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森をでたらひとになる

このあいだの休み、
バスに運ばれてともだちの住む益子へ。

森の学校に通っていた時に
ヒーターのうえではじめましてをしてから
すこしずつ友だちになりました。

お寺の子で鬼ごっこもかくれんぼも
大縄もできるくらいおうちがとにかく広い。
わたしは二階の奥から二番目にある
その友だちの部屋が心底すき。
手をかけて塗られた漆喰の壁。
天井を抜いて作られた部屋は
現像をするためのとくべつな場所。
ひしめく本たちとたくさんの花。
時には映画館にもライブハウスにも
かわります。すごい。

友だちの調子がいいとき
(大抵は晴れの日がつづいているとき)
年に一度か二度その場所におとずれます。
あんまりたくさんの言葉は必要なくて
そうなのね、と言い合うことで
なんとなく話ができているふうに思ってる。

友だちのしごとはたぶん
資本主義にまきこまれる
しごとをしない屋さんと
こちらはたしかに、写真家です。

(空間をつくるのが上手なので
わたしはハウスコーディネーターなんかも
やればいいのにと思っています)

なので益子にくると
かならず森や川辺や海にでむいて
写真をとってもらいます。
とってもらう、という表現でいいかは
ちょっと分からないな。
ことばでないところで喋っていることであり
そのなかで各々がじぶんをこわして
くみたてる作業をしているかんじです。

それに自然があるところに
行くとかかえていた良いことも悪いことも
やらかしてしまったこともがんばったことも
ぜんぶさらけだしたとて木や水や石は
沈黙をもって返してくれることを
知っているのでそういう作業をするには
ちょうどよくて、すごく落ち着く。

なので年に一度か二度の益子は
わたしにとって特別な時間です。
見つめなおして新たにすることは
ものすごく力と勇気が必要なこと。
そのあとですこし楽になること。

次いつ会うかわからないし、
相変わらず連絡をまめにするのは苦手だけど、
またそのときがきたら自然と
会うようになるので心配はしてません。

ありがとう、またね!


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