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ペペロンチーノ愛してる

 久しぶりに1番シンプルな形で、ペペロンチーノをつくった。最小限の材料。ガーリック、鷹の爪、オリーブオイル、パスタ、塩だけでつくる。言葉の意味で言うと、「ペペロンチーノ」とだけ言うと「唐辛子」のことであり、いわゆる日本でもベーシックなこの材料のパスタは正式名称では「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」となるはずだ。アーリオがにんにくで、オーリオがオイルのこと。だがとんでもなく文字数が長くなってしまう。「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノがこうでこうで…」なんて毎回書いてなんていたら、「それ言いたいだけやん!」感が強く出てしまうため、この文章では前述の材料でつくられたパスタのことを「ペペロンチーノ」と表記させて頂く。イタリア料理は伝統に厳格なのだ。厳格なイタリア人がこの文章を読んだときのため、必要な前置きの手続きを取らせて頂くことをご了承頂きたい。

 イタリア料理が大好きだ。イタリア料理は速くて、きどってない。イタリアはオープンで寛容な気風に見えて、意外と食に対してはとてもストイックで厳格だ。チーズの違いでパスタの名前も違うし、ピッツァが切られて出てくれば怒り心頭になることもあるだろう。イタリアで「伝統」とされるレシピは、大体が田舎のお母さんがおうちでつくっていたような料理が元になっている。ペペロンチーノもそうだし、カルボナーラも、アラビアータも、カチョエペペも。伝統で厳格で、1番守りたいレシピが、地元のお母さんの味なのだ。その地域でとれる食材でつくられた料理。それがみんな大好きらしい。こういうところが、ぼくはイタリア料理がたまらなく好きな理由の1つであるみたい。

 必要最低限の材料で、伝統レシピに忠実になるようにつくるペペロンチーノは「最小限ペペロンチーノ」と呼ばれている。(ぼくの中でだけ。)そしてこの伝統レシピでつくるペペロンチーノならぬ最小限ペペロンチーノは、ぼくにとって自分の食や、料理に対する感覚の現在地を確かめることのできる定点観測地のような役割になってくれている。伝統レシピは、材料が最小限である。にんにくの切り方、オリーブオイルの量、火入の仕方、パスタの塩の量、乳化の度合いによるスープ仕上げ、パスタを入れた後の仕上げの手早さ、など…。材料がシンプルであるからこそ、その時の自分の体の動かし方や、食べたいものへの感覚が、びっくりするほど大きな割合でそのまま出力されてしまう。コンディションがわるいときには、料理も何だかぐったりしたものになる。心が元気な時には、料理も何か元気でフレッシュな仕上がりになる。最小限ペペロンチーノを初めとした、最小限イタリア料理は、こんなふうにぼくの体と心の状態をいつもおしえてくれる。毎回自分がつくったものに、自分が驚く。だから、つくっていてとっても楽しい。

 普段は東京に住んでいるのだけど、二週間ほど前に、木工の仕事のお手伝いをするために岡山県の西粟倉村という村に滞在していた。人口1,500人に対して、鹿が1,600人いるような、山と森林に囲まれた村だ。森林は60年ほど前に檜が植林されており、その檜を使って家具やおもちゃなどを作っている会社が村のあちこちに点在している。その村に住んでいる時に、ぼくはもっと自然の近くにいる、という感覚を覚えた。民家がぽつぽつとあるだけで、周りに人は少ない。住んでいた場所のすぐ裏手は山で、動物や昆虫や植物が支配している。人間が制圧し切っていない場所が広がっている。その林の檜という資源を使わせて頂きながら、人間は道具をつくって生きている。山の狭間の低いところを縫って、森の間に住まわせてもらっているという感覚がした。

 西粟倉村に滞在している間も、ずっと自分で料理をしていた。つくっていたものはもちろんイタリア料理。近くで買った無人販売の茄子を使ったり、隣の農家さんに頂いたトマトやししとうを使ったり。加工された状態でなく、その野菜たちが生きるために蓄えてきた栄養を犠牲にして、ぼくという人間が取り込み、今日も生きながらえる。そんなことを考えながら料理したことなんて、これまでなかった。不思議な体験だった。とても大きな自然の中の、ごく小さな一部として生きているという、そういう感覚がした。1人だったのに、寂しくなかった。命は周りに沢山ある。生きてるのはぼくだけじゃないし、人間だけじゃない。お互いの命がお互いを生かし合って、利用して、生きていた。とても不思議で、なぜかとても感動する体験だった。

 西粟倉村での滞在から帰ってきてペペロンチーノをつくってみて、自分の料理に対する感度が以前とは見違えたと感じた。もっと美味しいものがつくれるようになったと思った。木工の仕事のために滞在して、まさか料理の腕を上げて帰ってくることになるとは思っていなかったが、自分という命が自然の中のごく一部の小さな存在であることを自認できたことは、生活や制作のあらゆることに、多分影響を与えていたんだと今は思う。それがすごく嬉しい。自然の循環の中で、自分も他の何かの命の糧になりたい。自分のつくった道具や作品、生活で出てきたゴミ、そして自分の死体も。何か別の命のための、自然の循環の中で次の命に栄養を渡せるようになりたい。そのためにぼくは、今日もペペロンチーノをつくる。

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