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風待ちの港

 伊豆稲取という場所に行ってきた。人口5,000人ほどの港街で、漁業では金目鯛と、温泉の観光業で知られている。どこか素朴なところもあり、熱海や真鶴などの地域あたり独特の、太平洋の大きな波が徐々に穏やかになっていく入り江を、ぐるりと半島が囲むようにして出来ていった港街の雰囲気が、不思議と忙しない時間を忘れさせてくれて、それがとても心地よい感覚を作り出していた。

 伊豆稲取は、1年半ほど前に友人が移住し、その友人がきっかけでぼくも今回この土地を訪れることになった。その友人の名前は高浜くんと言って、つくづく自由闊達という言葉が似合う人だなぁと思っている。自由な精神と行動で周囲に開放的なエネルギーを与えていたり、そしてたまにその自由な精神と行動ゆえにシェアハウスのルームメイトに迷惑がられ、いや、慕われたりしている。

 高浜くんが東京のぼくの家に遊びに来てくれておよそ8年ぶりに会ったときから、伊豆稲取のことが気になっていた。ここに来て数日間だけの滞在ではあったのだけど、東京へ向かう海沿いを走る電車に揺られている今、ぼくを惹きつけていたのは「風待ち」という言葉だったのかもしれないなと思う。

 何か自分にとって受け入れがたい現実が起こったり、変化が必要になったとき、ぼくたちはすぐに目の前そのことを解決したくなるものだと思う。仕事のこと、人間関係のこと、恋愛のこと、家庭のこと。生きているだけで、本当に色々なことが起きる。でもそんなときに、無理矢理に行動してみたり、早急な解決策を編み出そうとしてしまい、本当に大切なことを見逃してしまう、というようなことが沢山起こっているんじゃないか、と思うようになった。自分の内面にあった悲しみや、許せなかったことなど、そういうことに自覚的になっていくことは、その個人にとってすごくすごく重要なプロセスだと思う。

 そんな受け入れがたい変化と直面したとき、人は「風を待つ」ということを必要としているのかもしれない。全ての物事は、来るべきときに目の前に訪れて、そして必要のないときにはやってこないのではないかと思う時がある。それでも何かを無理に動かそうとしてしまうと、そこから徐々に不調和のようなものが生まれてきてしまって、また同じ性質の望まない現実が人生に立ちはだかってしまう。

 何かが目の前に起こったとき、不安や恐怖をそのままに放っておいて、ただひたすらに味わってみること。そして起こっていくことの全てに意味を見出していくこと。その時が来たと思ったときには、勇気を出して身体をえいと動かしてみること。そういうことが「風を待つ」ということなのだろうと思う。

 一方でそういうことを実行するのは、今の社会ではとても難しいことだなと感じる。特に東京のような場所に住んでいると、生きているだけで膨大なお金もかかっているし、周囲の人や物もすごい勢いで流れていって更新されていく。そんな中で、目の前で起こっている変化をじっくりと見つめて、観察して、動くべきタイミングのようなものに気付くまで待ってみる、ということはとても難しい。何よりも、そんなことをしている間に、お金はどんどんとなくなっていくし、周りの人たちに置いていかれてしまうのだ。そんな恐怖に直面してへっちゃらな顔をしながら自分の感覚だけを信じて保っていくということは、誰にとっても大変なことだと思う。

 伊豆稲取は、そんな「風待ち」ができるような場所だと思った。ここには漁業という、地元の人達の営みとは切っても切り離せないような生活の風土が根を下ろしていて、町に生きる人がそれぞれに繋がって関わり合いながら生きている。伊豆稲取の海の堤防に立ち、この海の沖で金目鯛の漁をしている人たちのことを想像していると、「風と共に生きている」ということの意味がほんの少しずつだけ分かってくるような気がしてくるから不思議だ。

 伊豆稲取から車で15分ほど内陸に向かったところに、細野高原という場所がある。海が視界に広がる港町だと思っていたら、その逆を向いたすぐのところには山地が広がっていたのだった。その山の頂上付近に、ぽっかりと穴が空いたようにすすきが広がっている高原がある。

 あたり一面、すすきがその淡い金色の穂を揺らしている。すすきの穂を手にとってみると、その種子はふわふわとした羽根をつけていて、その種のひとつひとつが風にのって遠くまで飛んでいき、また新しい開拓地に根を下ろしていくんだということに気付く。そして山の尾根には、標高の高い等高線に沿って10基以上の風力発電機が立っており、山風が大きな風車をゆっくりと力強く回転させている。

 ぼくも伊豆稲取の町や、そこで漁を営み暮らす人たち、そしてすすきの穂のように、風を待てるようになりたい。風の静かなときはじっとそこに佇んで一生懸命空気を吸い込みながら生活をして、風が来たらその気流のゆくままに思い切って飛び乗ってみる。そんなふうに生活をして、自分の好きなものをつくっていけたなら、どれだけこの命を喜びながら生きていけるんだろう。


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