稽古録12~見守り役のシンパシー~

日時 2020/11/15・16:30~20:00
場所 早稲田大学学生会館 B202
参加者 田村、片山、石田、増田(17:30~)、森田(~18:00)、U-5(演出部・リモート)
文責 U-5
稽古内容
読み合わせ

 稽古前半はコロスメインの読み合わせを行った。

 今までコロスの稽古をつけるときは、セリフがあるシーンのみをピンポイントで読み合わせていた。しかし、田村いわく「コロスにも流れがある」のではないか、とのこと。
 勿論コロスの動きや言葉は出鱈目に発されるわけではなく、もっと言うならばコロスを演じている役者には意思や感情があるのだから、劇の流れに左右されないはずがない。しかし、流れを外側から眺めるようなコロスの役回り上、その流動性が見落とされてきたと考えられる。
 本日の稽古ではコロスのシーンだけをぶつ切り的にやるのでなく、コロスにスポットを当てながらも「流れ」を意識に入れるため、前後シーンも続けて行うことにした。
 以下、読み合わせを見た際の記録者の所感である。

・稽古を重ね、コロスが弱々しくなった分、夫婦が声を張って演技をしているように見えた。空元気のような、「家庭的で善良な市民になろうと頑張っている(でもどこかうまくいかなくて、空回りしてしまう)人」の虚しさのようなものが感じられた。

・稽古にはほぼ干渉せず、その場で記録を取り続ける演出班の存在は、夫婦や姉弟のやり取りを外側から眺め、時に記憶を発信するコロスと似通っているのではないか。特に今回の記録者(U-5)はリモートでの参加が多く、「いる」とも「いない」ともいえる存在である。ちょっと機械の操作をミスしたり電波が届かなくなれば稽古場から消えてしまうが、「0の存在」ではない。任された役があるため、ぼーっと稽古を眺めているわけにもいかない。
 コロス役の森田が述べた、「台詞が少なくてずっと見守るだけ、(むしろそれが役割)だから、コロスって大変だ」という言葉には記録係として非常に共感した。その役が劇においてどのような存在なのかは、ある程度長くシーンを通さなければ分からない、ということが分かった。

 こちらは、役者たちの読み合わせの感想である。
・地下練習ではよくあることだが、声が反響しなくてテンションが下がる。
コロスが話すと、場の躍動感が小さめになる。コロスのセリフの度にボルテージがそちらに持っていかれ、神妙な空気になる。神妙になって、また「夫婦」のテンションにもっていって…の繰り返し。これはいつもの稽古でも起こる現象であるが、地下ではそれが顕著だった。

・コロスの言葉は、夫婦にとって「不利」な言葉。できれば忘れたい。だから、コロスのセリフ後はそれを隠すように、振り払うようにむしろテンションを上げるのではないか。悪い白日夢を見て、「ハッ!」として挙動不審になる感じ。

・男は女と接するときは「子供と同じくらいの年の部下を持つ上司」的な、落ち着いた感じのテンション?「大人面する大人」なイメージ。

・夫婦の娘は電車に引かれたのではなく、空襲等戦争が原因の何かで死んだのではないか。でも時代は「もはや戦後ではない」から「空襲が死因」とは言えない。だから仕方なく、別の記憶で塗り替えて語っているのでは?本当は「娘は空襲で死んだ」と言いたい。
 男の、「すぐこの辺でやられたのです」という言い方が引っかかる。電車にひかれたのは誰の故意によるものでもない。「やられた」は不自然では?
 また、妻がやたら噛みしめるように「あの日は雨が降っていました」と言っていたことについて。
 空襲は、晴れた日に行うもので、雨の日には行われない。わざと「雨が降っていた」ことを強調することで「娘の死因は空襲ではない」と言い聞かせている。もしくは、「焼夷弾の雨」が降っていたのではないか。

 田村いわく、コロスのセリフは「マッチ売りの少女」に関する部分は女、小野碩に関する部分は男を想定して組み込まれており、妻は一番の被害者であるとのこと。

 読み合わせの後、ラストシーン(女が弟の腕をねじり上げ、コロスのセリフと共に入場する)の確認が行われた。
 男が弟を諭し、場を納めるために謝るように促すも、女は威圧的に「お父様はしばらく黙っていてください」と言う。ほとんど威嚇に近い状態である。しかし、その後男に一喝されると急に卑屈になり、男から逃げる。最後は局部を守るようにうずくまってしまう。これは、女が幼少期に「マッチ売り」(という名の売春紛いの行為)をしていたことが関係している。

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