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「かわいい」は正義

いい年して可愛いものが好きだなんて恥ずかしいだろうか?と思いながらも、もふもふしたぬいぐるみとか、すりすりしたくなる手触りのよいタオルのぬいぐるみとか、美味しそうなスイーツや丸々とした犬のイラストなどなど、とにかく、私のセンサーに「かわいい!」と認知されるものが大好き。
それらをあちらこちら、目に付くところに配置しておくと、あたりの空気が少しばかり軽やかになる気がするのだ。

そうは言っても、「きゃあ可愛い!」などとはしゃいで許される時期は過ぎているし、どうしたものかねぇ・・と思っていたら(いや、そんなことをそんなに考えていたわけではないが)、Twitter(意地でもXとは言ってやらねぇ)界隈で有名なシャープさんが、「かわいいは救い」「かわいいの摂取は大事」という記事を書いていらした。

元々ものすごく思いやりにあふれた文章を書く方なのだけど、それによってますます好きになった。
理不尽なことばかり起こり、この国を導いていくはずの政治家は自分の懐温めに夢中で信念はどこを向いているのか?生きていくのが嫌になるような社会にあって、それでも生きていかねばならないのなら、せめて自分の手の届く範囲には「かわいい」を集めて、パワーをもらおうではないか。
人により活力の源は様々だから、もちろん「かわいい」じゃなくても構わない。
同じ「かわいい」でも、爬虫類が可愛いと言う人もいれば、私の目には(え?全然可愛くない!)と映るものこそが可愛いと思う人もいるだろう。
何でもいい。

とにかく、無力な私にできることは、自分の機嫌は自分で立て直す。
自分の健康は自分で守る。
それぐらいなのだ。
そのために、「かわいい」は欠かせない。

年末以来、どうも胃腸の調子がよくなくて、それはふだん食べないものを食べたり、量が多かったり、日頃飲まないアルコールを飲んだりしたせいもあるのだけど、通常の生活に戻ってもなかなかスッキリしないのは、これ、あれだよね、自律神経失調症というやつ。
元旦以来、立て続けに辛いニュースが続き、八代亜紀さんが初めて聞くような難病(膠原病はよく聞くけれど、実際の症状は100種類にも及ぶらしい)であっという間に亡くなられ、子供の頃から自分が知っていた人たちが、父も含めて次から次へといなくなってしまい、ああ長く生きるということはそういうことなのだよなとしょんぼりしてしまうせいか、何とはなしに具合が悪い。

これを書いたら、「自律神経の整え方」みたいな記事を読むつもり。
きっと、寒くても外に出て、おひさまに当たって、ちょっと汗ばむぐらいスタスタ歩いて、消化のよいものを食べて、ぐっすり眠れば、三日もすれば元気になるのだろう。
そう思えることにも感謝。

あとは、ぐだぐだ考え過ぎないこと。
ネットで調べ過ぎないこと。
特に病気のことを検索するのはよくない。
あれもこれも心配になるから。

五十代で病気になった時、「人生100年時代」と言われる昨今、あと何十年も生きるのはしんどいなあと罰当たりなことを思ったりしたのだが、その時に、三つばかり年上の友人が、「とりあえずあと五年、頑張ってみようと思います」と言っていて、とても気が楽になった。
五年なら頑張れるかな・・そう思ったその五年はとうに過ぎた。
この先は年単位ではなく、一日単位で生きる。
なぜなら現実がそう教えてくれるから。
明日のこと、一瞬先のことは誰にもわからない。
80歳で老後の資金が尽きたらどうしよう・・なんて憂えて、毎日毎日不安を抱えて生きるなんてもったいないのだ。

まずは今日一日。
無事に終えることができたら、もう一日。
明日をどう過ごすかを考えよう。
身の回りに「かわいい」を散りばめながら。

ところで、話は飛ぶけれど、インスタのおすすめリールに流れてきたイチローさんの話が面白かった。

自己肯定感っていい言葉なんですか?僕は気持ち悪いですね。
自己肯定感の高い人って、人としての厚みはどうなんでしょう?

インスタグラム リール

要約するに、自分を自分で認めるということは、過去を振り返らない、反省もしないということにつながる。
それでいいのかと。
改めて言われてみると、「自己肯定感が高いって何?」ですよね。
よくわからない。
自己肯定感にしろ、承認欲求にしろ、よくわからないことが取り上げられる時代だ。
それに流されないイチローさんはやっぱり一流の人だと思う。

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