中国史がもっと楽しくなる「国号」の話
「漢」「唐」「清」のような中国の王朝の名前、いわゆる国号。歴史の授業で苦労して覚えた人も多いと思いますが、その由来まで意識した人は少ないでしょう。
実は、中国の王朝の名前は、ある時代を境に名付け方が変わっています。
中国の地域名が中国全体の名前に
まず、最初の王朝交代である殷周革命を起こした「周」を見てみます。殷(商)を滅ぼした周の武王は、もともと周の地を治める「周王」の立場でした。周王の地位は、殷の王から与えられたものです。
始皇帝が統一を果たすことになる「秦」ですが、これも秦の地を治める「秦王」として周に封じられたものです。
漢の建国者劉邦は、項羽から「漢王」に任じられており、これが「漢」の国号のもとになりました。漢を一時簒奪した王莽は「新都侯」であったため、「新」を国号と定めています。
つまり、中国の国号は、基本的に先代の王朝から与えられた諸侯の地位(爵位、封号)に由来し、さらにたどれば中国の地名であることになります。
隋なら「隋国公」、唐なら「唐国公」、宋なら「宋州節度使」など、これらは建国者の地位にちなむものです。
国号の法則が変わる契機
その法則が変わったきっかけは、北方から異民族が侵入し、征服王朝を建てたことです。10世紀に興った契丹は、947年に国号を中国風に「遼」と改めました。契丹族の故地が遼河の上流域であったことに由来します。
国号が自称であるという点で、それまでの漢族の伝統と異なります。女真族が建てた「金」、モンゴル族が建てた「大元」も自称です。
14世紀、漢族の朱元璋が中国を統一します。しかし、彼も元と同様、中国の地名に由来しない「大明」を国号に定めました。次の統一王朝を建てた女真族は、国号を「大清」としました。
「元」「明」「清」については、地名ではなく、抽象的かつプラスの意味を持つ字となっています。
何気なく暗記するだけの中国の国号も、より深い中国史の理解につながるのです。
参考文献
上田信「中国の歴史9 海と帝国」(講談社学術文庫)
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