捨ててよ、安達さん。を観て思い出した我が家のどんぶり。
テレビ東京系列で放送中の
「捨ててよ、安達さん。」
女優・安達祐実さんが本人役を演じるという、フィクションのようなノンフィクションのような不思議なドラマだ。
毎回、安達さんの持ち物が擬人化されて「捨ててください」と迫ってくる。
第11話は、15年ものの着古したスウェットだった。それを視聴しながら思い出したのは、我が家の食器棚の奥に眠るどんぶりの存在だ。
かれこれ20年以上前になる。
故郷の島を離れ、福岡で新生活を始めた。
少々ヘビーな話になるが、高校卒業と共に両親が離婚し、家を出る時は二度と戻れないつもりで出たし、実際そのままの実家に戻ることは二度となかった。
自分の物の他には、幼少期の写真を数枚と、一つのどんぶりを持って出た。
なんの変哲もない小さめのどんぶり。
しかも、電器店の来店粗品で貰った安物だ。
その時は特に思い出の品というつもりもなく、引っ越してすぐ使える食器が欲しかっただけなのだが、なんとなくそれから数回引越しを繰り返す中でも処分することなく、20年経った現在も食器棚にそれはある。
ただ、ほぼ使っていない。
第一にデザインが好きではない。
そして、決して楽しいばかりではなかった実家での日々を思い出してしまうというのもある。
それでも、食器を整理するたびに処分しようかと手をかけては、いや、これは置いておこう…とそのままにしている。
少し話は遡るが、今から6年前に実父が亡くなった。
母と離婚してから独り身だった父の持ち物は実に少なく、遺品整理も楽なものだった。
こだわりの食器などひとつもない。親戚の披露宴で待たされた引き出物の大皿や、百円ショップで買えるような茶碗やお碗ばかりだった。
その中にひとつ、見覚えのあるどんぶりがあった。
あの、我が家にあるのと同じ、電器店の来店粗品でもらった、小さめのどんぶりだ。
そう、あれは二個セットだったのだ。
一つは家を出る時に私が持って出て、もう一つは父が島を出て東京へ移り住んだ時に持って出ていたのだ。
ほんの一瞬、湿っぽい何かが胸によぎった。
でもその時は姉と2人で父の部屋を片付けていて、不用品は廃品回収へ、と仕分けを急いでいた。
そしてさほど逡巡することもなく、どんぶりは不用品へと分けられた。
今にして思えば、そのどんぶりは持ち帰らなくて正解だったと思う。捨てるタイミングを完全に見失った、使わないどんぶりが二つになるところだった。
正直まだ、そのどんぶりを処分する決心はつかない。
それを見るたびに思い出す実父が亡くなって、6月30日でちょうど七回忌だった。
新型コロナの影響で、お墓参りには行けなかった。
来年行けたら、今度こそ捨てようか。
もしこのまま捨てなければ、私の死後、きっと子供たちが処分するだろう。
それならば、私がちゃんと捨ててあげた方がいいのかもしれない。
持ち物を捨てるという行為を通じて、自分の過去やしがらみからの脱却を描くドラマ
「捨ててよ、安達さん」を観て、そんなことを思った。
安達さんが最後に捨てるのは何だろう。
捨てるのか、捨てないのか。
最後まで見届けたい。
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