福岡市役所「DNA運動」の記憶・その12

12)いよいよ「DNA運動」誕生へ!② @冬の寒い会議室

そんな感じで、最初のほうの議論はスムーズに進んだのですが、最後の「A」はみんなでかなり悩みました。

私は「ベストプラクティスチーム」のモットーだった「明るく元気に」と思いましたが、よくよく考えると「前向きさ」を表す「D:できるから始めよう」とニュアンスがかぶるので、「今イチかなぁ」と思い却下。

そんな調子でそれぞれが自分の思いを口に出していましたが、誰かが「松田さんが会合の時によく口にしていた「遊び心」はどうやろうか?」と提案したところ、みんな「それがいい!」と食いついてきて盛り上がったのです。ところが、ここでやっぱり悲しいかな、役人の「性(さが)」が顔を出します。

メンバーの一人から「でも、市役所が「遊び心」やら言うたら、市民から苦情が来るっちゃないかいな? 遊んどらんで真面目に仕事しろって。」と言い出したのです。するとそれまで盛り上がっていたみんなも黙り込んで「ん~」って感じで長い沈黙が続きました・・・。

しばらく間が空いたあと、たぶん私が口に出したと思うのですが、「でもよく考えたら、苦情が来てもそれは俺たちのせいじゃないっちゃない? だって、経営管理委員会がうちのチームの提案を採用するかしないかを決めて最終的に発表するんやから、それは経営管理委員会の責任ということになるんで、その辺は俺らは気にせんでもいいっちゃないかいな? もし経営管理委員会が「不適切」と思えば採用されんっちゃろうけん」と。この発言にみんなも「確かにそうやね」ということで、最後の「A」は「遊び心」に決め、「遊び」には「人間らしさ」や「心のゆとり」という部分までも含むことにしよう、ということになりました。

あとで考えると、ここに「遊び心」を入れたのが、「DNA運動」がうまくいった大きな要因だと感じています。この会合でのみんなの英断がなかったら、今頃は「普通の行政改革」の一つとして忘れ去られていたと言っても過言ではありません。

ちなみに、私たちの提案段階では「DNA応援事業」となっていて、報告書の最後には「さあ、伝えよう、広めよう、DNAを!」と記しました。

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