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星の処女王

かの君は地上に手は処女王
天井にては乙女座に在す
(エリザベス女王への讃歌)

乙女座はギリシャの正義の処女神アストレアの星座とされている。アストレアは大神ゼウスと月の女神テミスの間に生まれた処女神で、ヘシオドスの四つの周期のうち、黄金時代、白銀時代、青銅時代を通じて地上の世界を治めていたが、悪魔が鎖を解き放たれる末世の黒金時代に入ると、ついに人間の堕落に耐えかね地上を去って天界に戻り、黄道の第六番目の星座と化した。

乙女座のサインの乙女は現代では文字通り処女と解されている。だが太古の母権時代には、乙女とは単に結婚しない自由な女性の総称であって、必ずしも肉体的な処女を指す言 葉ではなかった。たとえば小アジアの港町エフェソスのダイアナの神殿では、天上の声を聞くため男性は巫女と交わったという。これが神殿売春の由来とされる。また、四世紀の グノーシス派の文書では処女マリアは次のように歌われている。

なぜなら私は始めであり終りだ
私は名誉を受け、また蔑まれる
私は娼婦であり聖女である

私は妻にして未通の乙女
私は母にして娘なのだ......

母権時代が終り、男性中心の時代に入ると肉体的な処女性が神聖視され商品価値をもつようになる。 処女が純潔の証しとなる。キリスト教が処女マリアの懐胎の奇跡を強調するのもキリスト教が父権時代の価値観を代表する男性中心の宗教だからだ。

乙女座の一筋縄ではいかぬ複雑な性格を表す典型的な人物は、処女王とよばれたエリザベス一世である。 彼女は一五三三年九月七日午後三時 ヘンリー八世とアン・ブリンの間に 生まれ、一五五八年から一六〇三年まで在位し、強国スペインを破って今日のイギリスの繁栄の基礎を築いた。

女王は生涯独身を通したので、当時の文人たちから星の処女神アストレアになぞらえられたのである。だが、彼女は私生活では数多くの恋愛事件を引き起し、秘かに子供をもうけたとすら噂されている。

女王は占星術を深く信じていた。 戴冠式やスペインとの海戦の日取りもホロスコープで占われた。占星術が国運を左右する時代であった。



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