『鋏』

 同じ高校の同じクラスに1人、気に食わないやつがいる。そいつの名前は、井上と言う。切れ目で身長が高く、いつも飄々とした素振りをしている。彼はいつも自分の本当に大事なことは心の深くに隠していて、戦術的に人付き合いをしているとぼくは感じていた。彼の薄笑いを浮かべた時に細く曲がる切れ目を見る度に、そのことを感じる。その曲がった切れ目を見る度、ぼくはなぜか井上に対してどうしようもなく憤りが抑えられなくなるのだった。

 ある日、井上がクラスのみんなの前で話したいことがあると言って、帰りの会の最後に、黒板の真ん中に立った。一息「ふう」と置いてから、井上は突然言った。
「みんな。これからの社会で"役に立つこと"って何だか分かるかい?」
みんな何かを答えるでもなく、静かに井上の方を見ている。
「それはもう今や、便利なことや、他人を助けるということではなくなっているんだ。今、この社会で本当に役に立つことは"許せないこと"なんだ。許せないことがあるということは、とても尊いことなんだ。みんな、分かるかい?ふむ。分からないかなぁ。」
そうやって井上は首を傾げてニヤっとした。あの曲がった切れ長の目だった。井上はそれだけ言って、ゆっくりと席に戻って行った。

 ある日の授業の間の休憩時間、井上はぼくが広げていたノートに目をやった。それはぼくが趣味でつくっているノートで、最近見た映画や写真、お気に入りの絵などをプリントアウトして並べているノートだった。そこにはぼくの好きなものが詰まっていて、このノートをつくることは、ぼくにとって勉強よりも大切な行為だった。井上はぼくのノートを見て、顔に嫌悪感を浮かべた。その後いきなりノートを取り上げて、ハサミで今開いていたページを切り刻んだ。何かをぶつけるように勢いよく、だが周到に細かく切り刻んでいる。

 ぼくは井上にとてつもない怒りを覚えた。許せなかった。だがすぐに、静かに怒りを収めた。今怒っても井上はつけあがるだけだ。井上はぼくを怒らせたいのだ。今そのままにぼくが怒れば、井上の思う壺だ。ぼくは怒りをぐっと堪えて、冷静な顔をしながら、切り刻まれて散らばったノートの破片をゆっくりと集めていった。ぼくは心の奥底で、必ず効果的な形で怒って、井上を辱めてやると誓った。それは、心の底で何かがふつふつと沸騰していくような感覚だった。

 次の日の休憩時間、そのチャンスが来た。それは、ぼくも仲の良かった建築に興味がある友人のノートを、井上が見ていた時に起こった。その友人のノートを見ても、井上はノートを切り刻まなかった。ぼくはその行動の一貫性のなさについて、井上に怒れるチャンスが来たと思った。なぜぼくのノートを切り刻んだのに、他の人のノートは切り刻まないのか。井上の行動は、思想からくるものではなくただの幼稚な怨恨でしかなかったということだ。井上もこの糾弾には、たまらんとなるだろう。自分の行動の一貫性のなさについて恥じ入らせたかった。辱めたいと思った。

 ぼくはすぐに立ち上がり、勢いよく井上の方に向かっていって、井上の胸ぐらを掴んだ。その行動の一貫性のなさについて糾弾した。井上は最初のうちは飄々としていたが、ぼくの方がヒートアップするにつれて、危機を感じたようだった。井上はハサミを取り出した。ぼくを刃物で脅そうとしているようだった。ぼくは一瞬刃物に恐怖を感じたが、怒りに任せてそのハサミを力づくで奪い取った。そうすると今度は、井上の後ろにいた生徒が、井上に新しいハサミを渡した。その他の生徒も、どうやら井上を支援するべくハサミを渡そうとしているようだった。

 いつの間にか、井上の行動はクラスのみんなからの支持を得ていたようだった。井上が根回しを続けていたに違いなかった。そのことを考えると、ぼくは井上に対してさらに強い怒りが湧いてきた。こんなことになるならぼくの方が惨めではないか、と思ってしまいそうになった。クラスのみんなが井上ではなく、ぼくの方を惨めだと思っているのではないか。自分の惨めさを掻き消すように、ぼくは井上への怒りをさらに強く燃やしていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?