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福岡市役所「DNA運動」の記憶・その164

164)DNA運動・創生「記」(136)
 
今回は、当時、私が所属していたDNA運動の推進部署から、「DNA小咄」として書き込んだものを紹介します。
 
DNA運動の「D」は「できるから始める」ですが、これは「できない理由から探さず、「できる」という前向きな意識から入ろう」という意味です。
 
私は、これを「山崎市長の遺言」ととらえて、大切にするように心掛けています。
 
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◆ DNA小咄(『D』の巻)(市長室行政経営推進担当、平成13(2002)年10月17日掲載)
先日、Mさんが「もっと『遊び心』をもって、市民に喜ばれる市政を進めよう」との記事に始まる『D』『N』『A』のシリーズ記事を書かれていましたが、この掲示板へのご批判が強くなった時期だけに、原点に帰ろうという呼びかけだったのかなと思いました。
 
おっしゃるとおり、そもそもの趣旨から逸脱しないように、DNAって何だっけ?と、ときどき省みる必要があるな~と納得です。

それで、DNA精神に関係ありそうな話を集めてきて、とりあえず3回ぽっきりで掲載させていただこうかと思い至りました。
今回は「“できる”から始めよう」のフレーズを想起させる雑誌記事に出くわしたので、その紹介です。

★★DNA小咄(『D』の巻)★★
月刊ガバナンス10月号(ぎょうせい)で、工芸家の稲本正さんという方が、構想日本の加藤秀樹さんと対談されています。
稲本氏は、岐阜県清見村に工芸村『オークヴィレッジ』を創設し代表を務める傍ら、最近では世界5カ所で森林の再生に取り組む団体を支援する「森の惑星」プロジェクトの実行委員会代表をされている方です。

以下、稲本氏の発言からの抜粋です。
●・・・ドイツ人もそれを指摘していました。日本から多くの行政マンが視察に来て質問するけど、何であそこまでネガティブなのかと。何かをやったら、こういう失敗があるのではないか、という質問をワンサとするらしいのです。それは失敗があるかもしれないけれども、いいと思うから、ある程度の失敗を覚悟しつつやるというのが行政には必要で、いいと思うほうに行かなければいけない。

●確かに汚い水を出すと税金を高くするという法律を作ったら、面倒なことがいっぱいあるわけです。彼らはそんなことは百も承知で、そのほうがいいからあえてしているわけです。それを日本から来た行政マンに説明すると、『大変だろう、大変だろう』と嫌になるほど言ってくるそうです。聞いているとこっちまで段々嫌になってきて、聞かなければ良かったと思うそうです(笑)。何がいいか悪いかという議論をしないで、方法論で大変なところがいっぱいあると、そこを理由にしてやらないというのはどうなんでしょうかね。

●日本では、住民が問題を克服しようと言うとき、「理屈では分かるんですけどね」と言うと、どういうことかと言うと、「私はやらない」ということです。ドイツで「理屈では分かるんですけどね」と言ったら、「私はやる」ということなんです。この違いですよね。・・・その意味で日本はやりにくいところがあって、そこを超えるためには、心情的にも納得させるということをしなくてはいけない。

●・・・まだ、国、自治体、政治も必死になっていないと思います。小泉総理は感じているのかもしれないけど、「痛み」という程度にしか言っていない。必死にならなければいけないということをもっと言うべきです。
今、日本人は、明治維新よりも大きい時代の転換期を迎えているという緊張感をもっと持たなければいけないと思います。近代合理主義を超えた世界の新しい共通概念と地域に根ざした新しい概念をつくらなければいけない節目の時期ですから、日本は相当必死になる必要があります。日本人は、緊張感を持てば能力を発揮できるのですから。

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