「移動の自由」と「時間」の購入の非交換的議論を

西浦教授が語る「新型コロナ」に強い街づくり 「移動の制御」を正面から議論すべきときだ  | コロナ戦争を読み解く - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/362956 #東洋経済オンライン  

日本の今回の新型コロナ対策で一躍有名になった西浦教授のインタビューのタイトルに「移動の制御」という文言が入った。インタビュー形式の記事の場合どうしても切り取りが起こるが、この記事の中では「個人の自由 権利の中での移動」を権力的に制御をかけることが必要だと述べておられるので感染症対策という意味で彼がそういう意見をお持ちであるということは理解する。
しかし、移動の自由の制御というのは実際にはもっと丁寧に議論をしなければならない問題だと思う。その一つは私たちが享受しているように思う「移動の自由」は例えば、モータリゼーションにより時間を購入する自由と置き換えられて議論されていることが圧倒的である。飛行機、新幹線など高速で移動できる乗り物は、実際は私たちの「移動の自由」を保障するものではなく、「時間」を購入しているにすぎない。つまり貨幣との交換によって起こる経済行為だ。
 あたかも、移動の自由の制限というとこういったモータリゼーションを使ってすぐにでも国境を越えるような移動を制限する議論と同一化するのは危険だ。その議論はデジタルによる「時間」の購入との間でたたかわされるものだと思う。例えば、東京と大阪にリニアをつくり一時間すこしで移動できるモータリゼーションを作ることなのか、デジタル環境をより開発していくのか、という議論だ。
 一方で、移動の自由というのは、昔、I・イリイチが「エネルギーと公正」で述べたような徒歩や自転車で行き来が自由にできるといった人間がモータリゼーションを使わずに移動ができることを保障するかどうかという議論である。つまり、移動の制御ということばを使ったとしても、どんな形の制御を私たちは考えるかである。西浦教授が専門とされる数理モデルのファクターにはおそらく「スピード(速度)」というファクターがあるだろう。現存のモータリゼーションによるスピードと距離の制御は感染症対策からは重要なファクターであることはわかるが、それを単なる移動の制御とはいいかえてほしくはない。ドイツのメルケル首相が2月にスピーチされたように、自由な移動は私たちの権利なのだから。

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