弔辞

本日、祖母⚫︎⚫︎へのお別れの言葉を伝えなくてはならないことを、いまだに実感できないでいます。以下より弔いと親しみをこめて、祖母⚫︎⚫︎のことはおばあちゃんと呼ばせて頂きますことをご了承ください。

おばあちゃんは料理が上手で、その他にも習字や絵葉書パッチワークなどとても手先が器用で多彩な人でした。また、とても働き者で人のために動くことを厭わず、逆に人の世話になることを厭う絵に描いたような昭和の凛とした気高く強い女性でした。

私が幼い頃、妹の⚫︎の病気の関係で喜多方の家に預けられた時、セーラームーンの枕を買ってあげるからおばあちゃんとお出かけしようと嘘をついて私を埼玉から福島に連れて行き毎晩お母さんに会いたいと泣いて困らせたこと、小学生のときに私が書き初めの選手に選ばれて冬休みに早朝から一緒に書き初めの練習をしたこと、ご飯の買い物に一緒にコープやしんたにに買い物にいったこと、夏休みにはむいてくれた冷たい桃やすいか、畑でとったトマトやきゅうりをたべさせてくれたこと、私の好物である手作りのひしまきや味噌漬けに白菜漬け、栗入りのお赤飯などたくさんのものをつめこんだダンボールを定期的に送ってくれたこと、おばあちゃんは覚えていますか?

一昨日喜多方の家について庭を見渡しましたが、私が生まれた時に病院からお祝いでもらった姫林檎の木がありました。はじめはとても小さい鉢植えの苗木だったはずなのにおばあちゃんが庭に植え替えて栄養を与え大事に育ててくれたおかげで今年も立派に実をつけていました。私が遊びに来るたび、こんなに大きくなったんだよと見せてくれましたね。私もあの姫林檎の木と同じようにおばあちゃん、そしてさきに旅立ってしまったおじいちゃんに注いでもらったたくさんの愛情で立派に強く、ちょっと強すぎるくらいに今日この日まで生きてくることができました。

私はおばあちゃんの思い描くような理想の女性の人生を歩めていないと思います。そこに関しては衝突したこともあり、少し申し訳ない気持ちもあるけど、どうか私の選択した生き方を、これからもいつものように口煩くもあたたかく見守ってほしいと勝手ながら思っています。

私はこれからもずっとおばあちゃんとの大切な思い出を胸に、形は違くともどんな時でもおばあちゃんのように気高く凛とした強い女性として生きていきます。
私もいつかそちらにいったときには、おじいちゃんとたくさんのお酒を酌み交わし、その姿を傍目からみるおばあちゃんにみっともねぇからおなごが人前でそったら酒飲むんでねぇ!とたくさん怒られようと思います。安らかお眠り下さい。本当にありがとう。

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