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高忠聞書 笠懸射拝幷射手の出立之事

高忠聞書または就弓馬儀大概聞書は多賀高忠による。多賀 高忠(たが たかただ、1425年-1486年)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。射御拾遺抄を著した小笠原持長に弓馬故実を学んだという。奥書によれば寛正五年(1464年)とあるので笠懸聞書より早い。

一いやうの事。あふきかたへうち入中ほどにひかへ。矢を指はげて手綱を二重にかいくり。馬のかくうちに手綱を一重に手の内にかけ。同矢かまへをかたより少し高く。いかにもひぢをたて。鐙をぶつつけ。馬を二足三足うち出してくるりと返し。くら立をし。鞍のま中にこしをすへ。尻をしづわへのり出し。少づゝたちすかして。馬のかせぐにつれて。ほがみをまへ輪に當様に。くら立をし。三足かゝせてつら中へんへ。ひきめどう中をうち入。めてのみゝを越すこさずにうち入るべし。同三足かゝせてひらきいたし。こうてつかひ出して。少矢さしてはしらかすべし。又三足かゝせて胸のとをりにてをし合。矢はずをとり。少かゝせてうちおこし引おろし。少引てはしらかし。的にをしあて。少ねぢてはなすべし。的にいつて。少こぶしをもつて。おなじ程に手綱をとり。的の方を見送。馬をゆるしかけてとめべし。さて妻手へおりあけべし。のこりの射手躰拝いやう同前。

内容をみていくと表現の違いはあるが、射御拾遺抄と同じといってよい。
「矢をはぐ」といえば矢を番えることをいう。しかし「矢を指はげて」とあるは笠掛記の記事で指摘した様に、馬が走り出す前馬場本にいる時に射手は矢は番えず馬手に持っていると思われる。矢を番える動作は「矢さして」の部分。
「鐙をぶつつけ」、馬場本からさぐり(走路)へ走り出す時に鐙で馬に合図を送る。射御拾遺抄では「鐙をそうたうのしゝにふんつけて」、笠掛記では「鐙を承鐙の肉に能踏付」という部分がある。これは鞍立という射手の姿勢に続けて説明されているので、ただ鐙を馬の脇腹につけることを言っているように読める。しかし「鐙をぶつつけ」という表現を目にすると、鐙を承鐙肉に踏みつけるとは、それよりももっと積極的に鐙で馬の脇腹を圧迫し、馬を推進する合図を送っているのではないだろうか。

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