すべての具象は、美しい抽象のために。
抽象は原理で、具象は応用である、と思う。
応用をするのは、原理への理解を更新するためなのかもしれない。
すべての具象の究極は、抽象のためにある、ということ。
誰も発見したことのないような、より美しい原理を発見することに、歓びを感じる。
動くために考えているのではなく、考えるために動いているように。
目的のための過程でなく、過程のための目的であるように。
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具象への熱を携え続けることができないならば、抽象のための具象だと割り切って仕舞えば、はんたいに具象への情熱も、もりもりっと、膨らんでくる。
それは「究極的に職人である"非職人"」であり続けるという決意でもある。それは、とても、こわいことだなと思う。
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コンセプトから立ちのぼり、コンセプトに還っていくような。
外側からの刺激に反応するのではなく、深い内側から滲み出すような。
余白を埋めていくのではなく、余白をつくっていくような。
生活の詩のようであり、社会への書簡でもあるような。
そういうものづくりを、これから100年かけてやっていきたい、と思う。
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