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「起業するの辞めたんですか?」に回答。2022年、私は社会事業家になる。

社会人4年目も終わりが近づいてきた。

「どうしてTottoさんって起業しないんですか。。?」

起業を志し、次々と入社してくる後輩から、そんな質問を受けることも多くなった。

でも、一番この質問を4年間ずっと私に何度も問いかけてきたのは、後輩たちではなく、自分自身だった。

自分の中に答えがあるようでない。

答えを決めるのが怖い。

今は答えを出したくない。

自分の気持ちがわからない。


前まではそんな、色んな感情があったけど、

最近自分の中でやっと答えが出たので、今の気持ちを言葉に置いておこうと思う。
(焦って答えをだすのだけがいいことではないと思うけど、期限を決めてそのときの決断を言葉に置いておくことは、結構大事な気がする。)

最短距離だと思った“起業”の道

私は、学生時代に見た、カンボジア農村部の貧困問題を解決し、子どもたちが生まれた環境に関係なく教育を受けられる社会にするため、

カンボジアでソーシャルビジネスを立ち上げることを決め、

社会起業家をたくさん輩出しているボーダレスジャパンに新卒で入社した。

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@カンボジア。9年前初めて日本語を教えた生徒も、今はプノンペンの大学に通う年。

それまでは、少しでも途上国の人のためになる仕事に就けるようにと、日本の大手やベンチャー企業で就活をしていたけど、

偶然座談会で出会ったボーダレスジャパンのボスに、

「助けたいと思う人がいて、そこで誰もやってないから、自分がやるしかないよね?」

の一言で、

突然自分が起業をする理由ができた。


すぐには起業する自信も力がないことも思い知っていたので、

入社後は“修行”という形で、既存事業部で起業のノウハウや事業家としての心構えを学ぶことにした。

そこで選んだのが、“児童労働をなくす”ことをミッションに掲げる、Sunday Morning Factoryだった。

“起業”が目的になっていたとき。私の本当の志とは。。?

もう4年目。

Sunday Morning Factoryでは、

1年目は営業やECマーケティング・バングラデシュの品質管理を担当させてもらい、バングラデシュと日本を行ったり来たりする日々を過ごした。

2年目は、国内営業担当として全国をまわり、初めてチームを持ったり、お取引先を0から増やしていく経験をさせてもらい、お取り扱い店舗も100店舗を超えた。

3年目は、海外営業を担当。0からの拠点開発で、台湾への市場開拓・越境ECでの販売。結果が出ず、ほろ苦い思い出だけど、自分で決断し、スピードを持って事業を進めていく経験をさせてもらい、自分にもたくさん向き合った。社長の一言なしには何も決められない自分にも気づいて、必死でプレイヤーを卒業しようと判断と決断の数を増やした。

そんなやりがいしかない環境の中で4年目を迎え、上半期は人生で初めてプロダクトの開発をし、おひさま肌着が誕生。そして7月からは世界一大きいマーケット“中国進出”をスタートさせた。

起業家になるための修業としては、十分すぎるくらいの経験をさせてもらっている。

起業家になるために、修行の場としてこの場所にいるのであれば、

私はもうとっくに一歩踏み出すべきでは。

そんな今、私は最近“起業”を目指すことが、

本当に自分の志を実現する最短距離なのか、一旦立ち止まって考えることにした。

自分が100%の力を発揮できる場所が、私の志を実現するための最短距離。

この4年間。

「世界中の子どもたちが教育を受け、自分の可能性にチャレンジできる社会を創る。」

入社時に持っていた志は、全く変わらなかった。

“カンボジア”という制約条件は自分の中では一番大切ではないことに気づいたことはあったけど、

志が心からずっと消えなかったのは、ボーダレスジャパンやSunday Morning Factoryという環境のおかげだと思う。意志の弱い私にとって、「私もこんな風になりたいなぁ」と思える人に囲まれてる働ける環境はありがたかった。

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志の実現の仕方は人それぞれ。それを教えてくれたのも、同期の背中だった気がする。

私の中で少し変化があったのは、そのための方法。

私の志を実現する=起業 ではなく、

私の志を実現する=自分が100%の力を発揮できる場所 が最短距離。

今の私でいうと、社会起業家を目指すのではなく、

“社会事業家”というポジションが自分の中での最短距離だということ。

起業家という訳でないけど、起業家に近い役割で事業を創り、ソーシャルインパクトを増やしていく。

というのが、2022年1月3日の私が出した答え。


正直、一度決めた目標である“起業”を4年も経ってできなかった自分がすごく情けないけど、

最近、そんな自分にもやっと納得がいくようになった。

それくらい、この会社で過ごしてきて、私が100%で過ごさなかった日がないからかもしれない。

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進学支援をしていたカンボジアのみんなが次々と日本へ。夢を叶えたみんなの報告は何よりも嬉しい。

社会人5年目を迎える2022年。

まずはしっかり、中国進出で結果を残すこと。

(中国のマーケットでマーケティング力を磨くこと。)

そして、今年は私がずっとカンボジアにいたときから課題にしていた

「経済的な理由で、勉強したくても働かなければいけない子どもたち」が、

「学びながら、働ける場所」の事業づくりをスタートさせる1年にする。

この事業モデルをバングラデシュで創って、カンボジアにも、

働かなければいけない状況にいる子どもたちがいる場所に広げることが、

社会事業家として進む私の今の目標。

#待ってろバングラデシュ






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