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ガンダムSEED映画2回目感想

今し方ガンダムSEED劇場版2回目の鑑賞を終えたので、記憶が薄れないうちにテキストに残しておく。
私は30も過ぎた毎日仕事仕事仕事仕事ゲームゲームゲーム仕事仕事仕事そんな生活を送る女だ。彼氏もいないし結婚の予定もないし、自分の生活に精一杯。ガンダムSEEDは小学生の時に親が沼って一緒に沼った。繰り返し何回もMeteorとアスカガ回とブチギレミリアリアを鑑賞させられた幼少期だった。
今でも鮮明に思い出せるほど、SEEDは名作だと思っていた。だからこそ思い出が破壊されるのが嫌で、映画はすぐ手を付けなかった。運命が自分が期待していたような作り込まれたヒューマンストーリーではなかったから、映画も期待は薄かった。(とはいえ運命もアウルやステラといった個々のキャラクターは好きできちんと履修していたのだが。)
それが、いざ劇場版が始まってしまえば歴戦の猛者達が次々昇天していく。酷評を見かけない。そんなことある?疑い半分、期待は2割、その程度で初見した。蓋を開いてしまえば、この作品にかける制作陣の熱い思いが伝わってくるとても素晴らしい内容だった。作り込み、小ネタ、キャラクター達の出番の塩梅、メカニック。どれをとっても愛がある。長い時間をかけて、推敲されたことがわかる完成度だった。中でも私に刺さった箇所を以下にまとめる。

共感、そして説得力
先で述べたように、私は仕事仕事仕事仕事でプライベートはからっきしの女だ。だからか恋愛にうつつを抜かす暇はない。かと言って恋愛をするモチベーションもない。そんな私だが、本作に出てくる女性陣には何故か共感してしまう。

ガンダムSEEDは恋愛に焦点を当てている節も多く、本作も「必要なのは愛だッッ」と言い切られてしまうほどロマンティクス映画だ。私はこの手のドラマが元来は非常に非常に地雷だし、飽き飽きする。なのにガンダムSEEDは嫌な気が湧かず、寧ろ言葉に説得力を感じてしまうのだ。
これ何故だろうか?
理由は2点、自分の中に浮かんでいる。
1点目は、物語の主軸が戦争にあるからだ。生と死、争いと平和。そういった広義で普遍的かつ倫理的なテーマを扱う作品だから、月9ドラマで語られる「愛」よりよっぽど重みがある。登場人物が声たかだかに掲げる言葉に説得力がある。他人同士が手を取り合うのはなぜか?悲しむ人がいるのなら、涙を拭う人がいる。作中で繰り返される愛という単語に、陳腐な響きがなく、深い共感を覚えさせられる。
2点目は、女性キャラクターが各々自立していることだ。恋愛脳のキャラクターが非常に多い本シリーズで、みな失恋したり恋愛がうまくいかなかったり何かしら壁にブチ当たるが、何故か皆仕事は放棄しない。強いのである。ともすれば生死と隣合わせの仕事をしていて、好きな人に振られたりすれば、今日はサボろ〜!無理無理!等のたまう女もいそうだが、皆仕事に真摯だ。全員ある程度の要職についているという背景もあるだろうが、生半可に仕事をしていたのは種時のフレイくらい(褒め言葉です) この点で私は非常に登場する女性キャラクターを頼もしく感じるし身近に感じる。寧ろ最愛の人を失くしたかもしれないと底知れぬ悲しみ、心配…に暮れて、意気消沈する描写はあったとしても、戦いが始まればとんでもない速さで切り替えて判断力を見せつける女ばかりだ。
彼女たちは恋愛をしても、仕事においてプロフェッショナルを貫き通す。あくまで恋愛はプライベートであるという考えが徹底されているように見受けられる。少しだけ意趣が異なるのはラクスだが、ラクスは「愛こそ大事なのです」とメンチ切ることが仕事なので、あれはあれで素晴らしい強さだと思う。
毎日仕事に明け暮れる私も、日々しんどいことがあってもサボってはいけない、自分はプロだという責任感と共に生きている。戦争下に生きる彼女達と程度は違っても、か弱さを捨てて強くあることが求められている。ガンダムSEEDに登場する女性たちは皆凛としていて、前を向き、悩んでも苦しんでも戦場を生き抜くたくましさがある。この自立心に魅力を感じる。

後者が長くなってしまったが、取り急ぎ生の記憶を残したかったので、なぐり書きしておく。
ただメカニックとか、音楽とか、背景とか、素晴らしい点がまだたくさん書ききれないほどあるので、また語りたくなったときに長々と連ねようと思う。

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