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鈍感力は幸せかもしれない件

ここ1−2年、自分について驚くことが多い。ここ数年親しくなった友人に「不思議ちゃん」と言われたので、バイト先で聞いてみたら失笑されてしまった。いろんな人に聞いてみたら、みんなは、いい表現なり歪曲的に、笑いながら「知らなかったの?」と言う。知らなかった。ずっーーっとご存知なかった。そう言われれば、、学校生活が大嫌いで今でも学校なんて燃えてなくなればいいのにと思うけれど、それはわたしが幼稚園の時から集団行動が出来ないこどもだったからだ。

すぐに自分の中で妄想や考え事に集中してしまう。それは今も同じで集中したり考えごとをしているときは、人の話を聞いていないことが多々ある。

最近、驚いたのは知り合って親しげに(馴れ馴れしく?)接してきた人が私に言ったことと、実際の話が違っていたとか、そんなことが多い。それは今の職場の社長や会計士さんが「燈子さんに見栄を張ったんだね。」と言ったから、ああ、そうなんだ。。と思ったが。

天然なせいか仕事で最初はなめられやすいのか、いわゆるマウントをとられることも多く、ヘラヘラやり過ごしてはいるがあまり気分の良いものではないし、そういう人とは距離を即座に取りお付き合いしないようにしている。無論、そういう人はいろんなところで対人関係でつまづいている。また一方で、善意に見せかけてマウントをしつこくとってきて、距離を置くこちらを追いかけてくる珍しい人もいて、そういう場合はきっちりとギャフンという目に合わせてお帰りいただく。

ある時、そういうタイプが「仕事、大変でしょ!手伝いに来るから教えてくれたら来るから!すぐ出来るから!やっぱり非常勤を常勤がフォローしないとね!」と言って私の外来に教えを請いに来た。もちろん、ありがたい申し出なので、快く丁寧に業務説明をしたのだが、悪いが覚えが悪く、教えた後はそそくさと帰ってしまい、2度と手伝いには来なかった。充分丁寧に教えたつもりだったが、すぐに自分には出来るぐらい簡単な業務と思っていたのかもしれない。それまでも度々マウントらしき発言を受けていたが、気づかないというか気づかないフリというか

どーでもいい

という態度で意識を向けてこなかったので、後で入ってきて仲良くなった事務さんに「それマウントでしょ!冷やかしなら来るなっつーの!!」と言われて、そうなんだ!と思った。

こういうように自分でも意識は薄いながらもマウントをとられているかもなぁとは思っても、あえてそういうことにフォーカスしない生き方というか、なんだかそうなってしまっているので、気づくことが遅い。それにマウントもとりたければ別にいくらでも好きにとったらいいけど。。(でも多分反応しないと面白くないのじゃないかと思うが)

なので最近も、その人は燈子さんに見栄を張ってそういう話をしたんだよ、とか大きく話を盛ってるんだよ、と言われてびっくりするのとガッカリすることがある。

みんな生きづらくないのだろうか。それとも見栄を張る方が楽なのだろうか?

依頼者様でもたまに、見栄だったり話を盛っている様子の人はたくさんおられる。でもそういう時にはわかるのだ。その人が見栄を張っていることも理由もわかる時は多い。でもそれはそっとしておく。その人にとってその小さな見栄でも自分を保つプライドのことが多いから。

自分の仕事で相手を見る時には、しっかり物事を見極められるのにプライベートだとダメである。だが、プライベートでまで、そんなことをいちいち捉えて分析していたら疲れるし、なによりする筋や義理のない人に労力を使いたくない。基本的にあまり人に興味がないのだ、もともと。

だからまぁ、場面において自分の眼を開けばいいかな、とは思っている。いちいちマウントを取られただとか本音で話さない人だとか見栄っ張りだとか、そういうことを考えて気にするのってあまり幸せに思えない。ビジネスとして組む相手なら別だが。

でもそういうことをする人たちが人から信用されるかというと、難しいだろうなと思う。



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