春の個展の振り返り。あと収支報告 【メンバーシップ】
岡山に引っ越してから初めての東京での展示を終えた。
東京に住んでいて東京で展示をするときには、最後には体を張ればなんとかなるだろうという、諦めというか逃げというか、そういう気持ちがあった。
万が一に作品を忘れてしまっても、タクシーをかっ飛ばして家まで取りにいけばいい。
必要な資材が出てきたら、ささっと買いに行けばいい。
僕は昔から細かいことを間違えずにやるということがなぜかすごく苦手なので、展示も大味にやるようなところがあったのだった。
足りないものがないなら、ないなりにそれが味になったりする。
そこにあるものを偶然的に組み合わせれば、面白くなったりする。
だから必要なものは忘れるクセに、必要じゃないガラクタみたいなものをいつもたくさん持って行くようにしていたりなんかした。
そういう僕の得意技の助長でもあり、「ちゃんとする」ことの言い訳でもあるようなことを、展示期間の前後には考えていることが多かった。
だけど今回は、そうはいかなかった。
搬入当日に荷物が到着するには、遅くともその3日前くらいには作品と資材の発送を一通り済ませておかなければならない。
事前に作品リストをつくり、送る資材を決めていき、必要最低限でありながら一番かわいさを伝えられるような古道具を什器として持っていった。
ズボラだと思っていた自分に驚くほど、準備はスムーズに進んでいった。
むしろそれを楽しみながら進めている自分がいた。
「僕はズボラなんだ」という呪いを自分にかけていたのは、自分だったのかもしれなかったという発見だった。
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展示には、たくさんの方が足を運んでくれて、本当に嬉しかった。
特に今回は、Instagramで見て下さった初めましての方が半分以上はいたことが、昨年の展示との大きな違いだった。
3か月前くらいから初めたリールの映像を、たくさんの方に見て頂けていたようだった。嬉しかったなあ。
4月は僕の誕生日でもあったため、なんだか自主開催の誕生日会のようでもあるなとふと思った。
アボリジニのとある部族では、誕生日のお祝いは毎年決まった日に機械的に行われる催しではなく、自らの内面的成長を悟ったとき自分自身で開催を決めるものになっているらしい。
そうか、個展も、そういうものなのかもしれない。
作品制作と展示の変遷も作者自身の変化と共にあり、僕はそれをそのままにおりゃっと出してみるような感覚で展示をやっているから。
誕生日は、主催者が祝われるということと同時に、関わってくれている人への感謝を当事者側から贈る会でもあるんじゃないかと思った。
今回の展示を通して、たくさんの人に僕の感じている感動や、命の祝福をおすそ分けできたような気がする。
それがとっても嬉しい。
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あかしさんの本を置けたのも、今回とても嬉しいことだった。
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