1990年代 その4

3月5日にオンラインで開催される「暮らしネットフォーラム7」。

少し、日本の福祉分野の狭い話をここで入れたい。

1990年代といえば、日本の社会福祉分野にしてみると大きな大きな変革期だった。
私自身は、すでに専門職教育の現場からは離れてしまっているのでわからないが、すでに、社会福祉分野でいえば、大きな歴史の転回点として語られていると思う。
それまでの貧困救済、現金給付を主とした日本の社会福祉制度が、【社会福祉基礎構造改革】と言われた大きな制度改革への準備を具体化したのが、この1990年代である。

今後の社会福祉のあり方について(意見具申)-健やかな長寿・福祉社会を実現するための提言-平成元年3月30日 福祉関係三審議会合同企画分科会

特に、高齢者福祉(ゴールドプラン)、障害者福祉(ノーマライゼーション7カ年戦略)、保育所などの児童(エンゼルプラン)という社会福祉政策分野に具体的なサービス提供を数値化した計画ができたことは日本の社会福祉政策をみれば、画期的である。もちろん、どういう視点において、画期的であるかは、検証しなければならないとしても、である。

1980年代の後半から1990年代の前半にかけて、社会保障、社会政策、社会福祉の分野でかわされていた議論の中心は、「ソーシャルサービス」の議論だったように思う。上にあげた「今後の社会福祉のあり方について(意見具申)」が、ちょうど、1985年の臨調行革路線 つまりは、「レーガン-サッチャー中曽根」と称される(この称しにもいまとなっては違和感があるが)流れをうけて、福祉国家論ーこの当時の言い方でいえば、大きな政府論ーの見直し。つまり、国から地方へ、民間市場サービスの活用という政策が中心論点になったわけである(ここら辺りは本論ではないので、ざくっといきます)。

日本は福祉国家を先頭にたっておしすすめてきたイギリスでもなく、自由主義経済を最優先の国策として、国民の労働市場への参入を強く推し進めているアメリカでもなく、現代国家のフレームワークが十分にできていない「後進国」から、経済発展を成功として、現代国家のフレームを急ピッチで作り上げているなか、その経済成長がいわゆる石油ショックなどによって、急ブレーキがかかり、低成長時代に突入せざるを得ない中、あわててフレームを作りはじめたといえるだろう。しかし、もう一つ、その流れを迂回させたのが1980年代後半から1990年代前半におこったバブル景気である。

2020年初頭のいまから、社会福祉や社会保障の歴史的な振り返りをすれば、この1980年代~1990年代にかけての高度経済成長期の終わり、から、バブル景気という「日本経済」の動きは、
・雇用制度が終身雇用制度を前提にした企業という社会組織を元にした世界でも珍しい形で動いたこと、
そのことが、バブル景気時代に、幻想のように現れた「一億総中流」ということを流布させ
・公的な社会サービスの形成よりも、社会保険制度の導入議論を強く国民の中に推し進めつつ結局は、公的な社会保障と社会保険制度をミックスしたようなものを2000年代に生み出しえる背景になったこと
・1970年代に前時代に政策的な展開をおこなった「日本列島改造論」が、国と地方の関係改善を推し進める基盤を作っていた中で、国から地方への流れを作りやすくし、そして、その優等生として、社会福祉制度がもてはやされたこと。

などがここら辺りから導き出せるように思う。そして、前段までで触れてきた世界の動きとは、あいかわらず一線を画しているようにさえみえる。

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