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「5upよしもとぴあ」回顧録/10年後の事を言えば誰が笑う?

THE SECOND2024のチャンピオンはガクテンソク、彼らをずっと応援していた私にとって最高の結果に終わった。その時、かつて購入したとあるムック本を思い出した。2013年2月26日発売の5upよしもとぴあ、家の本棚をすぐに探し出して読み返すと発刊から10年以上経っているのでとある記述が凄く気になった。
そこで、こちらを中心に振り返ってみる。尚、引用元は全てぴあの5upよしもとぴあ。

こちらが5upよしもとぴあ、表紙に写った芸人から一体何人が売れたんだろう。
(付箋は今回の為に付けました)

あれから、今どうしてる?

そもそも、5upよしもと(以下、5up)とは現在よしもと漫才劇場(以下、漫才劇場)の前身であった吉本興業(以下、吉本)大阪本社所属の若手芸人の拠点。その前にbaseよしもと(以下、base)が大阪府大阪市中央区難波千日前に存在するYES-NAMBAビルの地下1階に建てられており1999年から活動していたのだが2010年12月に閉館、その後跡地は2011年初頭にNMB48の拠点となるNMB48劇場に作り替えられた。そこで、当ビルの5階にあるワッハ上方のワッハホールを改修して2011年初頭に誕生、地下(base)から5階になったのと若手芸人の飛躍を願ったのが由来であった。しかし、2014年11月に当劇場は閉館、2014年12月から同時期に発足した上方演芸協会直轄の漫才劇場として運営中されている。閉館した理由として客足が伸び悩んでいたらしい。

baseから5upまでは、今とは異なり劇場所属芸人の入れ替わりが激しかった。固定メンバーは数えられる程度で、一軍、二軍、三軍と階層がピラミッド型になっていた。5upの頃は毎年ルールが異なり、この本が発刊された2013年はNSC26期生あるいはそれ相当の芸歴以下の芸人のみが所属し、不動のトップ「煌〜kirameki〜TOP」3組、一軍「煌〜kirameki〜Member」15組、二軍「煌〜kirameki〜Jr.」30組、そして三軍「煌〜kirameki〜Audition」多数によるヒエラルキーが形成されていた。一軍と二軍は3ヶ月に一度入れ替わり戦があり、二軍と三軍は1ヶ月に一度入れ替わりがあった。
ちなみに、今の漫才劇場は中堅クラスの「極メンバー」と若手クラスの「翔メンバー」だけに別れて若手のみ入れ替わり戦があり、中堅は劇場入りすれば入れ替わりが起こらない体制だ。

この本はその体制発足時における二軍までの劇場所属芸人(以下、所属芸人)と、劇場を卒業した芸人(以下、卒業芸人)のインタビューを中心に構成されている。その中で所属芸人にとある質問を聞いていた、「10年後の自分はどうなっていると思う?」、あれから10年以上経って活躍した者がいればまだまだ日の目を浴びられない者、果てにはこの世界を去った者もいるなら、そりゃ振り返るしかないよな。
と言う訳で、ここから回答を分類して面白かったり、現実を見たくなったりした回答を紹介する。ここからは突っ込まくり、少々大阪弁混じりで霜降り明星粗品の某動画風になるのをご了承を得たい。ちなみに、全ての部門ごとに基本掲載順で紹介。

夢叶えてよかったよな部門

まずは願望が回答通りの自分になれた所属芸人から紹介。

最初に藤崎マーケット田崎佑一が回答した
「ワンボックスカーの似合うパパ。」
そうなったやないか。けど、2017年に突然の結婚発表、2020年に突然の長男誕生発表って誰しもが予想出来へんかったぞ。それでも、たまにSNSでパパの姿を見せるのは嬉しいな。そして、あのラララライ体操がリバイバルされているな、受け止められるようになったのは嬉しい。
次に、アイロンヘッド辻井亮平が回答した
「ヒーロー。」
アイロンヘッドはあれから東京のヨシモト∞ホール(以下、∞ホール)所属やけど、愛されている意味で夢を叶えたやないか。こんなタイプの芸人は中々いないぞ。
他にも、バイク川崎バイクが回答した
「おっさんがBKBコールを全力でできていますように。」
確かに年齢の壁もありそうな芸風やけど、今も頑張っているやないか。応援しているぞ。

アインシュタイン河井ゆずる「ずっと働いてる。」と回答したように実際に仕事が順調な方もおるけど、その中でも特筆すべきなのはコロコロチキチキペッパーズナダルが回答した
「芸人だけの仕事で食べていけ、バイトはしていません。」
その2年後に人生変わったぞ。まさかの形でキングオブコント(以下、KOC)を優勝して、その後お茶の間では相方西野創人による提案から生まれて世間にバレた嫌われキャラになったけど芸人として生きておるよ。イっちゃってるねー。
他に優勝した方だと、ガクテンソク(当時学天即)奥田修二が回答した
「毎日どこかで漫才していると思います。」
しているぞ、それどころかこの頃に無かった賞レースで優勝しておるぞ。大成するぞ。でも、この本が出版されてから1年くらいしてちょっとしたスキャンダルが起きたのはヒヤヒヤしていたなぁ。もう、せんといてよ。だがそれよりも、東京進出してマシンガンズや虹の黄昏との絡みが見られるとはあの頃は考えもせえへんかったわ。運命って、よう分からん。

まんまやないか部門

次はあまりにも願望のハードルが低すぎた回答を紹介。

まずはGAG(当時はGAG少年楽団)福井俊太郎が回答した
「初老。」
まんまやないか、2024年現在のあなたは43歳の立派な初老。初老と言えば、以前粗品がある動画で意味を履き違えていたけど初老は40歳からや。それよりも、その年のカウントダウンライブで公開プロポーズするも大失敗したけど数年後に結婚して息子さんも生まれて、GAGからひろゆきMc-Ⅱ(当時は宮戸洋行)が辞めるなんてたまげたわ。コンビで活動するかと思ったら、当時コマンダンテだった安田ファニー(当時は安田邦祐)が入るのは少しドロドロしているなぁ。感情がぐちゃぐちゃやな。
他にもななまがり森下直人「おじさんのコントが様になっている。」、奥田の相方よじょう(当時四条和也)は「41歳の天然パーマおじさん。」男性ブランコ浦井のりひろ「老けている。」守谷日和「やっと哀愁が漂い出している。」と似たような回答していたぞ。皆、立派なおじさん芸人や。

ビジュアルについては、当時和牛を結成していた川西賢志郎(2024年解散)がもまんまやなと回答した
「今より、もっとかつみ♥さゆり・かつみさんに似てきている。」
加齢がいい味を出しておる。でも、それ以前に和牛が解散するなんて誰も予想せえへんかったわ。
他にも、安田ファニーの元相方石井ブレンド(当時は石井輝明、2023年解散)が回答した
「メガネをかけている。」
そうやでとしか言いようがない。それどころか、コマンダンテが解散して、カフェを経営している方が想像できへんかった。でも、本人は漫才に未練があるようで心配や。
後、現在シカゴ実業を結成している山本プロ野球(当時ポイズン反町)が回答した
「黒髪。」
まんまやな、それだけ。

ちょっと心配した形で、ミキ昴生が回答した
「太りすぎて病気になっている。」
うん、肥満による大病という大病ではなかったけど腸が弱いようやったな。あれから結婚して息子さんが2人生まれたんや、自分だけの身体だけやないから大事にしぃ。何よりミキも忙しくなったなぁ。

惜しいなぁ部門

ここでは願望が少しズレた形で実現している回答を紹介。

まずはタナからイケダ田邊孟徳が回答した
「小6になる娘と妻と楽しく生活している。」
あの後息子さんも生まれたやんか。それから、嫁さんがあんたのSNS乗っ取って一波乱起きたよな。でも、家族を支えるために頑張りぃ。
次にセルライトスパ大須賀健剛が回答した
「息子を肩車して運動会で風のように走っている。」
確かに結婚してお子さんも生まれたけど娘さんやったな。でも、良きパパとして頑張っているのは好きやでぇ。娘さん、可愛いなぁ。ちなみに、相方の肥後裕之は娘さんと息子さんが生まれているけど回答は「後輩全員にお年玉をあげている。」、それはまだまだ先の話やな。
まあ、家族については中々夢叶えられへんよな。既婚者になったダブルアート真べぇ(当時は池田真一)も「子どもが4人いる。」と回答したんだよな。お子さんはまだかな。

家族以外のプライベートだと、かまいたち山内健司が回答した
「馬主。」
惜しい、今は猫と犬の飼い主。それよりも、かまいたちは2017年にKOC優勝、2019年にM-1グランプリ(以下、M-1)準優勝と輝かしい功績を残して大ブレイク、すっかりお茶の間の顔になったな。
また、昴生の相方亜生が回答した
「確実に歳を取っているが、趣味のフットサルと釣り等は続けていてほしい。」
確かに歳はとったけど釣りは楽しんでいるなぁ。でも、フットサルはしてへんやんけ。今の亜生はそれよりも猫の飼い主としての印象が強いわ。

これを忘れちゃいけない、仕事の回答だと、令和喜多みな実(当時プリマ旦那)河野良祐が回答した
「売れている!!」
全国区だとまだやけど関西やとまあまあのクラスやんか。今はライブのMCやテレビのバラエティ番組の裏回しとして定評があるけど、この先はもっと後に話すからな。

その中でネガティブなパターンもあり、田崎の相方トキが回答した
「遅刻して偉い人達に怒られている。」
遅刻はせんかったけど、別の形で炎上していたぞ。あれはお前らだけの問題ではないけど災難やったな。でも、とある番組で名物企画を生み出したらしいな。

あかんかったか部門

夢は中々叶えられない、ここでは願望と現実の溝があった回答を紹介。

まずは売れていると回答するパターンが書いている方が多かったのでコンビで回答したパターンを紹介。最初はヘンダーソン子安裕樹
「売れまくってる。」
中村フー(当時中村浩士)が
「東京でものすごいことになっている。」
と揃って似たような回答になった。まだまだ先、一度は売れかけたけど燃え尽きた。でも、ようやく東京進出してここからどうなるのかが気になるなぁ。取り敢えず、中村は節度を守りぃ。あの頃はそんな奴とは知らんかったわ。
このような回答は掲載順ではバンビーノが先であったが、具体的だったので入れ替えさせた。藤田ユウキ(当時藤田裕樹)が
「イタリアンバルをはじめ飲食店を多数プロデュース。そのうちの1つ、「La fujita 南船場店」がミシュラン3ツ星獲得。」
石山タオル(当時石山大輔)が
「10年後の自分は、ちょっとだけ売れて、服屋を経営して、海外でもネタやってる。」
と回答。ブレイクはしたよ、でも飛び抜けた訳ではなかったわ。それでも、応援している人はいるからなぁ。

また、現在売れっ子でも思う事があるのは粗品(当時佐々木直人)が回答した
「真っ直ぐが良いです。」
曲がりに曲がりくねってる。2018年にM-1を2019年にR-1ぐらんぷり(以下、R-1)も若くして優勝したと思いきや、ギャンブルにどっぷり浸かったり、結婚したと思いきや1年ちょっとで離婚したり、暴言も目立つようになったりと荒れてるやないか。でも、芸事には真剣さを忘れていないからな。音楽もやってるけどな。

ボケるんかい部門

質問を大喜利のようにボケて返す所属芸人も少なくはない、天竺鼠川原克己「アキレス腱、健在!!」と回答している。ボケはそのまま紹介してもキリがないから、その中で特筆した回答を紹介。

それは山内の相方濱家隆一が回答した
「逆にどうなっていると思います?」
河井の相方稲田直樹が回答した
「逆に僕どうなってそうですか?」
結論から言おう、2人ともめちゃくちゃ売れっ子や。濱家はなんと紅白歌手になるなんてあの時には想像せえへんかったわ。稲ちゃんは中身がイケメンなのが知れ渡ってんぞ。

お前どないなってんねん部門

最後に、先程の「あかんかったか部門」よりも夢と現実の乖離が激しい回答を紹介。要は、現在は活動範囲を収縮、あるいは休止、そして引退など続けて紹介するには酷だったものを分けた。思い出しても辛くなってしまう。

まずは、川原の相方瀬下豊が回答した
「相方をあやつれるようになりたい。」
はあ?それどころか、皆にめちゃくちゃ迷惑掛けたぞ。こうなるかもしれへんと予測は出来ても、まさかここまでとは思わんかった。一難去ってまた一難とはこういう事やって再確認したわ。あかん、涙が出そう。
次に、河野の相方野村尚平が回答した
「東京で一旗上げてる。」
悲しくて辛いわ、大阪でお笑いから離れようとしてるぞ。何があったんか知らんけど、アンタが病むのはマジで耐えられへん。もう、この世界に戻られへんのかな?あんたに私は救われたのもあったから、辛いわ。
他にも、当時中張又張を結成していた高道大輔(2013年解散)が回答した
「大河ドラマに出ている。」
180°人生変わってるぞ、まさかあれから起きた無念がきっかけで警察官になるとはあの頃は誰にも予想できへんかった。突然の解散と引退はショックだったけど、警察官として頑張っている姿をニュースで見かけた時は応援したくなったぞ。元相方のしんちゃん(当時白井伸大)は今、大自然のメンバーとして頑張っているからな。

その中でも、当時スーパーノヴァを結成していた橋本拓也(2017年解散)が回答した
「このままだといいです。」
一番恐ろしかった。え?あんな未来は誰も予想せえへんかった。嘘みたいな出会いがもたらした顛末、芸能界は怖いとビチクソに震え上がったからな。元相方のあさやまんちゃんランド(当時浅山雄太朗)は今、とくいちのメンバーとして芸人を続けているけど、このコンビとして売れなかったのは寂しいわ。でも、あんたは2014年に結成した同期の新山と石井のコンビをさや香と名付けたことに感謝しているぞ。

以上、全部門の発表を終了。最後にボケ以外で大賞になった回答はここにはなく、インディアンスきむ(当時木村亮介)が回答した
「超イケてる。」
当時からイキっているし、今もイキっている。変わりがない、それがきむ。

振り返ってみて

振り返ると、青春時代が蘇った。劇場通いはあまりしていなかったのは申し訳なかったけど、皆が有名になることを願っていた日々を追体験した。
あれから、かまいたちやアインシュタインのように当時からの人気者が全国区で受け入れられたり、霜降り明星やミキのように当時はひよっこでも今は人気者になったりしたが、和牛やコマンダンテのように当時からの人気者が解散したりと悲喜交々な顛末になっている。発刊から10年以上経って、回答通りの自分になれた芸人なんて数えられる程度しかない。
劇場自体も10年以上続いたbaseや今年で10周年を迎える漫才劇場に比べて、4年も満たせられなかった短命だけど、私は忘れたくない。けれども、この本が出てから解散以外にも起きた出来事も鮮明に浮かび上がって辛くなってしまった。忘れたいけれども消してはいけない、すべて擁護したいがそこまでに振り切る程の甘い人間ではない。
何より、今が順調でもこの先はどうなるのか把握できる人はいるのだろうか。あの頃、描いた願望はあくまでも戯れ言に見えてしまうから、そのように考えてしまう。目標として定めた者もいるかもしれないが、不可抗力が来襲して破れる者もいるだろうに。

さてここまで紹介したが、当時の所属芸人は2004年デビュー組(大阪NSC26期生と同等)から2012年デビュー組(大阪NSC34期生と同等)までだった。アキナや回転ハッスル(2016年解散)のようにそれ以前にデビューした芸人がいる場合は、吉本だと芸歴を後輩に合わせる慣習があるので所属可能だった。漫才劇場になった今でも、その慣習は残っており、芸歴が極メンバーと翔メンバーのコンビは翔メンバーとして扱われる。
2013年デビュー組(大阪NSC35期生と同等)はこの後4月にプロ入りするが、首席卒業で2017年THE W女王かつ2021年R-1王者ゆりやんレトリィバァを筆頭に芽を出して、それからの後輩達の中に名が知られていく者も現れる。彼らが超若手の頃に同じ質問をしたら、どんな回答を返すのだろうか。
また、所属芸人と同期だが当時は劇場メンバーになっていなかった人気芸人も少なくなかった。その中には2019年のM-1王者ミルクボーイもいた、当時の彼らはM-1が一度休止したのとbaseが閉館になり、意欲が減退して暗黒期と本人たちが仰っており、覚醒したのは漫才劇場が発足したのとM-1が復活してからだった。他にもそのような芸人はいるが、あの頃に同じ質問をしたらどんな回答を返すのだろうか。
そもそも、この頃はお笑いブームが終焉しており、停滞している空気感が否めなかった。同じ頃に、当時松竹芸能所属だったさらば青春の光などによる突然の退所も話題になっていた。この閉塞感をこじ開けたのは当時の若手も若手だった霜降り明星であろう。当時M-1を優勝して間もない頃に、ふとした瞬間に生み出した言葉が独り歩きしてそこから新たなお笑いブームが発生して、今は芸歴問わずにブレイクする芸人も多くなった。

しかし、今の大阪吉本はかつてのような勢いが衰えてしまっている。近年は若手芸人の上京率が上昇してかつてよりも東京が大阪色に染まっており、大阪に留まる若手芸人が少なくなっている。私は吉本所属芸人は好きだが、吉本の体制は好きではない。ただ、私が権力者になって吉本を自由にいじられるとしても、それは今の体制を生み出した人々と変わりやしない。

話は暗くなってしまったが、この本には他にも色んな見どころがある。卒業メンバーへのインタビューに卒業メンバーと当時の劇場メンバーによる対談、当時の∞ホール所属芸人紹介、当時のランク決めライブと2012年のカウントダウンライブのレポート、他にもちょっとしたコラムなどもある。家のどこかにある方は是非再読を、持っていない人は発刊から10年以上経っているので今から買うのは難しいけど巡り会えることを願うばかり。色んな発見、再発見が待っているから。

余談だけど、baseや漫才劇場もムック本は出している。私は全て揃えたいが悩ましい。
なぜなら、家が狭いからしょうがない話だ。

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