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泉御櫛怪奇譚 第十六話

第十六話『巡る聖夜 梳き通る想い』
原案:解通易堂
著:紫煙

――時間とは不思議なもので、本来、人の概念として平等に与えられている物ではございますが、1日がどうにも短く感じる方と、果て長く感じる方と千差万別でございます。
しかし、その中で【全く同じ日を繰り返す」といった経験をされた方は、いらっしゃいますでしょうか?
これは、そんな奇跡の様な現象に巻き込まれた、不遇な女性の物語です――


 ネオンライトが輝くデートスポット。専門学校に入学した時から気になっていた、同級生の慎二と歩きながら、恵麻は緊張して震える手を固く握りしめた。
(今日こそ、今度こそ……)
 クリスマスツリーの煌めきで反射する恵麻の頬が赤い。意を決して立ち止まった彼女に気付いた慎二が、三歩先から振り返った。
「桜木……?」
 振り返った慎二と目が合って、恵麻の胸がきゅんと高鳴る。恵麻は両手を握りしめると、深く、ゆっくりと息を吸った。
「本田君、私ね……」
 真っ直ぐに彼を見つめながら、恵麻は乾いた口を懸命に動かして、長年伝えたかった想いを言葉にする。
「私、本田君のことが……好きなの!」


 午前7時。目覚ましのアラームを無理矢理消した恵麻は、気怠そうに起き上がりながらスマホの画面を見た。
「ああ、ああぁ……」
 ホーム画面の日付と時間を確認して、恵麻の目から涙が零れる。起きがけの、背中まで伸びた髪を搔き毟りながら、掠れた声が零れた。
「また……また『今日』が始まっちゃった……」
 テレビを点けると、どのチャンネルもクリスマスイブのイベントで埋め尽くされている。
『今日は全国的に晴れ間が続き、絶好のお出かけ日和となるでしょう……』
「今日は全国的に晴れ間が続き、絶好のお出かけ日和となるでしょう……ああ、やっぱり一緒だ。昨日も、一昨日も、その前も同じニュースだった……ああぁ」
 恵麻は今日、なんと24回目のクリスマスイブを迎えている。産まれて21年。こんな経験はおろか、怪奇現象の片鱗にすら触れたことが無かった恵麻にとって、こんなに絶望的なクリスマスイブは他にない。
(この後、いつもの時間の電車が遅延して、学校に遅刻したのが3回、早めに仕度して学校へ行って……教室で本田君がゲーセンの話をしてくれて、一緒に行こうってなったのが16回)
 しゃくり上げながら繰り返された『今日』を思い返す。本当は考えたくもないが、記憶を整理でもしないと、恵麻の精神が保たなかった。
(その中で、私から告白したのが10回……何も考えたくなくなって、電車に飛び込んだのと、ビルから飛び降りたのと、この部屋で首を吊ったのが1回ずつ……『昨日』の今日は、学校に行かないで家でボーっとしてたのに……)
「……また、今日が始まっちゃった……」
 彼女の心は既に正気を保つ程の余裕が無く、永遠と流れ続けているテレビのクリスマスソングが既にゲシュタルト崩壊して聴こえている。
「24回目の今日は……どうやったら終わるんだろう……?」
 流れる涙を拭いながら独り言を呟くと、突然スマホから着信がきた。驚いて画面を見ると、慎二からグループチャットアプリの方に連絡が入っている。
『電車遅延! デバックの作業遅れる』
 直後に『ごめん』のスタンプが送られてきて、恵麻は過去の今日の事を思い出す。
(えーっと、確かこれは……私が反応しないとゲーセンに誘うのが私の方からになって、反応すれば本田君から誘ってくれる分岐のヤツだ)
 グループチャットのメンバーがそれぞれ反応する中で、恵麻もコメントを送ろうか悩む。すると、慎二の方から恵麻宛てにメッセージが着た。
『桜木、もし先に出来そうだったら修正優先でお願いしても良いか?』
(あ……グルチャに個人宛のメッセージ送られちゃった……こんなの初めてだけど……皆も見てるし、返事しなきゃ)
 既読を付けてしまった手前、無視をするわけにもいかない。恵麻は『了解』のスタンプを押すと、気が乗らない体を無理矢理起こして24回目の仕度を始めた。


 恵麻が最初の24日に乗った電車は、一本前の電車の事故が原因で遅延した。
(だから、2回目からは早めの電車に乗って……でも、同じ車両でスーツの男の人が喧嘩を始めたから、3回目からは車両を変えようとして、違う車両に慣れなくて……10両全部に乗って、ここが一番居心地が良いから、11回目からここに乗ってるけど……)
 出勤、通学ラッシュの為、椅子には座れず手すりに掴まりながら辺りを見渡す。何回目かの今日は電車の中でスマホを見ていたが、暗記出来る程同じ記事を読み漁ってしまった為、いつしか、唯一普通と変わらない電車の外の景色を眺めることにした。
 過ぎ去る景色は毎日同じはずなのに、今まで気にしていなかった人、服装、漏れ聞こえる会話までもが同じだと、乗り物酔いに合った様な違和感を覚える。
「うっ……」
 気持ち悪くなった恵麻は、出口付近に向かおうと鮨詰めになった電車をフラフラと移動する。突然背中を押されてバランスを崩した彼女を支えたのは、この車両で一回も見た事のない美麗な青年だった。恵麻が青年だと直感的に思ったのはあくまで服装が燕尾の黒スーツだっただけであり、その容姿は中性的な美青年で、腰まではありそうな長い髪を緩くひとまとめに結っている。
「あ……はっ‼」
 思わず見惚れてしまった恵麻だったが、直ぐに我に返って自力でバランスを立て直すと、青年に向かって頭を下げた。
「あ、すみません……」
「いえ……お加減、如何致しました?」
 青年は自然な所作で恵麻を出口近くの優先席まで移動させると、座っていたスーツの男性に声をかけて座らせる。今までの今日と全く違う展開に、恵麻の気持ち悪さはどこかえ消えてしまった。
(え、でも……こんなに目立つ人なら、最初にこの車両に乗った時に気付く筈だし、絶対に覚えている筈なのに……なんで、今日まで分からなかったんだろう?)
 黙り込んでしまった恵麻に、青年は目の前で立ちながら顔色を伺う。
「大丈夫、ですか? 次の駅で、降りられますか……?」
「え? あ、あのっもう大丈夫です」
 恵麻が顔を上げて慌てて両手を振ると、青年は安心したように微笑み返してくれた。この細やかな気遣いが、恵麻の精神を安定させる。
(嬉しい。本田君のメッセ以外でいつもと違う今日に出会えた……)
 恵麻は泣きそうな笑顔で青年に会釈すると、うっかり口を滑らせてしまった。
「次の駅で降りたら、遅延で学校に遅れちゃうので……」
「次の、駅……?」
(いけない! 変な風に思われる)
 今まで何回も、何人もの人にタイムリープについて相談したが、誰一人信じてくれなかった。恵麻は咄嗟に青年から視線を逸らすと、早口で訂正した。
「いえ、あの……と、友達から遅延で学校遅れるって連絡があって、もしかしたらこの電車も遅延するかもって思って」
「それは、それは……ご教示くださって、ありがとう……ございます」
 青年は恵麻の不自然な言い訳を特に気にしている様子も無く、丁寧にお辞儀をしてきた。
 話は終わったと思っていた恵麻だったが、何故か真正面に佇む青年の視線が離れてくれず、無言にさえ耐え切れなくなり、つい自分から会話を振ってしまった。
「あの……私、何か変ですか?」
「いえ……? ああ、余りにも……綺麗な髪を、していらっしゃるのですが……今朝は、お忙しかった……の、でしょうか?」
「はい?」
「失礼……こちら側に、髪が絡まって……おりますのが、気になりまして……」
 青年は自らを鏡のように見立てて、恵麻の毛玉を指摘する。今朝、寝起きで搔き毟った後、適当にブラシで梳かしただけのサイドテールは、改めて手櫛で毛先を梳かしてみると直ぐに突っ張る様な毛玉があった。
(私の髪、ただでさえ癖っ毛で毛玉とか分かりずらいのに……この人、なんで見ただけで気付いたの?)
 困惑する恵麻に、青年はようやく彼女の違和感を察したのか、申し訳なさそうに眼鏡をかけ直して謝罪してきた。
「申し訳、ございません。名前も、名乗らずに……私は、解通易堂の……泉と言う者です」
 泉と名乗った青年は、電車の中にも拘わらず恵麻に名刺と一本の櫛を渡してきた。
(いや、そうじゃなくて、見られてたことが気になっただけなんだけど……まあ、良いか)
「あ、ご丁寧にどうも……私は、桜木 恵麻です。専門学生なので、名刺は無いんですけど……」
 まだ疑問は残っていたが、櫛屋だから髪を気にしていたのかと納得することで恵麻の泉に対する違和感が一つ消えた。
(くしのみせ、ととやすどう、いずみ……これしか書いてないけど、名刺って言えるのかな?)
「あの、泉さんはどこの駅で降りるんですか?」
「店の最寄りなので、次の駅ですね」
「じゃあ、私の一つ前の駅なんですね……」
(こんなに目立つ人なのに、本当に、なんで今日まで分からなかったんだろう……『今日』は、何かが違う)
 名刺を見ながら考え込む恵麻の耳に、次の駅へ到着するアナウンスが聞こえる。その直後に隣の車両から赤ちゃんの泣き声がして、高そうなスーツを着た女性が避けるように反対車両の出口へ向かう。もう見なくても分かる車両内の様子に、今日だけ現れた泉はそっと恵麻に顔を近付けて囁いた。
「もし、髪や櫛のことが気になりましたら、この駅で降りてください」
「……え? あ、いや……」
 恵麻が慌てて顔を上げると、泉の姿は既になく、何度も見た光景が広がっていた。電車の窓から外を見ても、あの目立つ服装の青年は何処にも居ない。
(髪について気にしていた訳じゃなかったんだけどな……それにしても、なんで今日だけこんなにおかしいんだろう?)
 恵麻は閉まる扉に向かって首を傾げると、再び訪れる同じ光景を眺めて、初めてホッと胸を撫でおろした。


 24回目の12月24日が過ぎていく。卒業制作でアプリゲームを開発している恵麻達の班は、彼女が遅刻をしなかったことにより、年末までになんとか形にする目途が立って来た。
(ふぅ、最高率で出来た。今までの今日の中で一番進捗良いかも)
 パソコンの画面を見ながら一息ついている恵麻に、慎二が声をかけてきた。
「ここまで出来たのは桜木のおかげだな! フォロー助かった、ありがとな!」
 慎二とは、専門学校で出会った同級生だ。明るく話しかけてくれた彼とは、地元が一緒と言う共通点も重なり、直ぐに仲良くなった。
(誰にでも話しかけて、リーダーシップもあって、明るいスポーツ男子っぽいんだけど、実は生粋のゲーマーってギャップが好きで……最初の今日も、このバグが全部修正出来たら、遊びに誘って告白しようって思ったんだっけ)
 まるで一ヵ月前の事を思い出しているみたいだと感慨に浸っていると、返事が無い事を不思議に思った慎二が顔を近付けてきた。
「どうした? なんか具合悪い?」
「あ、ううん! ちょっと疲れただけで……でも、これくらいのバグ修正なら問題ないよ」
 そう言って笑った恵麻に、慎二は変わりなくゲームセンターへ気晴らしに行かないかと提案してくる。
「今日のフォローのお礼にさ、ラウンドニャン に行かね? この前好きなゲームのグッズ出たからさ、俺がクレーンゲームするついでっちゃあれだけど、なんか景品取ってやるよ」
「本当!? 取れるまで終わらせないかもよ」
 意地悪く聞き直す恵麻に向かって、慎二は得意げに鼻を鳴らす。
「全然良いよ。俺クレーンも得意だし。じゃあ、学校終わったら校門前集合な」
「おっけー」
(最初の頃はデートだのなんだのって浮かれてたけど、何回やっても、別の難しそうなグッズ選んでも、本田君は必ず500円で取っちゃうから、今じゃなんの遠慮もなく言えちゃうようになったなぁ)
 達観にも似た心境の変化にしみじみしながらも、残りの作業を終わらせ、次こそは来るかもしれない明日のスケジュールと目標を確認して教室を出た。
(でも、実質四日ぶり、だっけ……泣いて絶望して、人生三回もリセットしたから、今回は少し楽しみかも……それとも今朝、初めて違う今日を体験したからかな?)
 足取りが軽い事に気付いて、久し振りに考える余裕が生まれる。
(そう言えば、今朝の人……泉さん、だっけ? せっかくだからゲーセン早く切り上げて、櫛の店に行ってみようかな?)
 そう考えながら慎二と合流した恵麻は、ゲームセンターへ向かいながらとりとめのない話をして、今回も同じファーストフード店で外食をする。慎二だけは、恵麻が毎回話題を変えても自然と会話を合わせてきてくれるから、それも彼女の救いだった。


 ゲームセンターへ行って一通り巡って楽しんだ恵麻と慎二は、今日を繰り返すのであれば、この後駅前の大きなクリスマスツリーの下で恵麻が慎二に告白するか、しないまま別れるかの二択が迫っている。
(そう言えば、告白した後の事って覚えてないな……あれ? 好きって言って、クリスマスツリーのネオンライトの反射で、本田君の表情が見えなくなって……あれ?)
 何故か夢を見た後のようにぼんやりしている記憶に混乱しながら、前を歩く慎二の背中を眺める。友達の様に振る舞ってはいるが、改めて見るとやはり思慕の念が募っている事を自覚する。
「ん、どうした桜木?」
 振り返ってきた慎二の笑顔を見て、胸がきゅんとするのを感じる。
「……桜木?」
 聞き返す慎二に、恵麻は一瞬告白しようと口を開いたが、グッと飲み込んで首を振ると冷静に考え直した。
(落ち着け、今日はいつもの今日と違うんだ。せめて違う事を言おう。明日の為に、未来を変えてみよう!)
「本田君、私……私、行きたい所があって」
「え、今から?」
「そう、下り線で一駅の場所なんだけど……」
 そう言って解通易堂の名刺を見せると、慎二の表情が一瞬だけ固まった。しかし、恵麻が気付く前に本来の表情に戻ると、訝し気に首を傾げた。
「え……と、これ名刺?」
「そうだと思う……名刺貰ったことないから、本物かどうかは分からないけど……」
 恵麻も不思議だとは思いつつ、なんとか説得して慎二と下りの電車へ乗り込む。
「なあ桜木、櫛の店ってことは、もう閉店しているんじゃないか?」
「確かに……クリスマスだとしても、専門店って閉まるの早いイメージ」
(でも、なんでかは分からないけど、今日行かなくちゃいけない気がする)
 根拠のない確信が、恵麻を駆り立てる。
「でも、行くだけ行ってみよう。泉さんは、この駅で降りてくださいって言ってたから、もしかしたら駅中のビルに店舗があるのかも知れないし」
 珍しく乗り気じゃない慎二を説得しながら次の駅の改札口を出ると、改札の目の前に猫が座っていた。不自然な場所で、人々から写真を撮られている事も構わずに恵麻達を待っていたその猫は、右前足だけ白い毛の黒猫だ。
「ナァ~ン」
 黒猫は恵麻達を見るや、一鳴きして立ち上がる。どうやら、恵麻達の案内をする気らしい。
 左右に揺れる尻尾を見ながらゆらりゆらりと辿り着いたのは、路地裏に佇む一件の店。もう帰りの電車の本数も少ないのに『解通易堂』と書かれた看板のその店は今も明かりが点いている。
「なあ、桜木……こんな深夜までやってる櫛屋なんて、あるのか?」
「えっと……うーん……」
 疑う慎二を、恵麻も説得することが出来ない。
(そうだよね……冷静に考えても、こんな深夜までやってるお店って、ゲーセンか居酒屋さんくらいだもん。私もあのお店に入る勇気無くなってきた)
 慎二にどう話をつけようか迷ったその時、店の扉が開いて、泉が顔を出した。今朝と同じ格好をしているが、眼鏡を外して、黒いシルクハットにペストマスクを付けている。マスクはまるで空気中を漂う『何か』から避けているようにも見えるし、逆にこれから『何か』と戦おうとしている様にも見える。
「あ、こっこんばんは!」
 反射的に挨拶をした恵麻に対してにこやかに会釈をした泉は、マスクを外すと笑顔のままするりと視線を移動させ、慎二の方を見た。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました……貴女なら、きっと『此の御方』を……呼んでくださると、思いましたので」
「え? 本田君、知り合い?」
 意外だと思って慎二の方に顔を向けた恵麻は、そのまま背筋が凍る程驚いた。彼の形相が、まるで獣か化け物の様に歪んでいるのだ。
「【またお前か。どうして、我が分かった?】」
 慎二の口から、慎二とは別の誰かの声が聞こえる。咄嗟に逃げようとした恵麻の腕を掴んだ慎二は、泉を睨みつけながら叫んだ。
「ちょっ!? 痛い、離して……嫌!」
【答えろ。さもなくば恵麻だけでなく、この男諸共我が物にする】
「なに、言ってるの……?」
 問いかけながらも、慎二の変わり様に既視感を覚え、必死で記憶を探っていく。
(違う……私、この本田君を知ってる! 一番始めの今日、駅前で本田君に後ろから声を掛けられて……)


 最初の12月24日、恵麻は電車の遅延で学校へ遅れて行った。卒業制作の進捗もままならなくて、肩を落として帰ろうとしたその時、同級生の慎二が声をかけてきたのだ。
「桜木、お前……を忘れてるぞ」
「ん、本田君? なに、聞き取れなかっ……」
 振り返った恵麻の両肩を鷲掴みにして、慎二の顔は徐々に歪んでいく。
「【今日は約束の日だろう? 我と共に生きると言った、約束を忘れているぞ?】」
「え⁉ なに、突然……止めて、離して‼」
 抵抗する恵麻だが、慎二の腕は鉄骨の様に硬く、引き剥がすことが出来ない恐怖が全身を駆け巡る。
「【十一年前、お前は我に人の世の食い物を与え、成人を迎えたら我と共に居ると約束した。だから我は待った。この日までずっと、ずっと待ったのだ】」
「いや、止めて……そんな約束知らない‼ 貴方は誰? 手を離して‼」
 必死で抵抗したあの日、一度だけ見せた慎二の獣の様な形相を、何故、恵麻は24回目の今日まで思い出さなかったのか。答えは明白だ。その直前までの記憶しか残っておらず、彼女は無自覚のまま、ある過ちを繰り返していたのだ。


 恵麻は唖然としながら、歪んだ表情の慎二を見つめた。彼の顔は既に本来の好青年のそれではなく、光の加減や額に浮き出る血管が、大柄で鼻の下に髭を生やした大男の様な雰囲気を纏わせている。
「もしかして……私が本田君に告白し続けていたことが、このループの原因だったの?」
 答えは返ってこない。恵麻は既に蚊帳の外へ追いやられており、話の主軸は既に対峙している慎二と泉の二人、否、正確には慎二に憑りついている『何か』も含めて三人に絞られている。
 無視をされても、恵麻は何も感じなかった。朧気に慎二のコートの上から、彼に憑りついた何かが見えた気がして、脳が情報過多を起こしているのだ。彼女にはもう、事の顛末を見守ることしか出来ない。
【答えろ人間。何故我に気付いた。何故、今更我に干渉する。貴様も恵麻が欲しいのか】
「いえ、私は……ただ、とあるお客様から……貴方様のお話を、お伺いしただけです。恵麻様は、関係ありません」
【嘘だ。貴様も恵麻が欲しいのだ。だが、それは叶わぬ。恵麻は何度も我に想いを打ち明けてくれた。故に、故郷へ連れて行くのだ】
「それは、出来ません……貴方様が、一番良くご存じの筈です。ヒジリノカミ……いえ、今は妖怪へと堕ちてしまった、マガツコヨミノカミ」
 泉は落ち着いた声でそう言いながら恵麻達の方へ近づくと、ゆっくりと慎二の手を掴んであっさりと恵麻を解放した。必死にもがいても離れなかった慎二の手が一瞬で解けたため、拍子で恵麻が尻もちをついてしまう。
「ひ、ひいぃ……!」
 恵麻はそのまま逃げようとしたが、腰が抜けて僅かに後ずさる事しか出来ない。
「ほ、本田君? 本田君が、私を何度も今日を繰り返させたって言うの?」
「いえ、慎二様は……恵麻様と同じく、マガツコヨミノカミの……被害者です。12月25日……明日の話をするのは、些か躊躇うのですが……彼に憑りついた、このマガツコヨミノカミが……恵麻様を、現世から攫って行ったと……巡り巡って、慎二様が、解通易堂へ……伝えに、いらっしゃったのです」
 泉は続けて、25日が来る度に慎二の体に残っていた妖怪の残穢を櫛で梳いて一日だけ恵麻と同じ様に時を繰り返し、少しずつ妖怪の力を梳き取っていたと言うのだ。
 数回目の24日、慎二と泉が恵麻に直接事態の説明をしようと接触したら、妖怪が直ぐに気付いて恵麻を攫ってしまった。妖怪に気付かれない様に動くのはとても大変で、慎二が少しでも妖怪の意思に関係ない行動をしたら事態が悪化する可能性が十分にあり得た。その為、今回の今日、妖怪が弱体化したと確信するまで、恵麻に直接、接触が出来なかったらしい。
【我は知らぬ。我は貴様を、恵麻と会う前から知っている】
 断言する妖怪に、泉はしたり顔で微笑んで慎二を掴んだ手に力を込める。
「ああ……貴方様は、その様に……私を認識、しているのですね……」
【我は嘘を吐かない。何故、貴様がここにいる。何故また我の邪魔をする】
「いいえ、貴方様と私は……今日、初対面です。正式には、何度目かの今日に出会った私……と、ですが……それは、私の力不足……です。マガツコヨミノカミの、時間操作を、気取られない様に……することだけに、注力していた為……記憶までは、完全に消すことは……出来ませんでした」
【おのれ……人間の分際で、我を誑かしたと言うのか】
 更に顔を歪めた慎二を無視して、泉は恵麻に申し訳なさそうに眉をひそめた。
「そして……まさか、恵麻様まで……同じ時を、繰り返しているとは……私も、予想外でした。申し訳ありません。三度、恵麻様の訃報をお聞きした時は、私も、慎二様も驚きました」
「あ、ああぁ……」
 自分の他にも苦しんでいる人が居た。共感し、戦ってくれる人が居た。それが分かっただけで、恵麻の涙腺は崩壊した。
(良かった……私の24日には、ちゃんと原因があったんだ……私を助けようとしてくれた人が、ちゃんと居たんだ‼)
 ホッと泣き続ける恵麻の横で、泉の手を振りほどこうとする慎二が喚きたてる。
【人間、我の問いに答えろ。我は約束を果たしただけだ。神は約束を忘れない、違えない……それの何が悪い】
「いいえ……貴方は、神の名を……残しているだけで、もう神では……なくなって、しまった……」
 泉は抵抗する慎二の腕を軽々と持ち上げ、証の様に突きつける。
「神であれば、この手を簡単に振りほどき……私自身を、神隠しにすることも……簡単でしょう」
【ぐ、ぬ……】
「24回、私が慎二様の……髪を梳き、貴方様の力を……櫛に溜め込んだのです。神であったら、この程度の……数字で、力が落ちる……筈がありません」
【我は望まぬ。我は恵麻を供物に、再びヒジリノカミになるのだ】
「今のままでは、貴方様はマガツコヨミノカミとして……恵麻様を吸収し、虚ろな世界を……彷徨うことに、なります。ですが、今日であれば……まだ神として、この現世に留まれる……可能性があるのです」
 泉は落ちていた恵麻の鞄から、今朝渡した櫛を取り出す。そこには慎二の体に憑りついていた本体だと思われる妖怪の姿が浮き上がっていた。先程、恵麻が見ていた大柄な男性によく似ているが、櫛に写っている男には牙があり、片手には巻物、もう片手には稲穂と、一層妖怪に近い装いをしている。
「マガツコヨミノカミ。時を司り、豊穣を齎す神の成れ果て……しかし、貴方様はまだ……この櫛に宿ることで、八百万の付喪神として、恵麻様と共に現世を生きられるのです」
【黙れ、何故私が人間の世に残らねばならぬ】
「貴方様が、望んでおられるのは……神々の世に、行くことではない……そうですよね?」
【なん、だと……!?】
 泉の説得に、慎二が初めて動揺した。恵麻の目に映る大柄な男が徐々に若返り、みすぼらしい恰好の幼児に変貌する。その姿に見覚えがあった恵麻は、無意識のうちに名前を漏らしていた。
「……ひじり、くん……?」
 恵麻の声にびくりと体を振るわせた幼児は、怯えた表情で恵麻の方を振り返る。
【えま……いっしょにいてくれるって、いった……えまといっしょにいたいから、あいにきたんだ】
 幻影の幼児が涙を溢す。それと同時に、慎二の目がからも涙が流れていた。
【えまぁ……われは、われはえまといっしょなら、それでよかったのだ……だから……だからえまの『くもつ』をしょくした……】
 慎二の体は抵抗を止め、ようやく泉の前にひざまずく様に体を委ねた。幼児の姿は瞬く間に変わり、再び大男の姿が現れる。
「ようやく、慎二様の願いを……叶えられます。貴方様と、恵麻様が望まれる……この世界線を、この一梳きで……人である私が、貴方様に侵した……所業の数々、どうか……どうか、お許しくださいませ」
【人? 人だと!? 笑わせる。我からしてみれば、お前の方が余程ようか……】
 慎二が最後まで言わない内に、泉は櫛で慎二の髪を梳き、呪いの様な言葉を彼に囁いた。刹那、彼の体が、がくりと傾き、しなだれる様に倒れる。
「終わったんですか……?」
 震える声で問いかける恵麻に、泉はゆっくりと近づいて絡まったままの彼女の髪を撫でた。
「はい。先ずは、店の中に入りましょう。ここでは風邪を引いてしまいます」
 泉はそう言うと、恵麻をゆっくりと立たせて店の中へ案内し、倒れた慎二を店の中にいた大柄な男性に運ばせた。恵麻がふと空を見上げると、天気予報にはなかった雪が降り始めていた。


 店の中は確かに櫛の専門店だった。風変りな異国の装飾品や骨董品が目立つが、帳場の奥に案内されると、至って普通のダイニングが広がっていた。
(台所と、電子レンジと……この机だけ、お客様用っぽいお店のテーブルクロスがある……)
 随分久し振りに見る初めての景色に感動していると、店員さんだと思われる大柄な男性が、慎二を別の部屋に担いで行ってしまった。
「あ、あの……」
 止めようとした恵麻の手を優しく制した泉は、そのまま彼女の手を取ってお客様用の席に誘う。
「慎二様は、大丈夫です……和寿も、何度目かの今日で……面識が、ございますので……」
「え、あ……そうですか」
 泉は小さな台所でお茶を淹れると、恵麻と向かい側の自分の席に湯飲みを置いた。
 恵麻が一口お茶を飲むと、温かい液体が体の中を通って行くのが分かる。余程体が冷え切っていたのだと自覚した時には、頭から足先まで震えが止まらなくなっていた。
「あ、あれ……私……」
「大丈夫です、震えは……時期に、止みます……お茶をゆっくり、飲みながら……私の話を、聞いてください」
 泉の話を聞きながら、恵麻は櫛に宿る前の、幼児の幻影を思い出していた。あの時はまだ確信が持てなかったが、容姿や泣き顔を思い出すと同時に自分がまだ小学校へ上がる前の記憶まで蘇る。
 転勤族だった父と共に各地を転々としていた恵麻には、当時友達と呼べる存在が居なかった。
 当時も地元を離れ、県外へ引っ越すことになった前日、名前の知らない神社の前で、一人のみすぼらしい男の子に出会った。みすぼらしいと形容するのは些か語弊があるが、当時の恵麻にはそう見えたのだ。
 恵麻は男の子に声をかけ、一日中遊んだ。服装はともかく見目麗しい男の子は、自らの事を『ひじり』と名乗った。当時おませだった幼い恵麻は、ひじりに初恋をして、持っていた飴を渡した。
「わたし、明日になったらここから居なくなっちゃうけど、大人になったらずっと一緒に居ようね」
 当時、告白の意味を知らなかった恵麻と、告白の本当の意味しか分からなかったヒジリノカミの、おままごとの様な儀式は、そこから始まっていたのだ。
「あのひじり君が、実は本物の神様で、だから私達と違う服を着て、誰とも遊ばずにあの神社にいたんだ……」
「ええ、神とは……本来供物と引き換えに、人の願いを……聞いていました。聞くと言っても、本当に……ただ耳を貸すだけ。叶えるか、叶えないかは……神様次第なのです。当時の、ヒジリノカミは……きっと、恵麻様が……自身を供物に、するという……約束をしたと、解釈したのでしょう。だから、わざわざ同じ土地に……住んでいた、慎二様を利用してまで……貴方を手に入れよう、とした。その欲が、神を妖怪たらしめる……切っ掛けだったのです」
 泉は続けて、神と妖怪は紙一重だとも言った。結局は人間が勝手に区別しているだけで、彼らに境界は無いのかも知れない、と。
「……詳しいんですね」
 泉の話を聞きながら、恵麻は漠然と思った事を口にしていた。もう震えは止まっている。机に置かれた櫛に恐怖も感じなくなって、不思議と冷静な自分自身に驚いた。泉は静かに微笑むと、櫛をゆっくりと恵麻の方に差し出した。
「ここは、人以外のお客様も……いらっしゃる、櫛の店です。恵麻様の様な、事例は極稀……ですが、前例がない訳では……ございません。改めて、この度は……意図せず巻き込む様な、形に追い込んでしまい……誠に、申し訳……ございませんでした」
 深く頭を下げる泉に、恵麻も慌てて頭を下げて感謝する。
「いえ、いえいえ! 巻き込んだのは私の方です。私と、本田君と、その……ひじり君を助けてくださって、ありがとうございました」
 恵麻が手に取った櫛には、先程よりもよりはっきりと焦がしつけられた妖怪の、否、付喪神『聖神』の姿が見て取れる。刹那に見えた牙は消え、美丈夫の片手には暦の巻物を、もう片手には稲を抱いている。最初は恐怖の対象であったが、事の発端が過去の自分にあったと自覚すると、不思議と櫛を受け入れられた。
 泉は「感謝は私ではなく、慎二様へ」と首を振ってから、櫛に宿る神について教えてくれた。
「ヒジリノカミとは、古事記に記された……暦の神様だと、伝えられています。オオトシノカミと、ハヤアキツヒメの間に産まれた一柱で……日を知る神として『日知りの神』時を知る、暦を知る……つまり……季節を、把握し……豊穣を予見する神様、として……崇められて、おりました……」
 しかし、古事記は一時期、人の記憶から消されていた。時代を経るごとに人間の中で神の名は徐々に忘れ去られ、聖神も例に違わず、幼体になるまで力を失っていった。神々の末路は、そのまま別の神に取り込まれて存在を消すか、付喪神となって神社や寺に居座るか、妖怪となって私利私欲のままに現世を生きるか。
「最初の、24日では……妖怪、マガツコヨミノカミは、貴方を取り込み……しかし、ヒジリノカミにはなり切れずに、現世とは別の……私たちが干渉できない、世界を彷徨う事に……なっておりました」
「そう、だったんですね……本当に、色々と、全部、ありがとうございまいた」
 恵麻は櫛を胸に抱きしめながら、深々と泉に頭を下げた。
「私、一生今日の事を忘れないです。問題を解決する主役にはなれなかったけど、当事者の一人として、ひじり君と向き合っていきます」
 決心した恵麻に、泉は眼鏡をかけてようやく今朝と同じ笑みを作ると、慎二には起きてから説明するから今日は帰りなさいと促した。
「それでは、また明日……」
「はい、また明日……あの、本田君を、よろしくお願いします」
 恵麻は何度も頭を下げると、雪がちらつく夜空の下を駆け足で通り過ぎていく。櫛を握りしめた方の手だけが温かい。
「ひじり君、今日ってね、この世ではクリスマスイブって言うんだよ。あの時は私も、行事ごとに疎くて分からなかったけど、明日からは一緒に……本田君も一緒に、クリスマスを過ごそうね」


 午前7時。目覚ましのアラームを無理矢理消した恵麻は、気怠そうに起き上がりながらスマホの画面を見た。
「ああ、ああぁ……‼」
 ホーム画面の日付と時間を確認して、恵麻の目から涙が零れる。飛び起きてテレビを点け、鞄の中から櫛を取り出すと、愛し気に握りしめた。
「ひじり君! やったよ‼ やっと……やっと『明日』が来た‼ 今まで忘れてて本当にごめんね……これからずっと、忘れないから」
 櫛は何もしゃべらず、ただ恵麻の掌に温もりを与えている。
 気を取り直した恵麻は、スッキリした表情で髪を梳かし、寝ぐせを整えながらニュースを見ている。すると、スマホから着信音が聞こえてきた。画面を開くと、慎二から個人宛のメッセージだった。
「えっ⁉ いつものグルチャじゃない……あ、そか。もう24日じゃないんだ」
 流石に約一ヵ月分同じ日を過ごしたせいで、日にちが変わった事に慣れていない。緊張しながら内容に目を通すと、そこにはシンプルな一文が送られていた。
『桜木さん、良かったね。おめでとう』
「桜木、さん?」
 言葉遣いに違和感を覚えながらも『ありがとう。今日、朝早めに会えないかな?』と返信すると、即座に反応が着た。
『うん。いいよ、僕も桜木さんには伝えなきゃいけないことがあるんだ』
「ぼ、ぼく!?」
 一人称まで違う変わり様に、恵麻は驚いて櫛と画面を見返した。
「もしかして……今まで私と話していたのって『ひじり君』の方だったの?」
 櫛は何も返さないが、焦がしつかれた美丈夫は、どこか恥ずかしそうに眼を逸らしているようにも見える。
「ああもう! 良いもん、全部本田君に聞くから、全部分かっちゃうんだからね!」
 とにかく真相が知りたい恵麻は、櫛を鞄に入れて、アパートを飛び出した。


 これは、最初の12月25日の夕方、解通易堂に飛び込んできたのは、血相を変えた慎二だった。
「あの! 妖怪に詳しいお店って、ここですか⁉」
 焦っている慎二に向かって、帳場から出てきた泉が優雅にお辞儀をする。色彩豊かな中華風の服装をしているが、慎二にはまるでモノクロ映画の一部の様に見えた。
「いらっしゃいませ。解通易堂の泉と申し……」
「あの‼ あの……信じて貰えないかも知れないんですけど、友達が神隠しに遇ったんです‼ 助けてください‼」
 この一言が、全ての始まりだった。
 元々内向的だった慎二は、大学に入る程勉強が好きな方では無かった。専門学校にすら入れるかどうか分からず、名も知らぬ神社に願掛けをしに行った。
(お願いします……専門学校にだけは受からせてください。場所は……)
 次の日、何か身体に異物が入った感覚を覚えたが、当時は流行り風邪の時期も重なり、慎二も患ってしまった。
 その後、慎二は無事専門学校に入学してから、まるで人が変わった様に誰にでも話しかける自分に、違和感を覚えていた。
(なんだろう? 別の誰かが僕の身体に憑りついているみたいだ……?)
 最初は学生デビューのつもりなのかと無自覚を意識していたが、卒業する頃には慎二自身も社交的な性格に慣れてしまい、その違和感は無かったことにしてしまった。
 しかし、12月25日の今日になって突然、同じ学科の人はおろか、仲良くしていた友達にさえ声を掛けられない自分の『変化』に驚いた。
(なんで……今まで当たり前に声をかけていた人に挨拶の一つも出来なくなっているんだ? おれ……僕は、どうなってしまったんだ?)
 専門学校に入って直ぐに出来た友達からも「一人称が違う」「まるで他人みたいだ」と言われた。
 そして、友人の一人、恵麻が無断で学校を欠席していたことが気になり、男女の友人に彼女について尋ねて行った。
「ねえ、あの……桜木さんは、今日は休み?」
「桜木? 誰の事?」
「えまって、海外女優みたいな名前だね。そんな特徴的な名前の子、知ってたら忘れないよ」
「そん、な……」
 なんと学校全体が『桜木 恵麻なんて人は最初から居ない』事にされていたのだ。
 慌ててアイフォンを取り出したが、恵麻にはメッセージも通話も繋がらない、どんなに仲が良くても、恵麻の自宅までは分からない。辛うじて過去に一度貸したアイフォンに残っていた着信履歴から、彼女の実家にも連絡を入れたが「娘は居ない」の一点張りで直ぐに切られてしまった。
 混乱した慎二は、警察や神社。胡散臭い占い師にまで勇気を出して声をかけ、そういった怪奇現象に詳しい人に『櫛の店 解通易堂 泉』と書いてもらった名刺サイズのカードを持って、ここまで辿り着いてきたのだと言う。
「ぼ、僕の頭がおかしいんでしょうか? 彼女を作ったことが無いゲームオタクの妄想だったのでしょうか……っ?」
 帳場の奥で全てを吐き出し、泣きながら問いかける慎二に、泉は眼鏡を外して微笑みかけた。
「いえ、いいえ……私は信じます。慎二様からは、微かに妖気……いえ、神気の様なものが……感じられます。もし、貴方自身に……恵麻様を救いたいと、思う覚悟が……ございましたら、私が力を、貸しましょう」
「あ、あああ……ありがとうございます……ありがっぐっううぅ……」
 初めて力を貸してくれる人に出会えた慎二は、泣きじゃくり、体を震わせながら感謝し、これから起こる事への覚悟と恵麻への想いを告げた。
「桜木さんは……こんな僕に、ずっと明るく接してくれた女友達なんです……ひぐっ、初恋さえしていたんだって……失ってから、気付きまじた。彼女を救いたい……救いたいんだ!」
 泉は慎二の肩を撫でながら、どこからか温かいお茶を用意した。少しずつ落ち着いてきた慎二は、控えめにこうも付け足した。
「あの……スンッ。出来れば、僕と桜木さんを出会わせてくれた、僕の中の『何か』も、報われる様な……こんな一方的な方法じゃなくて、ちゃんと全員が『12月25日』を迎えられる様にしたいんです……そんな世界線を夢見るのは、ワガママでしょうか……」
「……承知しました。しかし、残念ながら……私は祈祷師でも、陰陽師でも……ございません」
 泉は声色を落として真実を伝えると、一本の櫛を持ち出して慎重に考えを口にした。
「この櫛は……鬼神や妖気を梳い取る、特別な櫛です……もし、慎二様の御身体に……憑り付いていた、のが……それらの類であれば、その『残穢』を利用して……一日に一度ずつ、昨日を繰り返して……その『残穢』を梳き、溜めていきます」
「ざんえ? 昨日を繰り返すって……タイムリープするってことですか?」
 慎二が聞き慣れない言葉に困惑していると、泉は安心させるように言葉を重ねた。
「最初のうちは、慣れないでしょうが……私が、お供いたします。慎二様の願いを、叶えるためには……長く苦しい道のりしか、選べませんでしょうが……共に少しずつ、一つずつ……乗り越えて、いきましょう……」
 泉の言葉に、慎二は涙を拭って強く頷いた。
「……っはい、はい! 僕、頑張ります!」
 泉はゆっくりと頷くと慎二の短い髪を丁寧に調べ、慎重に櫛で一梳きした。不思議な木の香りと、店の香りが混ざって、徐々に慎二の五感が失われていく。
「あ、泉さ……」
「安心してください。眠くなってきただけです……」
 慎二の身体から力が抜け、泉にもたれかかる様に倒れ込む。
「また明日……いいえ、昨日の24日に、お会いいたしましょう……」
「……」
 口を開ける程の力も失われ、今度は浮遊感が慎二を包み込む。
(ああ……僕の、僕たちの24日が……繰り返され、る……)

――これが、この物語の始まりである――

【完】

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