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気分の波との付き合い方②自分の性質に興味を持ってみる。面白がってみる

鬱の波にからめとられてしまってベッドに深く沈みこんでしまってから、しばらく寝続けていたら、自然と少しずつ元気が出てきます。鬱とは心と思考が分離していくことによって、脳が無理矢理にそれ以上体を動かさないようにする緊急装置のようなものなんじゃないかと思っています。それ以上思考と心が分離していくことを止めてくれるんですね。なので、しばらく頭と体を休めていると、段々と動けるようになってきます。

 大学生くらいの頃から「双極性障害」に該当する性質があるのではないかといううっすらとした疑問を持っていました。母親もその性質を持っていて、遺伝に関連がある(諸説あります)と言っている人もいることや、かつ自分もその特徴や経験に当てはまるような気分の波を繰り返してきていました。個人的には、特定の遺伝子というよりも、気分の変わり方の性質のことだと思ってます。親子で性質が似るのは当たり前です。「お母さんと娘さん、目元がよく似てますねぇ」なんていうことと同じことなんじゃないかなと思ってます。そう考えれば、遺伝性が多少あるのは普通なことのように思えます。

 また、大事なポイントとして、うつ病と双極性障害(躁うつ病とも呼ばれています)は現代の精神医療の扱いとしては違うものだとされています。その1つの大きな要素として、先天的な性質が大きく影響しているかどうかが異なっています。うつ病は特定の強いストレスがかかり続けることによってうつ状態が起こるとされています。それに対して、双極性障害は先天性だと言われています。原因や要因がないことも多い。生まれたときから、自然と気分の波が上下する性分であるということです。ほうっておいてもうつ状態と躁状態を繰り返しています。なので双極性障害かどうかを見るひとつのポイントは、思春期などの若い頃からそういう性質があったかどうか、というところを見てあげるのもよかったりします。

 思い出せる中でぼくが一番最初に気分の波の性質が出現していたのは、中学生の時でした。地方の共学の中学校に通っていたのですが、他の似た環境の学校にも多分よくあるように、校内には見えないヒエラルキーみたいなものが存在していました。ぼくはそのヒエラルキーの中の、一番上のグループに必ず属していなければいけないという危機意識を強く持っていました。そうでないと生きていけない、とさえ信じていました。今考えると、全然そんなことないのになぁ。でもその頃には、社会的な人間として属しているコミュニティが家族と学校くらいしかなかったので、仕方がない面もあるかもしれません。逃げる場所なんて知らなかった。田舎だったし。

 そしてぼくが、学校の中でイケてる感じ(自分で書いてるだけで恥ずかしい)でいるための生存戦略は、徹底して「空気を読む」ことでした。それは、一番最初にイメージする言葉の意味である「周りに合わせて同調する」ということもそうなのですが、もっと正確に説明してみると、その場でどんな発言や振る舞いをしたら最も価値を認められるのか、みたいなことを読み取って予測していくことです。その読み取ったことに合わせて自分の発言と行動を決めます。そこに自分の意志はありません。コミュニティの中で「イケてる」状態になることで生き残る。そのために毎日必死ですから。

 そんな中学校生活だったわけですが、自分でも原因が分かっていない不思議だったことが起こっていました。それは、毎月必ず一言も喋らず一日机に突っ伏して過ごす日があったことでした。誰も話しかけないでくれ、という陰惨たる気持ちに陥ってしまう日が定期的に必ず、前触れもなく訪れるのです。ぼくの生存戦略は「空気を読み取る」ですから、デフォルトではそれはもう明るいです。誰とでも喋れるし、声は大きいし、いつも笑顔で、どこかしらの輪の中に必ずいます。そんな人がいきなり一日中何も喋らず、話しかけるなというオーラを放ちながら俯いている。ぼくだったら絶対友達になりたくいんですけどー、って言ってやりたくなるような素行。友人からしたら、非常に面倒くさい。でも、何でこんなことが起こるのかなんて自分でも全く分からなかったんです。そして、一日経ったら大抵治ります。だから、不思議だな、何でだろうという気持ちさえ浮かんでおらず、ただ生きづらさというか、直さなくちゃみたいな気持ちや苦しさみたいなものを感じ続けていました。

 最近やっと少しずつ分かってきてあげれたことでもあるのですが、今考えてみると、中学校のこの現象も、心が思考との分離を食い止めるために無理やり体を止めてくれていたんじゃないかと今は思っています。何かを感じるセンサーを全部切って、自分の感覚を全部遮断して、とにかく「空気を読み取る」ことで、自らの全ての行動を決める。主観を消して客観に対して価値を与えれるよう全力で努力をする。そういうことを続けていると不思議と、段々と自分が何にどんなことを感じていたのかも忘れてきてしまって、空気を読み取る技術だけが研ぎ澄まされていきます。それがエスカレートしてしまったときに、心が無理やり体を止めてくるんだと思います。それが中学校のぼくに起こり続けていた現象であり、そしてぼくの人生で幾度も起こってきた現象。

 デザインのプロジェクトが増えていく中で会社の経営と業務過多によってしばらく寝込んでいたときに、中学校のこの出来事を思い出したこともあり、ぼくは初めて精神科に行ってみることにしました。そこで自分がどんな診療を受けて、判断をされて、そのときに自分はどんな気持ちになるのかについてすごく興味が湧いてきていました。診療はごくシンプルで、先生と対話をする形でした。先生が持っている仮説に関する質問をもらって、ぼくが回答する。素朴な問答で無駄もなく、カウンセリングを求めていたわけではなかったので、ぼくはその先生によい印象を覚えました。結果は、会社に勤めていて必要というわけでもないので明確に診断書をもらったわけではないのですが、双極性障害の可能性が高いとのことでした。そこからは薬での治療と、定期的な診療を行うことになりました。薬はまずはリチウム。現状の双極性障害への治療薬として最も副作用が少なく、多くの人に効果があるとされています。抗うつ薬は、うつ状態を和らげることはできますが、双極性障害の場合は躁状態への波を大きくしてしまうことがあるとされているため使われていないことが多いです。(ぼくが勉強して得た知識ですので、正確な情報は専門家の方の資料などを参考にするようにして下さいね!) 

 双極性障害という診断を受けてみて、もっとこの性質について知りたいと思うようになりました。自分が何に生きづらさを感じてきたのか。みんなが何に生きづらさを感じているのか。自分が自然に生きている状態って、どんな感じなんだろう?きっと楽しいだろうなぁ。この病院に行って診断をもらったこの時から、本格的にこの「気分の波と付き合う」ということに興味を持って、考えるようになっていったのでした。

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