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『泉御櫛怪奇譚』第四話

第四話『約束の櫛 恋の行方』
原案:解通易堂
著:紫煙

――櫛は、傷んでしまったり、折れてしまったりしない限りは、長く、長くご利用いただけるお品物でございます。吉原の遊郭では、真に想いを寄せている殿方に、遊女が櫛や簪などを贈って「いつまでも貴方をお慕い申し上げます」と言う言葉の代わりにしていたとか、していないとか……。
では……贈られた櫛は、その後、どうなったのでしょうか……?

◆第一章◆
 夏休みが残り僅かとなった。空には薄雲一つない晴れ間が広がっている。
 柚子は音のない部屋で、まだ着る予定ではなかった制服に袖を通していた。彼女の部屋には、様々な賞状が飾られている。英語検定準二級、漢字検定一級、数学検定一級。昔の物だと、小学生の頃に優秀賞を取った習字なんかも飾られている。彼女の机の隅には、既に終わらせた宿題と夏期講習のノートが整然と積み上げられている。
 ベッドの上で光るだけのスマホの画面には、友人やクラスメートからのメッセージが溢れていた。
【ゆず! 17歳ハピバ‼】
【東雲さん、お誕生日おめでとう!】
【ゆっちゃん。誕プレは学校で渡すね】
 柚子は無気力にスマホを取ると、そのままベッドの上に仰向けに倒れた。まだまとまっていない黒髪が、シーツに絡みつくように広がる。ダラダラとお祝いのメッセージを読んだ後、一番仲の良いグループチャットに、一言だけコメントした。
【おめあり。全員に返事出来なくてごめん。これから親戚の葬式の準備】
 のちのちと画面をなぞって、何人かの既読マークが付いたのだけ確認する。直ぐにスマホの画面を切って起き上がると、開けっ放しの扉から喪服姿の母親が顔を出した。
「柚子。……なにしてるの、準備できたの?」
「……髪したら降りる。直ぐ行くから」
 怒りとも悲しみとも分からない声で柚子が言うと、母親は「早くしなさい」とだけ短く言って姿を消した。再び音のない空間が広がる。
 柚子は手櫛で髪をまとめると、枕元にあったヘアゴムで頭の高い位置に結い上げる。スクールバッグから送り毛防止用のワックスを取り出して雑にうなじに塗り付けると、それをベッドの上に放り投げて部屋を出た。ポニーテールは柚子が好きな髪形だった。本当は色の着いたヘアゴムが好きなのだが、今日は髪の色に合わせた黒いエナメルゴムが、部屋を去る直前に、僅かに差し込んだ太陽の光を反射した。
 柚子の母方の曾祖母は、電車と新幹線を使った後、更にタクシーで30分程移動した郊外で暮らしていた。叔母夫婦とは面識があったものの、曾祖母との思い出は移動の道中で考えても出てこない。
(猫型ロボットの道具みたいに、思い出も覚えてない記憶も全部このスマホで分かったら良いのに……)
 出発してからずっとスマホをいじっていた柚子は、軽い車酔いを感じながらタクシーを降りると、人生で二度目の地方遠征で草臥れながらも、直ぐに通夜の準備に駆り出された。
(この家に来る時は、決まって誰かが死んだ時だな……最初は確か、おじいちゃんおばあちゃんのお葬式の時で……あ、その時に、ひいおばあちゃんと会ったんだっけ……)
 曾祖母の息子夫婦、つまり、柚子にとっての祖父母は既に他界し、曾祖母は最期の時まで母の妹にあたる叔母夫婦と暮らしていた。柚子が後から聞いた話だと、叔母が自分から曾祖母と暮らす事を志願したのだと言う。
 通夜振る舞いの準備を手伝いながら、感覚しか残っていない思い出を記憶から引っ張り出す。この家で唯一ある記憶は小学校低学年の時、祖父母が交通事故で亡くなった日のことだ。
 当時は初めての葬式で、悲しみよりも緊張の方が強かった柚子は泣くことも出来ずに母親の隣にずっと座っていた。その反対隣に座った曾祖母が、柚子に声をかけてくれたのだ。
『あらまぁ。ゆっちゃんは強い子ね。姿勢も良くて、良い子ね……」
 母親だけでなく、父親すら泣いている暗い世界で、曾祖母だけが、唯一、柚子に向かって微笑んでくれたのだ。
『ゆっちゃん。泣きたい時は自然に涙が零れるものよ。だから、無理に泣かなくても大丈夫。悲しい気持ちは、おててでなむなむすれば伝わるから。ね? 良い子ね~……』
 実際はもっとたくさん話しかけてくれたはずなのだが、現在の柚子が思い出せるのは、最初の一言だけだった。
(……一回しか会ったことないけど、嫌いじゃなかったんだよな……ひいおばあちゃんの葬式でも泣けない私は、薄情なのかも?)
 高校生になった柚子は、相変わらず泣くことが出来ずに、黙々と作業をこなしていく。
「柚子ちゃんは偉いね。泣くの我慢してお手伝いしてくれて」
「……」
 泣きつかれた顔の叔母に褒められても、返す言葉が分からなかった。
(どう泣けばいいのか分からない……なんて言ったら、頭のおかしい子に思われるかな……)
 粛々と通夜の準備が整い、一息ついた親族に向かって、叔母が真っ白な封筒を抱えてきた。封筒には細い付箋が貼られており、誰宛てのものか分かるようになっている。
「この度は、樺澤とみの為に、ありがとうございました……とみの方から、皆様に宛てたお手紙を預かっております。葬儀などを終え、一息ついてからお渡しするべきなのでしょうが……とみからは、なるべく直ぐにお渡しするよう遺言を賜っておりますので、僭越ながら、私がお配りさせていただきます……」
 叔母はそう言って、震える手で親族に封筒を渡していく。末席で小さくなっていた柚子の分も用意があったらしく、叔母は彼女の前に封筒を差し出した。
「おばあちゃんの……ゆっちゃんにとっては、ひいおばあちゃんの最期のお手紙。おばあちゃん、凄く筆まめな人だったから……読んであげて」
 柚子は黙って封筒を受け取るが、明らかに紙以外の物が入っているような異物感に、反射的に動揺した。
「叔母さん、これ……」
 咄嗟に封筒を返そうとするが、叔母は既に他の親族と泣きながら話しをしている為、渋々用意された寝室に封筒を置きに行った。
(その場で読むのも、なんか失礼な気がするし、そもそも、人前で手紙を読むのも好きじゃないしな……)
 寝室から戻ると、先に読んだ何人かが、再び嗚咽を漏らしながら泣いていた。柚子は大人たちの泣き声にうんざりしながら、葬儀が始まるまで部屋の隅でスマホをいじっていた。
 曾祖母の通夜は深夜に始まった。最初の方は柚子も母親の隣で座っていたのだが、親族席から曾祖母が見えなくなる程の人に、気疲れしてふらついてしまう。
「柚子……ひいおばあちゃん、明日の夜までここにいるから、あんたはもう寝てきな」
「うん……そうする」
(おじいちゃんとおばあちゃんの時は、お通夜は一日だけだったはずだけど、ひいおばあちゃんは明日もやるのか)
 柚子が後からスマホで調べたのだが、通夜とは本来、親族だけで行われるのが一般的なのだ。しかし、曾祖母の訃報は町中に広がっていて、血縁者、交友者問わず曾祖母の家に集まってきていた。叔母夫婦は、生前の曾祖母と話し合って、告別式やお別れの会などはしないと決めていたようで、それ故、葬式に出られない人が更に集中しているんだとか。
 書道の先生だった曾祖母には、深夜を過ぎた今も一目お別れをしたいと教え子だった人たちが訪れてくる。中には中学生くらいの子ども達が、泣きながら曾祖母の冷たい手を順番に握りしめている姿が見られた。
 彼らの背中に静かに一礼した柚子は、数珠をブレスレットのように手首に巻いて寝室に向かう。
(……泣き声がまだ聞こえる気がする……嫌だな。頭が痛くなりそう)
 寝室に戻った柚子は、雑にヘアゴムを外して持ってきたジャージに着替え、スマホと曾祖母からの封筒を持ってせんべい布団に仰向けに寝転がった。天井を無気力に見つめて、耳の中の音が消えるのを待つ。
「……ふーー……」
 深呼吸をひとつして、ようやく静けさが寝室に広がってきた。気晴らしにスマホの画面を開いては見たが、スクロールばかりが長い話題の無い会話も、SNSの他人の呟きも、柚子の興味を引く程の力は無い。
 柚子は諦めてスマホを閉じると、視線を封筒へと移す。柚子の人生の中で、こんなに違和感のある手紙を渡されたのは初めてだ。
(誕生日の日に、バースデーカードじゃなくて遺書を読む日が来るなんて、思いもしなかったな……)
 ハサミかカッターが無いか体を起こして部屋を見渡したが、それらしいものは見つからなかったため、再び仰向けに寝転がって、天井にかざすように封筒を掲げた。爪を使って出来るだけ丁寧に封を開ける。すると、柚子が取り出すよりも早く、重力に任せて封筒の中身がこぼれた。
「あっ……と! ……え?」
 胸に落ちたそれを天井にかざす。照明に照らされたのは柚女性の手に収まるサイズの、古い櫛だった。小柄で手が小さい柚子が持つと、心なしか一回り大きく見える。
 しかし、櫛を無くした記憶も欲しがった記憶も無い柚子は、唐突過ぎる贈り物に焦った。
(そうだ。手紙……何か書いてあるはず!)
 くるりと体をうつ伏せにして、櫛とスマホを布団に置く。封筒に取り残された手紙をそっとつまんで開くと、達筆な字で柚子の名前が書かれていた。
(わ……! ひいおばあちゃんが書道の先生だったって、本当だったんだ。凄く綺麗な字)
「えっと……『柚子ちゃんへ。柚子ちゃんに会えて、私は幸せでした……柚子ちゃんはひいおばあちゃんにとても似ています。素敵なお髪を大切に。これを使ってください』……」
 手紙の最後には、恐らく柚子だけに用意してくれたのだろう。柑橘系のシールと、可愛らしい花のシールが貼られていた。
 しかし、形見として受け取った櫛には、曾祖母とは別の名前が焼き刻まれている。使い古されている為、端の方が掠れて消えてしまっているが、
「ほん……本、郷、秀……これは一かな? ほんごう、しゅういちさん?」
 曾祖母の生前の名前は『樺澤 とみ』である。何故、櫛に他人の名前が書かれているのか、気になった柚子は、早速スマホの検索ページを開いた。
「櫛……名前……なんだろう? 贈り物とかでヒットするかな?」
 試しにいくつかの単語を入れて、ヒットした記事やホームページを探してみる。しかし、案の定柚子が知りたい情報は一件も無く、似たような検索履歴ばかりが埋まっていく。
(ん~……やっぱり、贈り物に名前を入れるんだとしたら、絶対に貰い手の名前を付けるよね……ってことは、この本郷さんって人が、自分の櫛をひいおばあちゃんに贈ったって……ことだよね?)
 血縁の無い女性にプレゼントをする理由は、今も昔も然程変わっていないはずである。
(もしかして、これ……おばあちゃんの事を好きだった本郷さんが、何かのきっかけで渡した物なんじゃないの⁉ 嘘っ! ひいおばあちゃん、どんだけ鈍感なの? あ、もしかして天然⁉ わぁー確かに天然っぽい気がする。一回しか会ってないけど!)
 勝手に頬が熱くなるのを感じた柚子は、布団に擦り付けるように顔をうずめる。
「うわぁ……忘れ形見説あり得るよ……ひいおばあちゃん大正生まれだもん。戦争経験者だし……うわぁ‼」
 いたたまれなさと恥ずかしさで胸がきゅうきゅうするのを、足をバタつかせて発散させる。ひとしきり甘酸っぱさで悶絶した後、柚子は表情を曇らせながら櫛を見つめた。
(どうしよう。そうだとしたら、私が形見で受け取っちゃいけない気がする。もう生きてなかったとしても、本郷さんの所に返してあげなきゃ……)
「……でも、どうやって?」
 柚子は微睡む視界の中で、スマホの検索画面を操作する。しかし、疲労と集中力はとうに使い果たしているため、操作する手が徐々に止まっていく。
(うーんんん……個人情報って……どうやったら……調べ……られるんだろう……?)
 柚子は既に頭が枕へと沈んだことにも気づかすに、あらゆる可能性を考えようとする。しかし、夢の中で尚、何度検索しても答えを導き出すことは出来なかった。

【続】 ※次回9月15日公開予定!

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