてその大切さに気がつきましたね。
しば 恋愛じゃん!
石田 一番気になったのは、学生会館の稽古場の人数制限が3人だったってこと。3人ってもう演劇させる気ないじゃないですか!7人になってからはよかったですけど。
 コロナになって、良くも悪くも演劇のことを考えることができたな。演劇ができない今だからこそ、新しい演劇について考えることができる。今のこともそうなのかもしれないですね。それでできる演劇が面白いか面白くないかは別として。面白くなかったらそれが面白くなかったってこともわかるし。今、演劇ってコロナが感染拡大し始めた頃よりは、回復しつつあるじゃないですか。でもまた感染者が増え始めているので、中止にならないといいなあと思っています。映画館とか普通に空いてるのに、なんで演劇だけダメなんだろうっていう愚痴を言って終わります。
田村 質問なんだけど、感染者が増えても中止すべきではないってこと?それとも、感染者増えないほうがいいってこと?
石田 感染者が増えないほうがいいってことです。中止せざるを得ない状況になったら中止するべきかなと思います。
田村 野田秀樹さんとかは感染者が増えて公演が中止になる中で、感染対策をした上で公演を続けるべきだと言っていたけど、そういうのとはちょっと違う感覚?
石田 そうですね。

(ここでちょっと地震が起こる。ひとしきり盛り上がる。)

田村 じゃあ、再開しましょう。次は僕ですね。リモート稽古で一番困ったのは、音質が悪いことですね。ダメ出しみたいなことをするときも、その人の声の問題なのか、音質の問題なのかわからないから、なんて言ったらいいかわからない。デジタルに一旦変換されるわけじゃないですか。それでこんなにもやりづらくなるのかと思いましたね。
 対面で稽古してみて、マスクをつけていても演出の立場としてはあまり困らなかったかな。ちゃんとダメ出しできるなって。でも、それはあまり自分に演出の経験がないからかもしれなくて、大演出家ならまた変わってくるのかもしれないけど。逆に、自分がマスクをして演技しているときは、マスクがずり落ちてくるのが嫌だったなあ。怒るシーンとかで、大きな声を出すほど、マスクが落ちてくる。興奮してるんだからマスクなんか気にならないはずなのに、マスクをひょいって直さないといけない。その乖離がね…。飛沫防止のためにはマスクを絶対直さないといけないでしょ。他の人たちはどうやって対策してるんだろうね。
 コロナになって、演劇って脆弱な芸術だよねっていうことを再確認したかな。脆弱だからこそ、こういうときは、上演活動を続けるというよりは、今後のために何か「財産」を蓄えることをした方がいいんじゃないかなということを思いました。だからこういうことをやってるんですけどね。まあ後、演劇について考える時間ができたとも思うし、それからアルトーの『演劇とペスト』とかよくわかんなかった演劇論が何と無くわかるようになった。西洋に根付いている(?)伝染病の感覚がやっとわかったというか。それから寺山修司の演劇論もアルトーの影響をすごく受けているから、ちょっとわかるようになった。体験しないとわかんないという、ある情けなさみたいなものも感じつつ、人間ってそういうものなのかもしれないなとも思いましたね。例えば、戯曲って究極的には個人で読んで分析しつくすみたいなことってできると思うんですよ。でも人間って多分愚かで情けないから、みんなで読んだり、演じてみたりしないとわかんないんじゃないかということもこのとき感じましたね。

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