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続けるコツ

岡山県北部の西粟倉という人口1,500人の村で三週間限定で働いている。最近木に興味があるので、木工の仕事のお手伝いをさせて頂いている。アルバイトの身分なので、大体はそんなに複雑ではない作業。でもどんな作業でも木とより深く会話していく必要があるから、最初はいつも中々に難しい。

仕事の中で作業にとりかかるときにいつも気付いたら自然とやってしまっているルーティンがあることに気付いた。それは、毎回タイムを測ることと、何かを変えること。例えば100個仕上げる必要があるときに、その100個を何分で仕上げれたかを測定する。そうしたら、次の100個では何か1つやり方を変えてみる。左手と右手の役割を逆にしてみたり、椅子や作業台の高さを変えてみたり、リズムを変えてみたり。そうしてタイムがどれくらい変化したのかを確認して、ニヤニヤしたり、ちょっと悔しくなったりする。

業務中にこれをやっているのには少し罪悪感がある。黙々とやればいいのに勝手にタイムを測っていたり、100個の合間の時間でニヤニヤとタイムを見比べていたりするから、サボってると思われそうで。怒られない程度にやろう…と思ってひっそりと取り組んでいた。だって、それをなぜやっているのかというと、自分が飽きないためだから。退屈したくない。だから毎回測って、何かを変えてみることで、ゲームみたいにして楽しめるから、退屈することがなくなる。小さな変化を加えて、そこから生まれる差異にびっくりすることが、すごく気持ちいい。

料理もそうだった。ぼくは全く同じレシピで料理をつくることができない。そういうことをしようとすると、途端に退屈してくる。嫌になる。やりたくない、ってなっちゃう。にんにくの切り方を変える、火入を変える、新しいチーズを試してみる。その都度、それにより起こった変化に感動する。少しずつ変化を起こしていくことで、退屈潰しになり続ける。自分がそれに興味を持ち続けてくれる。

ある日仕事を終えて帰ろうとしているときに、チームの部長的な方から「工夫を続けていてすごい。教えたことをやってもらうことはできても、そもそもの、そういうことを教えるのが1番難しいんだよね。だからすごいと思う。」というようなことを言われた。ちょっとびっくりした。自分ではあまり褒められたようなことではないと思っていたからだ。

そのあと帰宅して、家で白ワイン(家で飲むワインは量を重視したいのでアルパカかコノスルばかりだ。)を飲みながら、そのことについて考えていた。自分が最近よく考えている才能の話を思い出した。才能とは、他の人が100のエネルギーを使わないとできないことを、元々1のエネルギーで出来てしまうようなことなんじゃないかと思う。だからそれは、その人にとってその生き方や行為がごく自然で普通だと感じるようなことだ。他の人が苦労しているのに、誰かが涼しい顔で難なくこなしている。それが才能なのではないかと。だから自分が一番、自分自身の才能に気付けなかったりする。その人にとってはそれはごく普通で、自然のことだから。

そして、あれ、今日言われたことって、ぼくの才能なのでは?と繋がった。ぼくは自分のために飽きないように自然とやっていたことが、他の人には中々できないことである、と言われたということではないか。ぼくは全く大変なことだと思わずに、むしろこれをやらないとしんどいからくらいに思っていた。そういう誰かの価値にもなるようなことを仕事の中で続けれているなんて、すごい。

昔からずっと「続ける」ことへのコンプレックスを持っている。自分の好奇心や興味を自分自身がコントロール出来ないと感じている。最初は「これが大好きだなぁ。よし!大好きだしこれからもずっと続けていくぞ!」と思って、宣言したことが、全く続かないのだ。高校生からやっていたバンドも大学2年生のときに解散してしまったし、自作していたアプリはメンテナンスをしなくなってバージョン切れでApp Storeからは消えてしまったし、高円寺で始めたコーヒースタンドも1年半ほどで閉店してしまったし、例を出し始めるとキリがない。人生でこういう体験ばかり起こっているなとずっと感じている。だから「続けている」人はもっと強い覚悟をして、他の全てをかなぐり捨てて、その1つのことだけにとてつもない努力を注いでいる。それがカッコいいことだ、ってずっと思っていた。

この出来事を通してぼくにとっての「続ける」ということは「変え続ける」ことなんじゃないか、と思った。木の道具づくりでも、同じものを作ることが全くできない。けど1つのものをつくると、次につくりたいものが自然と思い浮かんでくる。新しいことを試してみることに興味津々になる。好奇心がどんどんとぼくより先に歩いて行ってしまう。でもいっそその好奇心に全て乗っかってしまって、興味の赴くままに手を動かしてつくっていると、どんどんと新しいものがつくれてしまう。

ぼくにとって「続ける」ことは、その波に乗り続けてフラフラとし続けることであり、結果それが「続いている」ように見えるだけなのかもしれない。そう感じた時に、自分はとんでもない勘違いをしていた、と思った。「続ける」ことは「変わらない」ことだとずっっっと思っていたのに、ぼくにとっては全く逆のことだったのだ。「続ける」ことは「変わる」ことだった。

そう思えたらもうこっちのものだ。とことん変えよう。いつも、思い付いたその時にすぐに変えてあげよう。そうすれば、ぼくは飽きない。ずっと何かに興味津々で、全力で、楽しいままでいられる。なんて幸せなこと。これからも、来た波に飛び乗って、フラフラと浮遊しながら生きていこう。毎日変わってしまいながら、毎日続けてしまおう。


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