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気分の波との付き合い方⑥期間を固定して定期検診にいく

 久しぶりに神経・精神科に行ってきた。予約の電話をした時に、前回来たのは去年の2月と言われたので、半年ぶりくらいだった。本当は3ヶ月に1度は来ようと思っていたのだけど、調子がいいとついすっ飛ばしてしまう。そういう面では、実は鬱よりも躁の方が厄介だったりする。診察は、いつものように先生からの質問に答えたり、こちらから話したりして、簡素に終わった。リチウムを少量、再び飲み始めることにした。そして調子が上がっている時には、薬を飲みたくなくなるということも起こる。「自分は今が最高な状態。だから薬なんていらない!これが自分の自然な生き方なのだ。」という頭の中になっている。要するに、スーパーお調子者モードということだ。そうして薬を飲むのを勝手に辞めたりすることが多いというのも、双極性障害(躁鬱病)のむしろ躁状態の方が対処が難しいとされがちな1つの要素だ。

 最近、毎日文章を原稿用紙5~10枚分ほど書いている。この1ヶ月弱で100枚と少しの分量になった。300枚で本一冊目安とのことなので、3ヶ月に一冊のペースということだ。自分のことなのに、驚きながら書いている。文章を書くことは、自分にとっては治癒行為であり、自分の気持ちに自分の頭を追いつかせていってあげるような救命行為に近いと感じている。それでも相当なハイペースだなと自分でも感じていて、これは1つの躁状態の症状なのかなという疑いを持つようになる。本当はそんなこと疑いたいわけではないのだけど、不安がよぎってしまう。こんなふうに書けるのも、気分が上がっている状態だからなのかぁ、と思うとちょっと残念な気持ちになる。

 また、もう1つ、久しぶりに病院に行こうと思い立った(むしろこちらの方が効果的だった)きっかけがあった。今ぼくは東京に住んでいて、長く同居しているパートナーがいる。だが、西粟倉村で木工の仕事をするために三週間ほど岡山に滞在して帰ってきてから、彼女の生活のペースと自分の生活のペースを合わせていくことが難しくなっていることに気付いた。以前は起きる時間や寝る時間も一緒だったし、朝と夜はご飯を一緒に食べていた。だけど、岡山から帰ってきてからは、就寝時間を合わせるのも、ご飯の時間を合わせるのも苦しいと感じるようになっていた。誰かと生活のリズムを合わせることが、すごく苦手だと感じるようになっていた。以前はここまでひどくはなかったと思う。

 その悩みを彼女にも相談しながらこれからの生活をどうしていくか話している中で、彼女が、
「病院にまた行ってみるのもいいかもしれないね。」
と薦めてくれた。ぼくとしては、体調や気分も良くて制作の調子も良かったので、病院に行く必要はないと瞬発的には感じてしまった。だけど躁状態の傾向として、調子がいい時ほど「そんなの自分には必要ない。」という気分になってしまうことを知識として知っていたので「あれ、この感覚、躁状態の時よくあるって言われてるやつじゃん…?」と自分の中でもすごく腑に落ちたところがあったので、久しぶりに病院に行くことにしたのだった。

 双極性障害のうち、特に躁状態の観測を自分自身で行うのは、おそらくすごく難しい。自分では絶好調だと思い込んでしまうので、中々それに気付けない。まずは、自分の気分の波が今どんな位置にいるのか、理解できるようにする機会を沢山持てるようにしておけるといいなと思う。例えば、関わってくれている人に自分の性質について話しておいて、その時々に教えてもらえるようになっておくと、自分のことを客観的に知ることができる機会が増える。また、自分の気分に関わらず期間を固定して定期検診に行くのはとてもいいんじゃないかなと思う。(自分も出来ていないけども。)病院に行くという一連のことをするだけで、「今自分はどんな調子だろう?」と自分にきいてあげるきっかけになってくれるからだ。

 ということで、気分の調子に関わらず二週間後にまた診療に行くことにした。今は、その頃の自分が調子に乗って「今は診療なんて必要ないぜ!ひゃっほー!」と言いながら予約を放っぽりだして遊んでいないことを祈るばかりだ。

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