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『劇場』

 ぼくは仕事の出張で、飛行機に乗っていた。どうやら乗客数が少ない便らしく、小型の旅客機だった。あと20分ほどで到着する時刻だった。飛行機が少しずつ高度を下げている。そのとき突然、ドンと大きく体が縦に揺れた。機体が大きく角度を変えて傾いている。アナウンスが鳴るが、シートベルトをして席から立たないで下さいという、誠実なのか不誠実なのか分からないような当たり障りのない内容だった。予期していなかったことが起こった時には、その問題が誰の目にも明らかになるまでのギリギリまでその核心には触れず、さも誠実であるかのような丁寧風な内容をアナウンスすることに終止する。その核心を認めて、詳しく説明する努力を始めるのはいつももう手遅れになってからだ。この国に限らないのかもしれないが、この国ではそんなことばかりだなとうんざりしながら、本当に取り返しのつかない問題が起こっているかもしれないことを想像して、不安がつのっていった。

 機体の傾きはしばらく安定せず、右に傾いたり、左に傾いたりしていた。蛇行運転のような重力を感じる。しばらくすると、着陸するというアナウンスがあった。飛行機の高度は少しずつ下がり、陸が見えた。トラブルが起こっていたとしたらだが、多少のことが起こっても飛行機という鉄の塊は意外と安定して滑空するものなのだな、と冷静に感心していた。陸が近づく。直後、これまで体験したことのないような大きな振動に体が揺すられた。どうやら機体は、胴体着陸のようになり、不時着したようだった。

 しばらく静かになった後、避難の誘導が行われた。機体から出ると、そこは大きな野原のような場所だった。おそらくだが、怪我をして動けない人もたくさんいて、もしかしたら亡くなった人もいるのではないかと頭をよぎった。だが動転していて、冷静に自分が今何をすべきなのか全く分からない状態になっていた。とにかく避難誘導に従っていた。

 すぐに避難する場所が確保されたようだった。その場所の近くで早急に、ある程度の人数を収容できる場所を手配したようだった。避難誘導に従って、乗客のグループ全員で20分ほど歩いた。ぼくはその間に、家族や友人に無事の連絡をする作業をしながら1人で歩いていた。避難場所は、劇場が入っている文化会館のような施設だった。劇場のホールの入り口は開け放たれており、ホール前の入り口や階段、劇場ホール内の座席など、それぞれの場所にみんな思い思いに座っていた。話し込んでいたり、家族や友人と連絡をとったりしているようだった。

 ぼくも入り口を入ってすぐのところにあった階段の段差に座った。そのとき、同じ飛行機にたまたま友人が乗っていたことを思い出した。搭乗前に、ロビーで鉢合わせていたのだった。彼女も出張で近くに来る用事があったらしい。ぼくは友人を探すことにして、建物の中を歩き回っていた。しばらく施設内を歩き回っていると、劇場のホールの2階の席に上がっていく階段の、1番上の方にその友人が座っているのが見えた。携帯を手に持ち連絡をしていたようだったので声をかけるかどうか迷ったが、近くまで歩いていった。友人がぼくに気付き、友人の方から声をかけてくれた。

 ぼくたちはお互いに助かったことをまず喜んだ。ぼくも友人が無事だったことはとても嬉しかった。こんなときに話せる人がいることによる安堵感も大きかった。ぼくもその階段の、友人の右側の、二段下に座った。しばらくは、自分たちに起こったことを整理していったり、家族や友人への連絡のことについて話したあと、話は仕事のことになった。ぼくも友人もフリーランスだったので、3ヶ月前に東京で会ったときにもお互いに仕事の相談をしていたのだった。ぼくも彼女も、これから仕事の方向性を大きく変えていくかどうかについて悩んでいる時期だった。彼女は書籍の校正・編集の仕事をしており、ぼくは大企業の新規事業立ち上げを手伝う仕事をしていた。

 ぼくはそのとき突然に、これまで取り組んできていた仕事に全く意味が見いだせなくなっていることに、話しながら気付いた。「生存する」という人間の原初に近い部分の何かが、すっかり変わってしまったという感じがした。自分が何を大事にしたいのかについて、考えていることが全く別人のように変わってしまった感覚を覚えていた。自分でもそのことに呆然としながら、ぽつりぽつりと、その感覚について友人に話していった。友人も同じようにして、ぼくに話した。長らく、会話になっていないような、それを表現するのに適当な言葉を思いついた方がそれをゆっくりと呟く、というようなやり方で話をしていた。言葉にしていくことで、自分の内側に起こりつつあることを、少しずつ分かってあげようとしていた。

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