見出し画像

僕たちは一日に何度も門を開け、閉じる

家を出る時の玄関の扉、会社に入る時の通用門、神社に参拝するときにくぐる鳥居など。僕たちの身の回りには様々な門があり、こちら側とあちら側を分け隔てている。

画像1

家の中ではプライベートと社会を分け隔てる玄関の扉。家の中にも様々な扉がある。トイレやベランダ、各個人の部屋など。それ以外にも、僕たちの生活の身の回りには、目に見えない様々な入り口が存在する。

画像2

”いただきます”
生命をいただくという意味と、食材に携わってくれた方々への感謝、食材への感謝の意味がある。 ”いただきます”という言葉を唱えるだけで、食材と僕との門が開く。手を合わせればなお効果的だ。そして、”ごちそうさま”という言葉を唱えて、食材と僕との門を閉じる。手を合わせて、”いただきます”と”ごちそうさま”の言葉を言えることが、僕は食材に対して正面から意識をむけていることになる。そして、ご飯を食べるという行為は食べる前から始まっていると認識する。僕はこの時、本当の意味で食材から生命を頂けることに気付いた。

画像3

”おはようございます”
この言葉は一日の始まりの門を開く。目に見えない門だ。家族との朝の挨拶も”おはようございます”の一言で、僕と家族の門が開く。”おはようございます”の挨拶無しに、いきなり今日の予定を話し始めるのは、鍵のかかった扉を無理矢理こじ開けるようなものだ。

画像4

”おやすみなさい”
一日の門は、”おやすみなさい”という言葉で閉じる。僕と家族との門も同じ言葉を使う。一日の終わりの素敵な挨拶は、次の日の素敵な朝を予見させる。

画像5

僕はこんな挨拶の素敵に輝く国に生まれながら、挨拶することの大切さを忘れていたんだ。挨拶は、家族に対してや食材に対して使うだけだと勘違いしていた。もちろん、家族に対しても使うし、食材に対しても使う。それに、空間に対してや、一日の始まりに対してだって使うことがある。誰かが見ているからやるんじゃなくて、誰も見ていなくても一人であっても挨拶をする素敵な人間になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?