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私たちの知らない間に小さいけど、大きく改変されていた映画の話


2019年がはじまった。今年も素晴らしい映画が日本で初公開と目白押しだ。最高傑作が多すぎて、私は年始から早々、精神的に参っている。

そしてその最高傑作のひとつ、2月8日(金)公開の「ちいさな独裁者」(シンカ/アルバトロス/STAR CHANNEL MOVIES配給)について、恐らく多くの映画ファンが知らない話をこちらでしたいと思う。

まずは本国版のトレーラー

そして日本版のトレーラー

違いがあることに気づいた人はいるだろうか。
この映画は実は白黒映画なのだ。文字の通り色のない映画である。
製作国のドイツをはじめ、大半の国では白黒上映がされたみたいだ(私が実際に見た訳では無い)。IMDbにはしっかりBlack Whiteと記載がある。Color (one sequence)と表記されているのは恐らくタイトル部分か、エンドロールの部分であると思われる。

ちなみに韓国では2月19日に公開されるみたいで、トレーラーは本国と同じく白黒となっているので、上映も白黒で上映するのではないかと予想している。


では日本ではどうなのか。
これがまさかのカラー上映なのである。


え?
嘘やん?
え?

これについて私は以下の疑問をまずはじめに持った。

①白黒をわざわざカラーにした理由は?
②日本で観る人達はこの改変(変更)を知っているの?
③監督は
カラー上映についてもちろん知っているの?
④配給会社は白黒上映からカラー上映への改変
(変更)について明確なアナウンスはしたんだっけ?


はじめに、映像技法について

話は映像技法の話になるが、映画において色彩構成は重要な役割を持っている。

そこにあえて白黒にするということはどういうことなのか。
・ひとつめは、当時の「時代感」を蘇らせる方法。
「当時の雰囲気」を現代に持ってくるには効果的な技法だ。WW2の記録映像などを観るとわかるが、どれもが白黒の映像だ。
ということは、よりその時代とフォーマットを合わせたかったことになる。その時代への没入感を観る人に体感させてくれるのだ。

・もうひとつは芸術的観点から。
調べるとこちらの記事に白黒で撮影した理由が書かれている。どうやら芸術的な観点の方が強い感じだ。(行き過ぎた血の色を観客に見せるわけにはいかないので白黒にしてとも言われていたようだ)

色がないことによって、"あえて"私たちに想像させるように工夫されている。撃たれる瞬間の土の飛沫。吹き飛ぶ人間。
「想像すること」は私たちにとって大切なことなのだと、こういったところで教えてくれる。「ちいさな独裁者」はそういった意図も戦争映画の中に内包しているわけである。

屋内での食事のシーン、酒を飲むシーンでのライティング加減がどのカットも絶妙に良いので、こういう部分でブラックホワイトの醸し出すコントラストさやノイズさが映画美を昇華させている。


元の話に戻ろう

先ほどの疑問の、
①白黒をわざわざカラーにした理由は?
→シンカ様・アルバトロス様の公式サイトのお問い合わせにメッセージを送ってみたが3日たった今現在、回答は無し。
忙しくてメールを見ていないのかもしれないし、迷惑メールの方に入ってしまっているのかもしれない。とりあえず回答を待ってます。

シンカ様より2/10にお返事がありました。続きの記事にて詳細を書いております。(一番下にもリンクおいてます)


②日本で観る人達はこの事実を知っているのか?
→この記事を書いている2月7日現在、日本語で調べてたところ、「本作品が白黒映画として上映されていたみたいだ」、と言及しているレビューサイト系の記事が一切出てここなかった(辛うじてtwitterで1件、filmarksで1件言及している人がそれぞれいた)。

③監督はこのことについてもちろん知っているの?
→ロベルト監督自身が来日して都内の高校でお話をされいらっしゃるので知っているはず。(予想なので事実確認していないですごめん…)

補足1
というか知っていないとおかしいことになる。
白黒映画として映画が売買される時にカラー版・白黒版が用意されているということは想像できる。
何名かの人が「売買したときにカラー版を選択しただけだから『改変』とは言えないのではないか」と意見を頂いた。
ヨーロッパ、US、韓国と諸外国がオリジナルの白黒映画として上映している中で、日本がカラー上映していることの特異さをより強調したくて「改変」と表現させてもらった。改変に近い選択だと思っている。変に誤解させて申し訳ないです。(2/8追記)
補足2
2/8のこちらの記事にて監督がカラー版に対して言及している。私が初めて言及しているのを確認した公式系の記事だ。
安心した。しかしそこが今回の論点ではない。(2/8追記)


④配給会社はこのことについて明確なアナウンスはしたんだっけ?
→マスコミ向けに配布される資料に記載はなかった。劇場においてあるA4チラシにもそういった記載はなかった。レビュアー向け資料に記載がない時点でパンフレットにも、もちろんなかった。


なぜ私がこのことについて知っているのか

この事実について私はもちろん誰かから聞いた訳では無いのです。レビューするために早めに本作品を観させて頂き、内容があまりにも良かったのでネットで調べた結果だ。
検索する人にはすぐ分かる話だろうけど、劇場公開されて観にいった人がはたしてどれだけわざわざ原題を調べてこの事実を知ってくれるのかわからない。
私は大半の人が知らずにこの映画をカラー映画だと思って通り過ぎていくだろうと思う。


以上のことから本作品が日本において、まるであたかも最初からカラー上映されているんですよ、としているような振る舞いに私は恐怖を感じたのである。マジで恐怖しかない。
知らなければアナウンスしなくていいの?知ってる人だけが知っていれば良いのだろうか?

もっと身近な考え方をすると、こういった配給会社による変更(観客には知らされていない)が他の映画でもバンバン行われている可能性が高いということ。知らなければ、知らないままなのだから。


なぜ配給会社は改変(変更)したのか

物事の決定には大抵理由があると思います。配給会社に知り合いがいる訳ではないので、もう100%予想でしかないのだが、より多くの層の人たち(ターゲット層)に見てもらうためには白黒映画よりカラー映画の方がとっつきやすいと考えたから、じゃないだろうか。
戦争映画というカテゴリーに入る時点で、「難しい」「疲れる」「殺し合いとか無理」という考えの下、ある程度の層に絞られていくことはあり得るでしょう。その中でより多くの層に見て欲しいのだ。「色がないよりある方が見てて楽だ」とかそういった意見もあるかもしれない。


だからってカラー上映で良いわけにはならないのでは

良くない。良くないんだ。
仮に、上記のような考えで改変されたのならば、私たちに対して考慮してくれたのかもしれない。観やすいように、理解しやすいようにと。その考慮はありがたいとは思う。
しかしそれによって私たちがどんどん白黒映画に対して興味や、白黒映画への理解から遠ざかっていく可能性が高い。配給会社が消費者に対して行なっている考慮が、逆に消費者の理解度をどんどん劣化させていっていることになりかねない。理解度が世界からどんどん置いていかれることになる。あるいは、もうなってしまってるかもしれない。
この書き方は、とても乱暴な言い方だと思う。でも極論こういうことではないだろうか。


結論として「配給会社は許せない!キー!」と言いたいわけではない

この件について、配給会社へ文句を言いたいわけじゃない。
なぜカラー上映という選択をしてしまったんだろう、というシンプルな疑問に対する明確な回答が欲しいのだ。
さっきも書いたけれど、物事の決定には必ず何かしらの理由がある。
誰かにとって白黒からカラーに変更したことなんて些細なことかもしれない。しかし映像演出などを学んできた自分にとっては今回の変更はとても重要で、本来ならばもっとたくさんの人から「え、なんで?」と議論して欲しい出来事なのだ。

だって、実際この作品を観て、感じ、考えるのは私たちなんだよ。

配給会社に裏切られた感じ、ではないが、私たち映画ファンをはじめとする観客は信頼されていないように感じてしまう。いつも一方方向で、明確な説明がない。そして決定したことを受け入れるしかない。それでは配給側と、映画を見る観客の間に溝ができていくばかりだ。

今年の1月に話題になったこちらの話にもなんとも明確な自分の考えが持てないでいる。安易に自分の考えを持てるような簡単な話ではないからだ。


もし仮に、「白黒上映だと(白黒上映の意図を理解しないだろうから)足数を増やしたくてカラー上映を選択しました」と配給が公表したと仮定してみましょう。

これは仮定です。(怒らないで…)
私たちは皆、「自分が(理解できないほどの)馬鹿ではない」と憤慨するでしょう。私だってします。当然、熱烈な批判をする。しかし、批判をしたところで「自分たちは(理解できないほどの)馬鹿ではない」と正しく真っ当に証明したことにはならないと思うんです。ただ「(馬鹿だと決めつけられて)反論しただけ」とみられるだけです。そこで終わりだ。
私たちが馬鹿ではないことを誰かに証明することができません。これでは配給側は「馬鹿がなにか騒いでるわ〜。自分たちが理解力があるということを証明もできずにね」とスルーするしかないのだ。多分。

ならば、自分たち消費者全体の理解レベルが低くはないということを配給にどうやって理解してもらうか

私にはそこがわからないんです。だからこれを読む皆さんにそこを考えて欲しいのだ。ただ一方的に「〇〇が悪い」と批判するだけでは駄目だ。

永久にこの配給側、消費者はお互い平行線を保ったまま、この産業は潰れていく道すがらにいるのだろうな、と予想している。どうにか食い止めたい。

どうしてこうなってしまうのか疑問を持ち、問いかけ、知らなかった事実は積極的に自分の中へ取り込んでいきたい。どうしたら私たちが正確な情報を持つことができるのか。世界と同じ映画を同じ形で観ることができるのだろう。

英語が理解できる人たちはみんな各々に本国版のDVDなどを入手するだろう。海外に渡って観にいく人さえいるくらいだ。
しかし、英語を理解できない人たちは取り残されることになる。
なんだそれ。


配給会社・興行会社は私たちのために存在してくれるのだろうか

海外映画を日本に住む私たちに届けること、そして邦画を海外へ持っていくための橋渡しの役でもある。その過程で、様々な人種・宗教観を持った国々へ向けて運ぶ際に改変(変更)を余儀なくすることもあるでしょう。それは仕方ないことだ。ファンの私たちにもわかることだ。でもなんで変更したのか少しだけでも説明してくれたっていいじゃない。もう少し、私たちを信じてくれてもいい気がした。


2月10日現在、続きの記事です



ここからは読まなくてもいい私的な部分

自分は興行側に身を置いている。
興行業界の立場にいる上司に「もしあなたが配給する立場ならどうするか」と聞くと、「ターゲット層と宣伝の方法(売る気満々な作品か、自社のブランドを信頼した上でのいつも通りの見込みの作品か)にもよるけど、作品の持っている創造性と監督の意向を大切にするために白黒上映にするだろうね」と言われたので少しだけ救われた。

「そこをカラー上映にしてしまうと、私たち配給・興行側の主観が入ってしまう」とも言っていた。

しかしこれは映画に携わる一個人の考え方であって、興行全体の代表した考え方ではない。


最後に上司が「君はまたその映画をちゃんした形で観るために海外へ飛んでっちゃうの?」と、苦笑いされながら聞いてきたので、その瞬間様々な感情が湧いたけれど、
(「違うんですこの映画はもう2018年に世界上映されてしまって世界のどこかでこれ(ちいさな独裁者)をモノクロを劇場で観ることはもう現在では韓国でしか叶わないんです。私達は1〜2年も待っているのに、その上こういうことが起こってる。期待して待っていた映画をどういう気持ちでこんな形で観れば良いのかまったくわからないよ」)

この感情を全部飲み込んで、

「そんなわけないじゃないですか (笑)」

と答えるのが精一杯だった。


白黒で観た方が絶対良い映画だったなぁ。


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